第3話:マモノ達の悲鳴


 空が夕焼け色に染まり始めた頃、F地区の路地にマモノ達が現れた。

 数はおよそ三十。通常よりも異常に多い。彼らは人と似た姿をしているが、その皮膚は泥のように汚く、腹は肥大化し、顔は豚を更にグロテスクしたような見た目をしていた。

 “オーク”。群れをなして活動するマモノ。武器も扱い、知恵もある為、厄介な中級マモノとして魔法少女からは認識されている。

 

「ココか、“悪魔”が現れるというバショは……」

「アア、この辺りには同胞が百は居たはずダガ……全て倒された」


 彼らが今回このF地区に現れたのは、制圧したはずのこの地区から同胞が消えたという報告を受けたからだ。

 マモノは人々の世界に侵攻し、着々と制圧範囲を広げている。人間を家畜化し、喰らい、自分達がこの世界の支配者になることが彼らの目的。なのに最近その侵略が邪魔され始めている。たった一人の魔法少女によって。


 “悪魔”。

 マモノ達からそう呼ばれる魔法少女。姿形をはっきり見た訳ではない。何故ならその魔法少女と対峙したマモノは全て葬られたからだ。

 偵察係のマモノが遠目から目撃した情報しかない為、実際にその魔法少女が一人だったとは限らない。ただ分かっているのは、黒衣の魔法少女の目撃情報が出た場合、その地区のマモノ達は一掃されているということだ。


「ホントウに存在するのか? そんな魔法少女が」

「ソレを確かめる為に我らが派遣されたノダ。オーク繁栄の為にも、コノ任務必ず成功させるぞ」


 今回の任務はあくまでも偵察。オークの群れを投入して悪魔の情報を入手するのが目的だ。だが当然オーク達は偵察だけで済ませるつもりなどなかった。


「へっ、アイテはたかが魔法少女一人ダロウ。四肢を捥いで軽く捻り潰してやるさ」

「ソレヨリ俺は遊びたいぜ。ニンゲンの女は良い。可愛い声でナクからな」


 ブヒブヒと鼻息を荒くしながらオーク達は興奮する。その姿は酷く醜く、およそ知性を持っている生き物のものとは思えなかった。当然だ。オークは獣としての本能が強いマモノ。彼らは任務や目標よりも自分のしたいことを優先する。この中で精々まともなのはリーダーのオークくらいだ。


「アア、亡くなった同胞の為にも、“悪魔”には最大級の屈辱を与えてやろウ」


 一際大きな牙を持つオークのリーダー。他よりも知性がある彼は仲間意識が強く、同胞の仇を討とうと闘志を燃やす。

 それからオーク達は索敵の陣を取り、F地区を周り始めた。この地区が奪還されたのはついこの前のこと。まだ悪魔は遠くには移動していないはずだ。


「ーーーーン?」


 その時、どこからかペタペタと足音が聞こえてきた。

 丁度オーク達が通り掛かったショッピングモールからだ。当然その建物に人は居ない。戦闘の跡でボロボロになっており、ガラスも割れている。人の気配など微塵もなかった。


「ナンダ、今の足音?」

「魔法少女のモノじゃないな。ニンゲンのガキか?」

「ナンデ廃墟ばかりのココにガキが居る? 聞き間違いだろう」


 オーク達も違和感を覚える。足音からして目的の悪魔のものではないだろう。むしろもっと動物的な、マモノに近い足音だった。だがここには自分達オーク以外のマモノは居ないはずだ。

 ーーーーでは、足音の主は誰だ?


「念のタメ、確認しておこう。サボるとリーダーに怒られるからな」

「しょうがない。オマエ達はココで見張っていろ。俺達が確認してくる」

「アア、分かった」


 二体のオークが槍を構えて廃墟のショッピングモールの中へと入っていく。乱雑したモール内。薄暗く視野が悪い。商品が置かれていたであろう棚は倒され、ドミノ倒しになっている。歩ける場所も限られていた。

 二体のオークは周囲を警戒しながら奥へと進んでいく。案の定というべきか人など存在せず、ましてや魔法少女らしき影も一切なかった。オーク達はつまらなそうに鼻を鳴らす。


「ヤハリ無人だな……足音は気のせいダッタカ」

「ソウダナ、さっさと戻ろう」


 これ以上探索しても成果は上がらないだろう。そう判断したオーク達は来た道を戻り始める。

 だが途中で片方のオークが不思議そうな表情を浮かべた。何か違和感がある。先程と同じ廃墟のモール内。暗くジメジメしており、洞窟のような印象を抱くその場所に、あってはならないような異変を感じた。


「ーーーーマテ。何かおかしい」

「ア? どうした?」


 片方のオークが槍を前に出してもう片方のオークを制止する。相方の不可解な言動に疑問を抱きつつも、もう片方のオークも歩みを止めた。


「サッキと景色が違う……」


 ようやくオークは自身が感じた違和感を口にした。

 そうだ、景色が違うのだ。自分は他のオークよりも少しばかり目が良い。夜目も効く。だから索敵班として重宝されているのだ。

 故に分かってしまった。このモール内の違和感を。


「オイ、俺達以外の班がここらの偵察を任されていたカ?」

「いや、俺達ダケだったはずだ」

「じゃあ俺達の班の数ハ?」

「ハ? それを聞いて何になる? さっきから何を言ってイルンダ?」


 相方の意図が読めない質問にオークは苛立つ。何をブツブツ言っているのか。さっさと戻って仲間と合流し、目的の魔法少女を探したいというのに。

 その苛立ちをぶつけようと思った時、オークは相方の顔を見て驚愕した。その顔はマモノとは思えぬ程怯え、怖がっていた。


「オカシイんだ……さっきから俺達は、大勢に見られてイル」


 相方が前方を指差す。オークがゆっくりとその方向を見た時、そこには無数の目玉があった。そして次の瞬間、耳が裂けるような奇声と共に暗闇から無数のナニかが蠢き、オーク達の視界は真っ黒に染まった。

 そこで彼らの意識は途切れ、そのまま絶命した。






「リーダー、妙です」

「ナンダ、どうした?」


 F地区の広場。そこはオーク達の簡易拠点場となっており、索敵を終えた班が集まっていた。気性の荒いオーク達は目的の魔法少女が見つからなかったか、つまらなそうに鼻を鳴らしている。彼らにとってただ待機するというのはつまらないだけで、今すぐにでも人間を襲いにいきたかった。すると一体のオークがリーダーの前に立ち、報告をする。


「偵察に向かわせた班の半分が戻ってキテいません。一度集合スルように指示したノニモ関わらず」


 どこか不安な色を滲ませながら、報告係のオークはそう言う。それを聞いてリーダーのオークは辺りを見渡した。確かに数が少ない。集まりが悪いと思っていがまさかここまでとは。


「ドウセ遊んでいるんだろう。久々の人間界ダカラ」

「ーーーーイヤ、一部の班が戻らないならともかく、半分も戻らナイのは異常だ」


 別のオークは大した問題ではないと思っているようだが、リーダーは冷静だった。

 いくら本能に忠実なマモノとは言え、半分ものオークが命令を無視して行動するのはあり得ない。何か異常事態が起こっているのだとリーダーは悟った。


(まさか……先手を打たれタカ?)


 もしも半分のオークが戻らないのではなく、戻れない状態なのだとしたら。自分達オーク軍は後手に回っていることになる。既にこの地区に入り込んだ時点で戦いは始まっていたのかもしれない。リーダーの額に汗が浮かんだ。


「お、見ろよボス。残りの班が戻ってきたゼ」

「む……」


 それを安心させるかのように、別のオークがある方向を指差す。その方向には薄暗くて見えづらいが、何十もの影がこちらに向かってきていた。

 どうやら杞憂だったようだ。無事残りの班も戻ってきた。リーダーがそう安心しそうになった時、違和感を覚えた。


「マテ、何か変だ。あの班……数が多すぎるぞ」

「それにアレは……オークじゃなぞ。ナンダ、アレはナンダ……っ?」


 こちらに向かってきている影は、明らかに自分達より数が多すぎた。そして近づいてくるごとにその姿もはっきりし、自分達とは違う見た目をしていることに気がついた。

 デコボコの長い鼻と耳に、赤黒く醜い肌、目は死んだ魚のように濁っており、黄ばんだ歯が並んだ口からは唾液が垂れている。なんと醜い生物だろう。

 ソレが今、群れをなして自分達に向かってきている。


「グギャギャギャギャギャギャギャッ!!」

「ゴババババァァアァァァァア!!!!」

「ギギャシャアァァアアアッ!!!」


 奇声、それとも威嚇なのだろうか。ゴブリン達は一斉に叫び出すと同時に走り出し、各々手にしている槍や斧を振り回してオーク達に攻撃を仕掛けた。それは津波の如き勢いで、奇声と相まってまさしく災害が押し寄せてくるようだった。


「敵ダ……!! 全員戦闘体制ィィイ!!!」

「イッ……敵!?」

「ま、魔法少女か!? ドコから……」


 リーダーが指示を飛ばすが、既に遅かった。

 猛烈な勢いで走ってきたゴブリン達はあっという間に拠点に入り込み、圧倒的な数の暴力でオーク達を蹂躙し始めた。

 抵抗されないように数体で頭に飛びかかり、手足を拘束し、地面に倒す。そのまま槍で突き刺し、斧で頭を割り、棍棒で潰す。反撃などする暇は与えない。全て肉だるまへと変えていく。


「ギャアァァアアッ!? い、いでぇぇぇ!!」

「やめ、やめろッ……! ウグアァァアア!?」

「な、何なんだコイツらはぁあああぁ!!?」


 状況を読み込めていないオーク達はただ悲鳴を上げることしか出来ない。あっという間に視界は赤く染まり、全てがゴブリンに埋め尽くされていく。

 そんな中、すぐに異変に気がつけたリーダーとその近くに居たオーク達だけがゴブリンの波から何とか逃れていた。塀を登って少しでもゴブリンから距離を取り、槍を振るって威嚇する。


「コイツらは、ゴブリン? ナゼ同胞が我らヲ……」


 ここでようやくリーダーは自分達を襲ってきているのはゴブリンだと認識出来た。同時に疑問を抱く。ゴブリンはオークと同じ“マモノ”だ。自分達マモノの世界にもゴブリンは生息している。では何故自分達を襲ってきているのか? いくら知能が低いからとは言え、ここまで明確に敵意を向けて来るのは何か違和感がある。


(イヤ、違う、コイツらは我らと同じ“マモノ”ではない……!)


 オークはゴブリン達から感じられる魔力が異質であることに気がついた。自分達マモノと似た魔力の匂いを持っているが、別のナニカも混ざっている。ということはこのゴブリン達は純粋なゴブリンではないということだ。恐らくは作られ、マモノを襲うように教育されている。ーーーーだとすれば、このゴブリン達を作った者は何者だ?


「グゲェェ……た、助けてくれぇ……リーダーァァ……」

「ウ……ァ……」


 グチャリと、隣に居たオークの顔が潰れた。いつの間にかゴブリン達は塀を登り、リーダーの側までやって来ていた。見れば自分の周りに居た護衛のオーク達も既にゴブリン達に喰われ始めている。リーダーの口からマモノとは思えない情けない声が漏れた。


「ォァアァアアアアアッ!!!」


 力任せに槍を振り回し、リーダーのオークは狭い道を目指して走り出す。既に軍は崩壊した。今襲われている同胞達を助けることも叶わないだろう。ならばもうリーダーに残された道は逃走だけだった。


「はー……はー……! ドウナッテいるんだ……! 何なのだあのゴブリン共は……!?」


 分からない、分からない。何もかもが分からない。あのゴブリン達はどこからやって来たのか、何故あそこまで強く、統率の取れた動きで襲って来るのか、全てが分からない。

 オークはとにかく走った。地下街へと潜り込み、更に奥深くへと進んでいく。そして狭い通路を抜けると、ある場所へと辿り着いた。


 人工物で作られた通路とは違う、ドクドクと脈打った肉壁の広がる通路。まるで生き物の腹の中のような異質な空間。その通路の先には肉が集まり、門のような形となっている。門は水を張ったように黒い液体が広がっており、全てを飲み込むかのように蠢いていた。


「ト、トニカク……今はこの情報を持ち帰らなければ……!」


 この肉の門こそマモノの世界と人間界を繋ぐ異界の門、通称“ゲート”と呼ばれている。マモノ達はこれを介して人間界へとやって来ているのだ。

 オークはその肉の門に近づき、手を伸ばす。その時、背後から足音が聞こえた。


「ああ、なるほど、そこにあったんだ。“ゲート”」

「ーーーーーッ!?」


 すぐさまオークは振り返り、槍を構える。するとそこには黒いドレスを纏った少女が立っていた。華奢な身体つきをしており、無表情のせいか何だか生気を感じさせない、まるで人形のようだ。オークが腕を握れば簡単に折れてしまいそうな程、その雰囲気は弱々しい。普通のオークが彼女を見れば間違いなく弱い人間だと判断し、甚振り、弄ぼうとしただろう。だがリーダーのオークは今目の前に居る少女が異常な存在であることを見抜いていた。


「オ、オマエ……は……?」

「中々見つからないから苦労したんだ……ありがとうね。道案内」


 オークの質問には答えず、少女は感謝の言葉を伝える。すると彼女の背後から無数のゴブリン達が現れた。だが先程までオーク達を嬲り殺していたゴブリン達はその凶暴性を一切見せず、まるで少女に付き従うかのように整列している。

 先程の少女の発言、少女に従うゴブリン達、それを見てオークは理解した。そうか、自分はずっと彼女の手の平の上だったのか。最初からこのゲートを見つけ出す為の作戦だったのだ。


「オマエがーーーーー“悪魔”か!!!」


 オークは理解した。今目の前に居る少女こそが自分達の探していた魔法少女だと。そして自分達が相手にしては決してならない最悪の存在だったのだと。その理解は、あまりにも手遅れすぎた。


「悪魔やら黒姫やら……誰も私のことを魔法少女名で呼んでくれない……あ、食べていいよ」


 少女はそう言うとヒラリと手を払う。次の瞬間、大人しく整列していたゴブリン達が牙を剥き、武器を掲げてオークへと飛び掛かった。


「「「グギャギャギャギャギャギャギャギャギャァアアアァア!!!!」」」


 オークは顔を掴まれ、四肢を引き千切られ、悲鳴を上げることも出来ず生きたままゴブリン達に捕食された。噴水のように噴き出した血の一滴が、少女の頬に付着する。彼女はつまらなそうにソレを手で拭った。

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