第16話

「珍しい⁉こんなに早起きするなんて!」


僕は、母さんの驚いた声を背に支度をしている。もうすぐで部活をやめて二週間ぐらいが経っただろうか。朝練がなくなってからは早起きする理由もなくなったため、自然と遅起きとなっていた。休日も同様に。今日は週末の土曜日。休日だ。でも、僕は早起きをしていた。そう、今日はマスリリスのライブの日。


「今日はちょっと用事かあるからね!」


今日は身体も声色もなんだか軽い気がする。僕は不思議な気分だった。今まで有名人とやらに自分から会いに行くなんてしたことない。まして、会いに行こうなんて思ったことがない。でも、今日は初めて会ってみたくて会いに行く。今の僕にとっては画面の中の人。本当はこんなにかっこいい人たちは実在していないのかもしれない。


「用事ってなに?」


母さんは小首をかしげながら僕に疑問をぶつけてくる。


「……アイドルのイベントに行くんだ。」


少しためらいながら正直に答える。アイドルは家族受けが悪いって少し聞いたことがある。けれど僕の性格上、ちゃんと言わないと気が済まない。嘘をついてまで行っても楽しくない、それが僕の考えだった。


「そう。楽しそうでよかったわ。」


母さんはそれだけ言い残して、朝の支度に戻っていった。あれ?思っていた反応と違ったけど、良かった。これで気兼ねなく楽しめるぞ!溢れそうになるワクワクを精一杯抑えつつ、僕は玄関に向かった。今日はスニーカーを履いていこう。学校用の靴とテニスシューズ以外の靴を履くなんていつぶりだろう。僕には一足しかない貴重な靴のひもをぎゅっと固く結んで、僕は玄関のドアを開けた。


「行ってきます!」


僕の声はリビングに、いや、家全体に響いていた。



 僕の家から会場までは電車で四駅ほどいった所。家から駅までは徒歩十数分で行ける。家を出ると僕はイヤホンを耳へ突っ込み、音楽をかける。もちろん、マスリリスの曲だ。まだ一枚しかシングルは出していないため、曲も四曲しかない。ちょうど一周する頃に到着するだろう。外は雲一つない真っ青な空。お出かけ日和といった感じ。灰色のアスファルトの端っこに力強く生えている雑草も青々としている。もうすぐ涼しくなってきてもよい季節なのだが、僕の額にはうっすら汗が滲んでいた。



調べた通りに会場の最寄り駅で降りると、そこには僕の家の周辺とは違った都会が姿を現す。これまでの所要時間はマスリリスの四曲しか入っていないプレイリストの二周?二周半?ぐらいだ。


「ここからはどうやって行くんだっけ?」


ここから会場までは徒歩で行くことになっている。僕は駅を出たすぐで端っこに寄り、スマホを取り出した。


「ここから右に行って……その後は少し道なり……」


僕の性分として、こういうのは最後まで調べないと気が済まない。


「最後に左に曲がれば着くな…よし。」


そう僕の中で決断ができたとき、僕には予想外のことが起こった。


「あの……」


突然僕に話しかけてきたのは、白のパーカーを着た男の子だった。僕より背が低くて、髪の毛は男の子にしては少し長め。もしかして、女の子なのか?いや、男の子だよな。黒の肩掛けショルダーバックのひもを片手でぎゅっと握り、もう片手にはスマホが握られている。バックについている缶バッチのマークに見覚えがある。そうか、この子もマスリリスのライブに行くんだ。


「もしかして、マスリリスのライブに行きますか⁉」


僕はテンションが上がり、声が上擦っていたかもしれない。


「そうです!もしかして、お兄さんもですか?」

「そうです!そうです!」


その男の子の不安そうな顔も笑顔に変わっていった。なんだか急に仲間ができたみたいで嬉しかった。一回でいいのに二回も『そうです』っていたのは、テンションの過剰上昇による副作用だ。


「よかった~…僕、方向音痴で……一人で行く自信なかったんですよ……僕、上原うえはら 來海くるみって言います!よろしくお願いします。」


來海はグイグイ距離を詰めていく。


「あっ…えっと…菅原 蒼です。」


來海の勢いに圧倒されてしまい挙動不審になってしまったが、そんな細かいことは來海の勢いには関係なかった。


「いや~ほんとによかった。ほんとに。」

「じゃあ、行きましょうか。」

「了解です!」


安堵の表情を浮かべていた來海だったが、今は元気よく出発の号令で敬礼をしている。なんだか忙しい人だな。それが僕の來海の第一印象となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る