第7話

「もう一本!」


日の傾いたグラウンドにテニス部の声が響く。念願だった強豪のテニス部に入ってもうすぐ一か月が経とうとしている。入部してから知ったが、強豪のテニス部であるため、推薦で入る人も多く、一般で入部する人の方が少ないこともあると。僕は一般入部。そんなことどうでもいい。強くなって見返せばいいだけ。そう思っていた。


「じゃあ、一般の子は体力作りで。推薦の子はコート入って!」


しかし、監督・コーチも『一般の人』には興味なんて無かった。僕みたいな『一般の人』にはテニスをできる環境なんてなかったのだ。毎日体力作りとボール拾いで終わる日々。コートが使えないイライラをぶつけながら僕はがむしゃらに部活に取り組んだ。



「今日の部活はここまで!」

「ありがとうございました!」


中学の時と同じようにテニス部全員で輪になって終わりの挨拶をする。中学の時より圧倒的に部員の人数が増えた。そのため、輪もその分大きくなっている。


「今日もラケット握ってないよ……」

「本当に…俺らテニス部だよな……」


数少ない一般入部の同級生は監督やコーチに聞かれないように愚痴をこぼしている。内心、同じように思っているが僕は愚痴を言わない。だって、負けたみたいじゃないか。



「よう!一般入部生ども!お前たちは楽でいいな~!こっちなんて毎日先輩にしごかれて大変大変!」


推薦の人たちはこれから自主練習。一般入部生にはその権利も与えられない。高校にはグラウンドに四面、少し離れたところに二面、合計六面テニスコートがある。それでも一般入部生に自主練習する場所はなかった。推薦生は毎日帰り支度を始めた一般入部生の近くで大きな声で話し出す。まるで自分の力を見せつけるかのように。こんなこと日常茶飯事である。一か月も経つとさすがに慣れてきた。推薦で入ってきたやつは毎日こんな感じ。嫌いにならないほうが不思議なぐらいだ。


鞄を自転車の後ろにくくりつけ、ラケットを背負い、勢いよく自転車をこぎたした。あたりはもう暗くなり始めている。高校は中学よりも遠い。加えて部活の時間も長くなった。そのため、自動的に帰る時間も中学の頃より遅くなっていた。



「おかえり~」


家に帰った後の僕たち日常は中学のころと全く変わらなかった。自分の部屋のドアを開けると、いつもの定位置に楓がいる。


「おかえり~やっぱり高校は遅いね~」


まったく、のんきなやつだ。通信制の高校に進学した楓は学校に行く日も少なく、僕より下校の時間は早い。僕から見てみれば、楓は高校生になっても何も変わっていない。自分の嫌なことから逃げてばかり。でも、僕は楓とは違う。うまくなりたいと思って入った強豪のテニス部。あんな逆風なんかに負けてたまるか。今の僕は楓より頑張っている。そう、絶対に。そう心の中でつぶやきながら、僕は何も言わずにラケットを定位置に片付けた。


「ねえ、高校のテニス部ってどんな感じなの?やっぱり厳しい?」

「普通だよ」

「普通ってどんな感じなの?」


『テニスがしたくてもできない』苦しみなんて、楓に言ったってわからない。こんな逃げてばかりの奴に分かるはずがない。言っても無駄だ。小首をかしげている楓を無視して片づけを進めるが、楓は話し始める。


「やっぱり中学とは違うの?」

「ほとんど中学と同じ」

「そんなわけないでしょ!」


楓の口調が荒くなった。なんで楓が怒っているのか分からない。僕は楓の質問にちゃんと答えている。ろくに学校に行っていないやつの固定概念。今そんなのに付き合っている時間はない。



「もういいでしょ!こっちは遅くまで部活やって疲れてるの!」


僕は振り返って楓の顔に向かって思い切り言った。


「せっかく、話振ってあげてるのにそんな言い方ないでしょ!」


もうしつこい。学校でも家でも僕の邪魔をするやつばかり。いつの間にかけんか腰になった二人は一緒に勉強するときに使っていた足の短い小さなテーブルを挟んで向かい合ったまま立ちつくしている。僕は頑張ろうとしているのに頑張っていないやつが邪魔をする。僕が頑張ろうとするのはそんなに惨めな事のか。僕の努力はそんなに醜いのか。僕の心の中でピンと張った糸が切れてしまったような音がした。


「僕は頼んでない!どうせ一日中家の中でゴロゴロしてるんだろ。毎日学校行けよ。」


「私だって、行けたら毎日学校行ってるよ……」


楓の荒々しかった声はみるみるかぼそい声となっていき、僕の部屋は静けさが包み込んだ。

窓の外はもう真っ暗になっている。夜という場所に合わない太陽という存在は地平線の下へと身を隠している。自分の『フィールド』は僕には無いのだろう。推薦のやつも楓も準備された『フィールド』で不細工な輝きを放っているだけ。それの何が美しいのだろうか。二人はまだ立ちつくしたまま。



沈黙を破ったのは楓だった。この何も起こらない重々しい雰囲気に耐えられなくなったのだろう。楓はドアを勢いよく開けて出ていった。楓の目には涙が浮かんでいるように見えたが、今の僕には知ったこっちゃない。


「楽をしているやつが一番嫌いだ……」




「何があったの⁉」


次に勢いよく開いたドアの先には母さんがいた。楓は母さんの問いかけにも答えず僕の家を飛び出していったらしい。僕はその場に膝を抱えて座り込んだまま動かない。強いて言えば眼球は動いているだろうか。母さんはドアの前で仁王立ちしている。怒り出すと思ったが、そうではなさそう。母さんの眉毛はハの字を描いて困っているような顔をしている。僕は何も言わない。登場人物が変わった沈黙の時間がまた始まるのかと思ったが、母さんはすぐに口を開いた。


「夕食できているから。」


母さんはそれだけ言ってドアを閉めた。ドアの外で階段を下りる足音だけが僕の家にひどく。僕はベッドにうつ伏せになった。


「悪いのは全部楽している奴だ。」

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