第84話







 実際の時間はおそらく5分も経っていなかっただろうが、私たちにとっては永遠にも近しいような感覚だった。あと少し、彼女が何も言わなかったら私が声を発していた、そんなタイミングで彼女は言った。


「分かった。もとより覚悟していたことだ。私の身一つで救われるならそれでいい」


 グロリア・ルドベックは誰よりも正しさを求める、厳しくも優しい善人である。故に婚前交渉すらよく思っていない。貴族としてそういった知識は人並にあるだろうが、それでもそういった行為は、結婚を前提とした相手のみと行うべきだと考えている。


 増してやルイスのような悪党に身を売るなんて、一考の余地もないほどに忌むべきことである。それでも、彼女は自らの意思でそれを選ぶことができる。彼女が信じる正しさのために。



 彼女の覚悟を聞き、私はまた何かをなくしてしまった気がする。もう取り返しのつかないところまで来てしまった、そんな予感がした。……いや、これでいいんだ。覚悟は決めたじゃないか。グロリア先輩の覚悟を感じたのなら、それに対して私も悪役として覚悟を見せるべきだ。


「ふふふ、賢明な判断だ。民は感謝するだろうな。いや、知らないままの方がいいか? なあ?」


 内心がどうであれ、笑顔は絶やさない。悪役として相応しい態度を最後まで、それこそ私が断罪される最後まで貫き通そう。それが私の、原作の知識を持って生まれ、悪役ルイスとして生を享けた私の役割だ。



 覚悟を決めた私の挑発に、グロリア先輩は激昂するかと思ったけど、そうはならなかった。一度受け入れてしまえば、案外そういうものだろうか。さて、ここからどう動くべきか。そんなことを考えた私の出鼻を挫くように、先にグロリア先輩が動いた。


「なあ、その前に一つ教えてくれ」

「何だ?」


 安易に聞かなければ良かった。そうすれば、葛藤も後悔ももう少し少なかったかもしれない。


「君は本当に悪人なのか? 誰かに言われて、命令されて、こんなことをしているんじゃないのか?」


 それはこの場に似つかわしくない、気遣いと優しさに満ち溢れた問いだった。今日ここに来て、まだそんなことを言う、いや、のか。……グロリア先輩はどこまでいってもきっと堕ちないんだな。



 正直ここで意見を翻すこともできなくはない。今までのは全部冗談だったと、笑い混じりに言えるだろう。冗談にしては悪辣すぎるが、その後の対応でなんとでもなる。


 ああ、もしも私に前世の記憶なんて蘇らなかったら。そうしたら、グロリア先輩と良好な関係を築けたのかもしれない。何も知らないまま、普通にこの世界の住人として、楽しく生を送ったかもしれない。あるいは記憶がなければ、ルイスはゲームのルイスのままで、傲慢に振舞い、悪役としてその役目を全うしたのかもしれない。


 でも、そんな都合のいいはない。私は記憶を取り戻した、そして決意した。ならば、過去はそれだけで、今もこれからも変わることはない。最終的な未来をよりよいものにするために、私はルイスを演じ切るだけだ。


「安心しろ。俺はまごうことなき悪人だ」

「……そう、か」


 残念そうな顔を見せる先輩に思うところがないでもなかったが、もう無視だ無視。邪魔な気持ちなんか捨て置け。私は悪役ルイス。忘れそうになったら何度でも思い出そう。


 さあ、ここからが本番だ。いかにアランが来るまでの時間を稼ぎつつ、それでいてグロリア先輩を追い込むか、私の演技力にかかっている。ちゃんと考えてきていた。どうすれば、効率的にグロリア先輩の精神を削れるか。そして、なおかつダメージの少ない方法を。


「じゃあまずは、外側から一枚ずつ脱いでもらおうとするか。じっくりと、自分の立場を確かめるようにな」


 出した結論をそのまま言うと、グロリア先輩は一瞬私を睨みつけ、すぐに自分の置かれた状況を思い出したのか、目を閉じる。そして、静かに『分かった』と答えた。そう、これでいい。どれだけ軽蔑されようと構わない。それが私の役目だから。



 無言のまま、するすると上着から脱いでいくグロリア先輩。薄暗く静かな部屋に、その服を脱ぐ布の擦れた音だけが響く。しゅる、と煽情的な音に、隠そうとしても隠しきれない恥ずかしさのために赤らめた頬に、隠すように身をよじるその仕草に、そそられつつも私は目的を見失ってはいなかった。だからこそ焦っていた。まだか、アランはまだ来ないのか。 



 今は冬に近い秋とはいえ、身に着けているものの数には限界があった。何枚かの上着、長い靴下、それにネクタイも外せば、残るのは心もとない装備だけだった。だけど、覚悟を決めた彼女は止まらない。恥ずかしさは抑えられずとも、それでも気丈に振舞う。



 まずい、それ以上は本当にまずい。そう思っていたときだった。彼女にとって、いや多分彼女以上に私にとっての救世主の足音が外から聞こえてきた。流石は、エリーだ。ちゃんとやってくれた。最高のタイミングと言うには、若干遅いがぎりぎりで間に合った。



 我らが主人公、アランはようやく舞台に上がってきた。























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