第83話
ついにその日は来た。忘れることなく、グロリア先輩には集合場所の書かれたメモは渡してある。適当な人物を見つけるのは少し手間がかかったが、生徒会長として日々忙しくしている彼女の机にメモを忍ばせるのはそこまで難しいわけではなかった。後は、グロリア先輩にこちらに来る気があるかどうかだ。
前世であれば、スマホかなんかですぐに返信を確認できたものだが、生憎ここは剣と魔法の世界、そんな科学技術の結晶みたいなものは望むべくもなかった。あるいは、魔法や魔道具で似たようなことはできるのかもしれないけど、今ここに存在しないならそれはないも同じだ。
放課後、誰もいない薄暗い学園の隅で1人、彼女を待つ。ここは、まだ学園が貴族にしか解放されていなかった時代に使われていた教室で、今や忘れ去られ、ほとんど人は来ないことは確認済みだ。何より、イベントシーンで見たことがあるのが決め手だった。
まさか、彼女は来ないのでは? 計画の失敗が脳裏を過ぎったそのとき、足音が静かなこの建物に響き渡った。来た! 彼女だ! 姿は見えなくとも分かる。理由は分からない、だけどその音、その響き、何よりその空気がここに向かってくる人物を彼女、グロリア先輩だということを如実に示していた。
私は瞬時にさきほどまでの気を抜いていた体勢を立て直し、いかにも物語の悪役といった格好を取る。
くだらないことを考えている内心を表情に出さないよう注意しつつ、件の人物が現れるのを待つ。少しもしないうちにその人物は、目の前に現れた。いついかなるときも立派な立ち居振る舞いを崩さず、正しきを貫く、王侯貴族の鑑のような存在。グロリア先輩はここに来て、開口一番言い放つ。
「貴様、私の家に、家族に何をした?」
義憤に駆られたグロリア先輩の表情は、いつもの凛としたそれとは異なり、険しくこちらを睨みつけていた。その目に込められた憤怒は、長く貴族をやってきた私をして寒気を覚えさせるほどであったが、怯んではいけない。ここで虚栄を張らずしてどこで張ると言うのか。
「一週間ぶりに会って、初めての言葉がそれか?」
「貴様が先に喧嘩を売っただろう」
少し挑発すれば、すぐに怒りの言葉が返ってくる。声こそ抑えているものの、かなり怒りに染まっているようだった。良い感じに視野が狭くなっているようで何より。何も悪くないグロリア先輩を怒らせるのはなかなかに心に来るものではあったが、計画は計画、痛む心など無視すればいい。計画は遂行されるためにあるのだ。
「まあいい、まずは来てくれたことに感謝しよう。それで、誠意を見せてくれるつもりにはなってくれたのかな?」
「抜かせ。今日ここに来たのは悪事の証拠を集めるためだ」
「——ほう、俺が何かした証拠を見つけたのか?」
私が問えば、彼女は答えに窮した。証拠などあるはずがない。なぜなら私は何もしていないのだから。事実として彼女の家は厳しい状況に追い込まれている。しかし、そこには誰の悪意も介在していない。ただ善良で、故にこそ商売下手なルドベック家が不況に喘いでいるだけだ。
そこにほんの少しの嘘を垂らす。
「っだが、この脅迫こそがゆるぎない証左だ」
「脅迫? いつ俺がそんなことを? 俺はただ、貴殿の家を心配しているだけだ」
ここに来て、エリーの言葉が助けになった。物語の悪役って回りくどいことを言うから、いつもカッコつけてんなって思っていたけど相手に言質を取られないようにするためでもあったのか。
「貴殿はいつも憶測ばかりだ。……一週間あった。ここに来ているということは、ルドベック領の実態を知ったのだろうが、そこに俺の悪意は見つかったか?」
「ぐっ、それはっ——。だが、いつか」
「いつか、だと? どれだけ時間をかけるつもりだ? 果たしてその証拠とやらを見つけるまでにどれだけの民が苦しむことになるか、聡明な貴殿なら容易に想像がつくのでは?」
挑発に挑発を重ねる私。その言葉に対して、憤るでもなく、彼女はどこか分かっていたように、諦めたようにため息をついた。先ほどまでの様子が嘘のように、彼女はおとなしくなった。何をする気だ? 注意深く動向を見張っていると、彼女は静かに言った。
「何が、望みだ? どうすれば、私の家を助けてくれる?」
震え、絞り出したような声、それでも他に人のいないここでは十分に響き渡った。彼女は悪しきを憎み、正しきをこよなく愛する生粋の善人。ゆえに
素晴らしい覚悟だ。ゲームでそうだったから、最初から予想していたことではあったものの、いざ目の前にするとその気品に圧倒される。だが、それでも言葉は紡ぐ。これこそがこの国のそしてヒロインたちの未来のためと信じて。
「そうだな。貴殿の、いいやグロリア・ルドベック、君の躰を対価にもらおうか」
「か、からだ?」
「そうだ。君のその躰を貪らせてくれれば、考慮しようじゃないか」
自分で言っておいてなんだが、本当に最低な人間だと思う。人の弱みに付け込み、脅す。悪意の塊だ。それでもシナリオを再現するために、私も覚悟を決めている。
覚悟を持ってそう言えば、彼女は初めて困惑したような姿を見せた。年相応の可愛らしい反応だったが、今はそれに反応している場合じゃない。
「ほ、本気で言っているのか? 私は仮にも伯爵家の人間だ。いかに貴様が公爵家としても手を出してただで済むはずがない」
「では、いいのか?」
私が問いかければ、彼女は黙った。それはそうだ。彼女に拒むという選択肢は存在しない。いや、もしくはあるのかもしれないが、彼女には見えていない。だからこそ、畳みかける。冷静さを取り戻される前に。
「君が身を捧げるだけで、君の領の人間は救われる。いい話じゃないか。1人の犠牲で大勢が救われる。だが君が拒めば、この話はなしだ。証拠でもなんでも探せばいい。その間にどれだけの人が苦しみ飢えようが、知ったことではないがな」
長い沈黙がこの場を支配した。彼女は今、何を考えているのか。私に推し量ることは出来なかったが、願わくば、私の望む答えを出してほしいところだ。
そうすれば、後はいい感じのタイミングでアランが来てくれるのを祈るだけ。大丈夫、エリーなら上手くやってくれる。なら私は私のすべきことをするだけ。計画の成功に手ごたえを感じながら、グロリア先輩の返答を待つ。
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