第81話
寮に戻ったころには辺りはすっかり暗くなっていた。見慣れた門をくぐり抜けると、その全容が見えてくる。初めのころこそ貴族でない子たちが多いこの寮で浮いていたが、今はもう打ち解けたと信じたい。
本当は一刻も早く部屋に戻り、思考を整理したいところであったが、そういうわけにもいかない。いつものように寮母のところに赴き、挨拶と寮の様子について聞かなければ。
私の通う王立学園は多くの民に幅広く門戸を開いている。大勢の貴族、そして平民が集う今のような形態になってからまだ日も浅く、たびたび衝突が起きる。生徒会長たる私は、そのトラブルを収める立場にある。
寮の住人の大半は平民であり、王都以外から通うことが難しいからと、寮に入ることが多い。しかし、私のように貴族でありながら寮に入る子も少ないながら当然いる。
ここに居る貴族の子は皆すべからく訳ありだ。私のように経済的な理由はまだいい方で、中にはほとんど家を追い出される体でここに住むことになった子もいる。私は伯爵家に連なるものであり、この寮では私が一番爵位が高い。だからこそ、私には彼ら彼女らを守る使命がある。それはどんな時も変わらない。
“いついかなる時も正しく善良であれ”。父と母によく言い聞かされたものだ。今では、私自身が自分に言い聞かせている。ルドベック家の名に恥じぬよう、常にそうあれと。生徒会長になったのも、大会で優勝したのもその一環だった。私は強く、正しく、何者の悪意にも屈さず、常に善良でなければならないのだ。
内心そんなことを考えながら、寮母のいる管理人室へ向かう。生徒会長をするようになってからか、内心と行動を切り離すことができるようになった気がする。貴族にとっては当然のことかもしれないが、ルドベック領では必要のなかった技術だ。
そうして歩いていけば、気のいい寮母の顔が見えた。この寮ができたころからいるらしい、その寮生に対する眼差しは我が子を見るようにも見えた。そんな優しい寮母に、私は自分の不安に万が一にも気取られることのないよう、意識して笑顔を張り直した。
「こんばんは」
「ああ、グロリアちゃんかい。いつもありがとうねえ」
「いえ、お気になさらず。今日の寮の様子はどうでしょう?」
「何にも問題ないさね。グロリアちゃんが生徒会長になってくれたおかげかね。前よりずっとトラブルが少ないよ」
「この身が少しでもお力になれているのなら幸いです。それでは」
寮母に軽く会釈をして、その場を後にする。とりあえず、何も問題は起きていないようで良かった。胸を撫で下ろしつつ、自分の部屋を足を向けた。
部屋に入り、荷物を素早く置いて、軽く湯を浴びる。さっと汗を流し、気持ちを切り替えると、やはり思い返されるのは、ルイス・ロベリヤとの一戦だった。なぜ彼はあんなことを言ったのか。彼の真意はどこにあるのか。やはり彼は唾棄すべき悪人なのか。剣を交えた後だというのに、分からないことばかりだった。
風呂から上がり、すぐさまペンを手に取る。王都からルドベック領までは、馬車で3日、早馬でも1日は必ずかかる。気軽に帰れるような距離にはない。普段は忙しく、手紙を書くことなどしなかったが、久しぶりに書いてみるのもいいだろう。
よし、とりあえずはこれでいい。後は、早馬でこれを出すだけだ。夜に出歩くのは規則に反するのだが、会長権限で押し切らせてもらい、夜のうちに手紙を出しておく。できるかぎり早く返信してくれるよう明記しておいたから、これで大丈夫だろう。
あれからルイス・ロベリヤが私に接触してくることはなかった。私も私で、生徒会としての仕事が忙しく、少し忘れかけていたころ、返信が届いた。私が手紙を出してから4日ほど経った日のことだった。
私は早く彼の言い分が真っ赤な嘘であることを証明したかった。私を惑わせるために放っただけの戯言で実際は何もしていないのだと。それは彼が悪い人ではないという剣を突き合わせた自分自身の直感による祈り、あるいは家族や民が苦しい目にあっていてほしくないという希望的観測だったかもしれなかった。
逸る気持ちで手紙を確認すれば、そこにあったのは、ある意味で予想通りな内容だった。私の父や母は善良で、優しい人間だ。貴族としては致命的なほど甘く、そして嘘をつかない。ゆえに分かる、本当に今が辛い状況なのだと。今年の夏は連日雨が降らず、収穫量が減る見込みであり、さらに、頼みの綱である紅茶の売り上げが最近落ちてしまっていると。
それでも、父たちは変わらずに優しく、そして強かった。最後の一節はこう締めくくられていた。
”ルドベック領は確かに今、苦境にある。しかし、ローラが気にすることはない。ルドベック領の民は皆優しい者ばかりだ。皆で助け合えば、乗り越えられぬ壁などない。こちらのことは私たちがなんとかするから、ローラは残り少ない学園生活を目一杯楽しみなさい。優勝おめでとう。ローラは私たちの、ルドベック領の誇りだ。”
だからこそ、私は固い覚悟を決めた。
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