第79話
「大丈夫⁉」
左腕を庇いつつ、控え室に戻ると、ネイビーが血相を変えて近寄ってくる。脂汗がにじみ出ているのが自分でも分かった。
「はあ、も、問題ない」
「問題ないって、そんな顔して、そんなわけないでしょ!」
「ふふっ、そうだよな。はあ、何か、冷やすものがあるか?」
私がそう聞くと、ネイビーはちょっと待ってて、と言って部屋を漁り出す。その間に私はソファへ身を投げ出した。左腕を見ると、痛々しいほどに青くなっていた。少し力をこめるだけで激痛が走った。多分骨折もしているだろうな。
骨折していたらどうするんだっけ。確か添え木かなんかで固定しないといけないよね。怪我のせいか少しぼおっとした頭でそんなことを考える。一瞬意識が飛んでいたのか気づいたらひんやりしたものが当てられていた。
「本当に大丈夫?」
隣に座ったネイビーにそう心配される。怪我をした私よりも、なお辛そうな表情を見ていると更に辛くなった気がした。
「ああ、おかげでだいぶ良くなった。だから、そんなに心配しなくていい」
正直に言えば、未だに熱を持った左腕はじんじん痛むし、精神を削って試合をしていたせいで疲労も酷かった。それでも、これ以上ネイビーに心配を掛けさせたくなくて、無理やり笑みを浮かべる。
私の内心を知ってか知らずか、ネイビーは『そう』と短く呟いた。続けて、この重い空気を変えようとネイビーは話題を振ってきた。
「にしても、惜しかったね。あの人、前の大会の優勝者なんでしょ? そんな人相手にあれだけ闘えたんだもん。後一歩届かなかったけど、それでもすごいよ!」
無理に明るく振舞っているのはひしひしと伝わってきたが、指摘はしない。……いや、できなかった。
怪我をして弱ったからか、それともさっきまで敵意に晒されていたからか、ネイビーのその単純な称賛が何よりうれしくて、言葉が詰まってしまったのだ。
「……ありがとう」
それでも、ひねり出すように感謝の言葉を口にした途端、こんこんとドアのノックされた音が静かな部屋に響いた。誰がこんなところに訪問しに来たのか。——まさか、グロリア先輩か? あり得る。あんな別れ方をした後だ。誰だって気になって仕方がないだろう。
こんな状態ではぼろを出しそうだから顔を合わせたくはなかったが、ネイビーと合わせるのも面倒なことになりそうだ。それなら私が対応した方がましか。
「俺が出よう」
そう言って、立ち上がろうとした瞬間、ズキンと稲妻に打たれたような衝撃を感じ、再び座り込んでしまう。
「やっぱりまだ痛むんでしょ? 私が出るから、無理しないで座ってて。すぐに帰ってもらうから」
ネイビーは私の肩を押さえつけ、そのまま立ち上がっていく。待って、と言う暇もなく、すたこらとドアに向かってしまった。ネイビーが、どなたですかと言いながら扉を開けた瞬間、その人物は飛び込んできた。
「ルイスさん、大丈夫ですか⁉」
一瞬にして、室温が5度くらい下がった気がした。なんで君が、セリがここにいる?
私が混乱しているとき、ネイビーもまた混乱していたようで、『ど、どちら様ですか?』と聞いていた。
一方、素性を問われたセリはと言えば、勝手に入ってきたことを今更ながらまずいと思ったのか、慌てて身なりを整えると、わざとらしく一つ咳払いをしてから話始める。
「申し遅れました。私はセリと申します」
「失礼ですが、ルイス様とはどのようなご関係で?」
「友達です!」
なぜか堂々とそう宣言するセリに私は頭を抱えたくなったが生憎と痛む左腕のせいで、できなかった。友達という単語を聞いたネイビーは目を輝かせていた。
「そうでしたか」
ええい、ちらちらとこっちを見るな。露骨に嬉しそうな顔でこちらを見られても反応に困る。セリが突然ポンと手を打った。
「あっ、こんなことしてる場合じゃありませんでしたね。ルイスさん、早く怪我したところ見せてください」
「別に必要ない」
「いいえ、見せてください」
痛いは痛かったが、セリに治してもらうのは違う。それは主人公のためのものだ。少なくとも悪役である私には必要のないものだ。
見せてください、いらない、と私たちが押し問答を続けていると、やりとりを不思議に思ったのか、ネイビーが輪に入ってくる。
「あの、どうして怪我を見たいのですか?」
「あっ、言い忘れてましたね。セリは実は聖女なんです」
「せいじょ? ……聖女様ですか⁉」
「はい、聖女です」
「そうですか。じゃ、じゃあルイスの怪我を治してください。お願いします」
「任せてください。そのためにここに来たんですから」
ああ、ネイビーも敵に回ってしまったか。そうして、味方のいない部屋で、二人にじりじりと迫られる。可愛い二人に迫られているこの状況に何か来るものがあったが、ゲームのシナリオ的に断った方が無難なのは目に見えていた。
「むやみやたらに人を癒してはいけないんじゃないか?」
「そうですけど、友達なんで大丈夫です」
いや大丈夫じゃないだろ、と突っ込むが、それに賛同する味方はこの場にはいなかった。
結局、迫る二人に片腕では勝つことはできず、ネイビーに抑えられ、左腕が白日のもとに晒された。痛々しい傷を見たセリは、特に表情を変えることもなく、その上に手を翳した。
「汝に癒しの奇跡を」
セリが厳かにそう唱えた瞬間、ぼうっと光が部屋中に立ち込めた。それは次第に私の腕に集まり、眩いほどの光を発した。
眩い光を直視したがために、ぼんやりしていた視界がもとに戻った時には、怪我があったとは考えられないくらい綺麗な腕がそこにはあった。痛むもすでになかった。すごいな、これが聖魔法か。
起きた出来事に気を取られていたが、少しして正気を取り戻す。事情がどうあれ治してくれたことには変わりなく、それには感謝しなければなるまい。
「……助かった。恩に着る」
「いえいえ、お友達ですから」
セリは聖女の名にふさわしい慈愛溢れる笑顔でそう答えた。さて、助けてくれた恩はあるが、それはそれとして、セリがこの場にいるのは結構まずい。セリには早急に帰ってもらわねば。
「ところで、こんなところに長居してもいいのか?」
「あ、そうでした。無理言って抜けてきたんでした。すみません、じゃあこれで」
来たときと同じように慌ただしく去っていくセリを見送って、ようやく一息つく。まさに嵐のような
「ルイス、聖女様と友達だったの⁉」
「……そうだな」
セリがいなくなった後、根掘り葉掘り聞いてくるネイビーを適当にあしらいつつ、今後のことに思いを馳せる。セリのことについては、もう考えるのはやめよう。とりあえず、グロリア先輩の方は上手くいっているんだから、大丈夫。セリに治してもらったおかげで行動にも支障はでない。
後は一週間後、グロリア先輩がどう動くかだけだ。
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