第58話






「あれは何でしょう?」

「おい」

「あ、あれおいしそうですね! あっちは何ですか?」

「ちょっと」

「あれは? あっちは? こっちは?」

「ちょっと待てって!」

「ふぇ?」


 今にも走り出そうとしていたセリは、私の大声でようやくこちらを振り返る。しかし、どうして止められたのかを理解できていないようで、不思議そうな顔をしていた。


「はあ、もう少し、落ち着きをだな」

「あっ、そうですよね。すみません。初めてがいっぱいで少し興奮しすぎちゃいました」


 セリと行動を共にしてから数分、私はその自由奔放さに振り回されていた。閉鎖的な空間で生きていた反動か、セリは少しでも興味のあるものを見つけるとすぐにそっちに向かってしまうのだ。


 さっきからずっとこの調子で、少し目を離せば途端にいなくなってしまう。子どものお守りでもしているような気分だった。セリには正体がばれないように髪色と印象を変える魔法をかけており、魔力の節約のためにも近くにいてほしかった。


 可愛い女の子と二人きりだというのに、ネイビーの時とは随分心持ちが違った。このままではアランたちとすれ違ったとしても気づけないかもしれない。一瞬も気の抜けない中、そんな思考を邪魔するかのように、セリが声を掛けてくる。


「ルイスさん、ルイスさん。あれおいしそうですよ」


 期待に満ちた目でセリはこちらを見てきた。セリが指差した先には、クレープ屋さんがあった。ここまで、小麦とクリームか何かの甘ったるい香りが漂ってきており、確かに美味しそうに見えた。



 教会から逃げ出してきた彼女は、案の定お金など持っていなかった。店頭のものをそのまま取ってしまうぐらい、常識知らずの箱入り娘だったのだから当然である。もちろん、そのときは慌てて商品を買って、ことなきを得たが。


 つまり、今セリは何か欲しいものがあったら、私が買ってあげる他ないのだ。きゅるんとしたまん丸お目目でこちらを見上げながら、おねだりする姿は何とも愛らしかった。が、そういうのはアランとのイベントでやるべきで、私が奪ってはいけない。そう、奪ってはいけないんだ……。


「これを食べたら、アランのところに行くからな?」

「はい! お兄さん、イチゴの入ったやつください」

「あいよ!」


 返事だけはいいんだから、全く。私は半ば呆れながら、セリの望み通りイチゴの入ったクレープを買った。嬉しそうに微笑むセリを見つつ、私はこれは必要経費、必要な過程と自分に言い聞かせる。


 先に相手の要望を聞くことで、今度は私の要望を聞いてもらうという高等テクニックなのだ。決して、私が彼女の可愛らしいおねだりを拒否することができなかったからではない。


 ついでなので、私も一つ買って一緒に食べた。食べ歩きという行為が新鮮なのか、楽しそうにクレープを食べる彼女の姿は眩しく見えた。


 食べ終えたら、アランのところに届けるだけ。簡単なお仕事だ。キナは何とか追い出して、是が非でもイベントを成功させるのだ。


 こんなに私が真剣に考えている間も、セリは相変わらず呑気にクレープを食べていた。


「あっ、クリームがついてるぞ」

「えっ、どこですか?」

「そっちじゃない、右の頬の方だ」

「こっちですか?」

「違う、君から見て右だ」


 どんな食べ方をしたらそこにつくのか。いくら初めてクレープを食べたにしても下手すぎだろう。両手でクレープを持ったセリは舌を伸ばして舐めとろうとする。幼さが残るその仕草は愛くるしいものだったが、どうにも届きそうになかった。


「ああ、もういいから。俺が取る」


 ポケットからハンカチを取り出して、頬を拭う。


「これでよし。——ん? どうした?」


 私が頬についたクリームを拭ってあげると、彼女は固まったように動かなくなってしまった。そんなにクリームが食べたかったのだろうか?


「あ、ありがとうございます」

「気にしなくていい」


 なんだか変な空気になってしまったが、問題はない。どうせ、すぐに別れることになる。後はとっととアランを見つけないと。


「よし、食べ終えたな? じゃあ、アラ……」

「お化け屋敷ですって! 行ってみましょう!」

「……それに行ったらアランのところに行くぞ」

「分かりました!」





「あ~、びっくりしました。こんなところにもお化けっているんですね」

「じゃあ……」

「そろそろお昼食べましょうよ。あっ、あのお店なんてどうですか?」

「仕方ないな。そしたら……」

「分かってますって」





「あのお店は何やってるんですか?」

「ん? ああ、型抜きだな。菓子に絵が描いてあるからそれに沿って、菓子を抜いていく遊びだ」

「へえ~、そうなんですか」

「っ、やっていくか?」

「えっ、いいんですか?」

「ああ」




 次で終わりと言い続け、私はセリと祭りの屋台を回りに回った。気が付けば、日が落ち始め、遠くの空が紅く彩られていった。



 ヒューと高くかすれたような音が空から響く。何事かと思い空を見上げれば、瞬間、鮮やかな花火が空に散った。一拍遅れて、パアンという大きな音と衝撃が私たちを襲った。つまりどういうことか、タイムオーバーだ。



「あっ、ルイスさん。私そろそろ帰らなきゃいけないみたいです」

「……そうか」


 結局今日一日中、彼女と付き合っただけで、何もできなかった。途中から気づいていた、今回も失敗だと。それを認めたくなくて、最後まであがいたがそれも意味はなかった。


「今日はいろいろありがとうございました。ルイスさんのおかげで、本当に楽しい一日になりました」

「それは良かった」


 まあ反省するのは後にして、今はこの満面の笑みを見れたことを喜ぶことにしよう。あ、でも口止めはしておかないと。


「今日、俺と一緒にいたことは黙っておくこと」

「どうしてですか?」

「あ~、いろいろと面倒だからだ。……そうだな、誰か親切な街の人に助けられたとでも言えばいい」

「……分かりました」

「じゃあ、ここから帰れるな?」

「はい、本当にありがとうございました」


 そうして、セリと分かれ私も帰路につく。はあ、イベントは起こせなかったか。って、おい。


「ちょっと? 教会は反対方向だぞ」

「あっ、そうですよね。あはは」

「はあ、一緒に行こう」

「最後までありがとうございます」


 結局教会の近くまでセリを送り、闇魔法を解除した。きちんと、教会の人たちに保護されたのを見て、改めて帰路につく。思い返せば、セリと夏祭りを楽しんだだけの今日だった。花火が鳴り響く街の中、私は一人とぼとぼと歩いた。












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