第56話
ちょっと待て、誰だ? ネイビーがここまでついてきちゃったのか? いや女の声だったけど、ネイビーの声ではなかった。じゃあ、警察か? 私が闇魔法を使ったからか? それとも、怪しい行動をしているように見えたか?
ばくばくと鳴り響く心臓の音がうるさかった。いくつもの候補が頭の中を過ぎっては消えていく。やましいことをしている自覚があるからだろうか、冷や汗が流れて動けなかった。
「聞いてます~?」
「あ、ああ、聞いている聞いている」
振り返るのが怖かったが、そんなことを言われては振り返るより他なかった。いざとなれば、闇魔法か公爵家の強権を発動でもして乗り切ればいい。私は自分を奮い立たせて、『何の用かな?』と言いながら振り返った。
後ろにいた人物を目にした瞬間すべての思考が停止してしまう。透き通るような肌、何もかもを見通すような目、流れるような長い白髪。
聖女セリ、その人がそこにはいた。声を掛けられたときからなんとなく予想していたものの、必死でその可能性を振り払っていたというのに。
会いたかった、確かに会いたかったが、こんなタイミングで会いたくはなかった。
「だから何をしていたのか、聞いているんですよ、ルイスさん」
しかも私がルイスだとばれているだと? 考えうる限り最悪な状況だった。い、いやかまをかけているだけという可能性もある。私からぼろを出しては相手の思うつぼだ。
「ふ、ふふ。どうやら、どなたかと勘違いしているようだ」
「も~、いくらセリでもクラスメートを間違えるわけないじゃないですか」
あっ、これはだめだ。完全に確信してるわ、これ。今まで立てていた作戦が全部、ぱあだ。ふっ、あはは、もう笑うしかない。私は額に手を当てて、静かに空を仰いだ。どこまでも青い空が目に痛かった。
「なあ、どうして分かったのか、聞いてもいいか?」
「え? だっていつもと同じじゃないですか。何か魔力のもやもやがかかってますけど。ってあれ、お腹はどうしたんですか? いつもみたいにふわふわしたお腹はどこ行っちゃったんですか?」
そう言いながらべたべたとお腹を触ってくるセリ。ばれると思っていなかったからお腹の綿は今日は入れていなかったのだ。もういいか、セリのしたいようにさせておこう。
お腹の辺りを触られながら、私はゲームのことを思い出していた。確かにセリには魔力自体が見えるという設定があったような気もする。特に本筋に関係なかったから、今の今まで忘れていた。
なるほど、つまり私の計画は最初から失敗し、あっ、ちょっとくすぐったいかも。こそばゆい感覚のせいで上手く思考できない。
「ふふっ、——あ~、淑女がそんなに男の体を触るもんじゃない」
「あっ、ごめんなさい。つい」
そう言うと、セリはようやく離れてくれた。ともすれば下手な貴族令嬢よりも箱入りな彼女は距離の詰め方がよく分かっていないようだ。こんな状況でもなければ楽しめたかもしれない。
そこで、私は不意に気付いた。彼女の言に私を責めるようなとげがなかったことに。つまり、単純に興味本位で聞いてきただけで、私を糾弾するような意思はないということだ。もしそうであるなら、セリの方から接触してくれたのはラッキーだったかもしれない。
まだ、巻き返しがきく。今からでもイベントに戻すことはできるはず。
「逆に君の方こそ何をしているんだ? こんなところにいてもいいものなのか?」
「あ、そうでした。今、セリは逃げている途中だったのを忘れてました」
抜けているとかもうそういうレベルじゃない。今の自分の状況も忘れるなんてどこまでポンコツなのだろうか? ——まあいい。そっちの方が簡単に誘導できるというものだ。
セリに闇魔法は効かないだろうから、初めからその選択肢はない。嘘でもなんでもいいからアランと一緒にいさせれば私の勝ちだ。
「それなら、あそこにいるアランに頼……ん?」
待て待て、どうしてそこにキナがいる? まだ魔法を解除したつもりはないぞ。私が混乱していると、いつの間にか隣に来ていたセリは気になることを口にした。
「あ、キナさんはアランさんと予定があったんですね」
「……どういうことだ?」
「先ほどばったりキナさんと会ったんですが、何やら体調が悪いご様子だったので、治して差し上げたんですよ」
「はっ?」
セリは少し胸を張りながらそんなことをのたまう。私はその言葉が信じられなかった、信じたくなかった。それでも現実は変わらない。
「あっ、これは言っちゃいけないんでした。内緒でお願いしますね?」
ウインクしながらお願いする姿は可愛かったが、聖女としてあまりに迂闊だ。ずっとこんな様子では、教会の人たちの苦労が絶えないだろう。顔も知らない誰かに同情することで、現実逃避しようとする。
「あっそうそう、キナさんもルイスさんと一緒の魔力を纏っていたので何かあったのかと思って声を掛けたんですよ。何があったんですか?」
うぐっ、まずい、まだ何も為せていないのに、疑いだけはかけられるって本当に最悪な展開だった。
「あ~、俺もキナが具合悪いと思って、何とかしようと思ったんだが上手くいかなかったようだな」
「そうだったんですか。まるでルイスさんの魔力がなくなったのと同時に元気になったように見えたのでびっくりしてたんです。そうですか、それなら良かったです」
私も良かったよ、セリがあんまり深く考えるようなタイプじゃなくて。これでとりあえずの窮地は脱したものの、これからどうすればいいのか。私は迷える子羊なのに、目の前の聖女に相談できなかったのが辛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます