第50話





 私との間にある机に手を置きながら立ち上がったエリーは確認するように聞く。


「あのとき貴方、私をあてがおうとしてたって言ったわね?」


 あてがうっていうのは生々しすぎるけど、まあ言わんとすることは分かる。あの倉庫にいたときもそう言ってたし、エリーにとって分かりやすいように覚えてもらえばいいか。


「ああ。よく覚えてたな」


 私がそう答えると、エリーはいつもより更に険のある顔になる。いや、笑顔は笑顔なんだよ、ただ目が一切笑っていないから、怖いんだよ。


 どんどん部屋の中の温度が低くなっていくように感じる。エリーがこっそり魔法を使っていると言われても不思議ではないくらいだ。冷や汗が止まらなかった。


「へえ、確か私の記憶が正しければ、私は貴方と婚約しているはずよね?」

「そ、そうだな。それが?」


 何が言いたいのかさっぱり分からない。私が不思議に思っていると、エリーは無言のまま机を回って、そのまま私の隣に座る。な、何か怒っているっぽいんだけど本当に何が原因か分からない。


「な、何で近づいてくるの?」


 その質問にエリーは答えない。そのままエリーはどんどん距離を詰めてくるので、じりじりと後退するも、ついに背中が肘掛けについて、逃げられなくなってしまう。ぐっと顔を近づけて、もうほとんど覆いかぶさるような体制でエリーは言った。


「つまり貴方は、私のことを、婚約者がありながら他の男にうつつを抜かし、貞操も守れないようなはしたない女だと、そう思っているってことよね?」


 顔が近い、そして曲解が酷い。そんなこと一ミリも思ったことがないのに。私は必死に首を横に振る。


「い、いえ滅相もないです」

「ホントに?」


 なおもジト目で見てくるエリーに、今度は首を縦に振ってその意思を示す。エリーは一度へそを曲げると、機嫌が直るのに時間がかかるのだ。前は、何で怒らせてしまったか忘れたけど、魔法によって凍らされて危うく風邪を引きそうになった。


 そんな私の必死さが伝わったのか、エリーは「なら、いいわ」とようやく体を引いてくれた。のしかかってくるような重圧がなくなり、ホッと一息をつく。危ないところだった、あのままだったら何かに目覚めてしまいそうだった。


 私から離れたエリーは何か考え込むように目を閉じた後、今度は静かに聞いてくる。


「それに、ルイスはどうなの? 私が他の人とそういう関係になってもなんとも思わないの?」


 さっきまでと違って、急にしおらしい様子になられると調子が狂う。いつもの強気な態度とのギャップにキュンとしてしまう。ついつい正直に嫌だと言いそうになり、すんでのところで思いとどまる。


 私とエリーの婚約はどのルートでも最終的に破棄されるのだ。だから私とエリーが結ばれることはない。でも私がもし嫌だと言ってしまえば、責任感が強く、約束を守るエリーは婚約に縛られてしまうだろう。


 今までの付き合いでエリーが超良い子だってことも知ってるし、このまま結婚できたらどんなにいいことか。私が前世のことを何も知らないただのルイスだったら良かった。


 でもそうではなかったんだ。結局別れることになるなら、私のせいでせっかくの青春を無駄にしてほしくない。アランと付き合うことはないかもだけど、他にいい人は現れるかもしれない。だから私は断腸の思いで、嘘をつく。


「ああ。もし、エリーに誰か好きな人ができたら応援したいと思っている。婚約があるからと諦めなくていいから」


 言った後で、これじゃさっきと同じように怒られるかもと気づく。少しびくびくしながら彼女の反応を待っていると、エリーは『そう』と短く返事するだけで他に何も言わなかった。どこか悲しそうに目を伏せている姿を見ていると、こう心が痛んでくる。


 これなら、感情のままに怒鳴られていた方が全然ましだった。沈んだ雰囲気を何とかしたくてとりあえず謝ってみる。


「ご、ごめん」

「……何が?」

「いや、何か悲しそうにしてるから。俺がまた変なこと言ったと思って」

「別にそんなこと、……ないわ」


 いや、それは絶対何かあるやつじゃん。でも言う気はなさそうだ。さっきまでの雰囲気はなくなったけど、少し気まずい。沈黙が私たちの間を支配した。


 緊張のせいか喉の渇きを覚え、紅茶を口に含む。いつもと変わらないネイビーの紅茶の味はいくらか私を落ち着かせてくれた。そうしていると隣のエリーから声が届く。


「というか、わざわざ私をあてがう必要があったわけ? いつも隣にいる子いるじゃない。ほら、キナとか言う」


 話を切り替える気なのはよく分かったが、私もそれに乗っかろう。それにその疑問はもっともなものだし。


 エリーはアランたちと面識はないはずなのに、キナのことまでよく知っていると思う。ただ、私もその問いの答えは知らない。しかし、よりゲームに近づけた方が確実なはず。


「いや、キナじゃだめなんだ。エリーとか特定の相手じゃないと」

「そうなの。——じゃあ、これからも誰かとアランをくっつけようとするわけ?」


 相変わらず頭の回転が速い。少ない情報からそこまで読み取れるのは素直に凄いと思う。『そうなるね』と答えると、エリーは衝撃的なことを話す。


「ふぅーん、じゃあ、私が手伝ってあげるわ」

「えっ、エリーが?」


 若干抜けているところがあるし、その、エロ要素的に伝えたくないこともあるから素直に喜べなかった。それにどういう風の吹き回しだろうか。


「そうよ。何か文句でもあるの?」

「い、いや、もちろんないよ、ははは」

「そうよ、感謝しなさい」


 断るつもりだったのに、エリーの勢いに負けて、思わず承諾してしまった。まあ実際考えれば、影響力が高く、かつヒロインたちと同性のエリーの協力を取り付けられたら楽になる部分もあるかもしれない。なってしまったことは仕方がない、楽観的に考えよう。

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