閑話 父の悪だくみ


 これまでの人生において、思うがままにならなかったことなど、数える程度しかない。


 幼少期に時点で自らの身に宿る武才を自覚し、戦場を駆けることで一財産を築き上げた。


 それを支度金とし、さらなる権力を求め、商の道へ。


 かくしてヴィクター・アルトリオンは巨万の富を得るに至り、庶民から伯爵へと成り上がったのである。


 それは一般人であれば望外の僥倖であろう。


 だが彼からしてみれば。

 まるで、足りてはいなかった。


 莫大な財力により、発言権こそ公爵にも匹敵するほどの状態ではあるが、階級はあくまでも伯爵でしかない。


 ヴィクターの最終目標は、世界の頂点である。


 彼からしてみれば、貴族という立場すらも通過点。

 いずれは王となり、他国を侵略し尽くした末に、世界を手中に収めてみせる、と。


 そんな欲望を達成するための駒として、ヴィクターは数多くの子供を設けた。


 己が躍進のみでは効率が悪い。

 そこに加え、子が成した手柄を己がものとすることで、より効率的に立身出世が可能ではないかと、そのように考えた結果、彼は大家族を持つに至ったのだ。


 中でも取り分け腕っ節が強く、操作が容易な愚息……即ち、ローグを中心とした

将来設計を、ヴィクターは練り上げていた。


 彼を次期当主として喧伝し、その存在感を強め続けることにより、親である自分の品格が底上げされていく。


 そんな考えのもと、ヴィクターは実に多大な労力を費やしてきた。

 そうだからこそ、今。



「――この、クソ馬鹿たれがぁあああああああああああああああああッッ!」



 一切の容赦なく。

 自分の思惑を台無しにしつつある愚息に対して、ヴィクターは鉄拳を叩き込んだ。


「ぼべえッ!?」


 鼻血を撒き散らしながら、ローグが壁面と吹っ飛んでいく。

 そんな彼へヴィクターは叫んだ。


「ゼクスなどに出し抜かれるとはッ! 恥を知れ、このゴミクズがッ!」


 父の暴言に対して、ローグはガタガタと震えることしか出来なかった。


 ヴィクターは剣を捨てて久しいものの、その身に宿りし武才は規格外である。

 醜く肥え太り、豚のような姿になってもなお、その戦闘能力はローグの遙か上を行く。


 ゆえに彼は怒り狂う父を前にして、


「も、申し訳ございません、父上ッ……!」


 平身低頭、謝り尽くすしかない。

 そんなローグの顔面を蹴っ飛ばしながら、ヴィクターはなおも叫ぶ。


「腸が煮えくりかえるとはまさにこのことだッ! ツヴェルクの娘を取り逃がしただけでも不愉快極まりないというのにッ! 唯一の取り柄である武才すらも、ゼクスに抜かれおったッ! 貴様には今や、なんの価値もないッッ!」


 今朝、ローグを呼びつけたのは元来、ツヴェルクの娘……ソニアとの縁談に関する問題を、追及するためだった。


 昨夜遅く、伝書鳩がもたらした紙面を目にした瞬間の衝撃は、きっと生涯忘れることはないだろう。


 ローグがソニアに手を上げたことを理由に、婚約を破棄させてもらう、と。

 そんな文面に続いて、ソニアの自己意思により、婚約者をローグからゼクスに変えるといった内容が並んでおり……


 その瞬間にローグを殺しに行かなかった自分を褒めてやりたいと、ヴィクターは心の底からそう思っている。


「貴様が自らの無能ぶりを晒したことで、儂の計画は、大半が破綻することとなった……! この怒り……貴様を八つ裂きにしてもッ! まるで収まらぬわッ!」


 怯えるローグへ、暴行を加えながら。

 ヴィクターは思索を巡らせる。


(現状は不都合極まりない……!)


(まず以て、儂はこのゴミを次期当主と喧伝して回っている……!)


(これを取り消して、その椅子にゼクスを座らせた場合)


(儂の立場を狙うクズ共は、我が先見性にケチを付けるだろう……!)


 そうなってしまったなら、彼のメンツは丸潰れとなる。

 何せヴィクターは商人として成り上がった男だ。

 その先見性が疑われるようなこととなれば、貴族社会において、「彼は思いの外、無能であった」と、そんな認識が広まりかねない。


(そうなったなら……)


(世界の頂点に君臨するといった我が計画は、破綻するだろう)


(成り上がるにしても、時間が足りぬ)


(おそらくは)


(大陸制覇の時点で、我が寿命は尽き果て……冥府へと向かうこととなろう)


 そのような推測を立てると、余計に腹が立ってきて。


「うぐッ……! お、お許しを……! お許しを、父上……!」


「やかましいッ! いっそここで死ねッッ!」


 慈悲を求める愚息への折檻を、一層強めつつ、


(いずれにしても、ゼクスが邪魔でならぬ)


(短絡的に考えれば、奴を排除する方向で動くこととなろうが……)


(十中八九、不可能であろうな)


 一目で理解した。

 彼が大化けしたという現実を。


(無能のそしりを受け、そのまま沈むだけだった存在)


(しかして、なんらかの切っ掛けにより豹変する)


(こういった人生を歩む者は、実に手強い)


 経験上、そのような手合いとは事を構えることをせず、味方に引き入れるか、無害な状態になるように手を回すか、どちらかが最適解となる。

 だが、今回の場合は、


(我が子であるということが、実に厄介だ……!)


(此度の一件……グインのそれも含めて)


(奴はきっと、否が応でも名を馳せていくだろう……!)


(そうなったなら、ことさらに)


 ローグという愚息を次期当主に立ててしまった自分が、愚者として扱われることとなる。


 これを、どのように対処すべきか。


 考えを巡らせた末に。

 ヴィクターは二つのプランを思い付いた。


 一つは……

 このまま、ローグを立てていくという内容。


 ヴィクターは現状、取るべき策を、それであると定めた。


「……ローグよ」


 暴行を止めて、静かに息子を見下ろしながら。

 ヴィクターは次の言葉を紡いだ。


「近く開催される天覧試合にて……ゼクスに、


 奴に勝て、ではなく、勝たせてやるというところが話のミソだが。

 ローグは戦闘能力以外には取り柄のない馬鹿であるため、父の言葉の真意をまったく掴むようなことはなく。


「お、お任せください父上! 大衆の面前にて、奴を血祭りに上げてやりますよ!」


 ついさっき打ちのめされたばかりだというのに、ローグは自力での勝利を疑ってはいない。


 この馬鹿さ加減に関しては、むしろ好ましいところだ。


 ヴィクターにとって次期当主に必要なのは、戦場にて活躍が可能な能力とコントロールのしやすさであって、それ以上のものは求めていない。


 そうだからこそ。

 第二のプランは、最終手段として捉えている。


(天覧試合は勝ち抜き戦)


(そのルールを突きさえすれば)


(ローグとゼクスの試合結果を操ることも、可能であろう)


(だが、もし)


(勝者がゼクスとなってしまった場合は……)


 自らに非がないという状況を整えた上で。

 ゼクスを、次期当主の座に就かせる。


 具体的には……

 ローグを、事故に見せかけて殺してしまおうという話だ。


(特別な事情もなく、次期当主をすげ替えたなら、儂の先見性が疑われよう)


(さりとて)


(ローグが若くして事故に遭い、命を落としたとすれば)


(次期当主をゼクスに変えたとて、儂を責めるような道理はない)


(せいぜい、父親としての管理責任を問われる程度であろう)


 その程度なら痛くも痒くもないわけだが、しかし。


(もしゼクスが次期当主となった場合……)


(短期的にはプラスとなるが、長期的には大きなマイナスとなろう)


(なにぶん、奴めはコントロールが利かぬ)


(ローグとは違い、もともと地頭はよかった)


(ここに加え、戦力まで得たとなれば)


 暗澹たる情念を息に乗せて吐き出すと、ヴィクターはローグに向けて一言。


「勝利以外の結果は、断じて許さぬ」


「もちろんですッ! 父上ッ!」


 即応する愚息を目にしながら、ヴィクターは思う。


 ゼクスがこの馬鹿と同等レベルの知性だったなら、このような気分になることもなかったろうに。


 自らのたねが優秀であるということを、生まれて初めて呪いながら――


 彼は再び、深々と溜息を吐いた。

 

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