多く失われた過去

 日の丸、有頂天めざすなか、椿一輪、馘首ざま落ちている。なんより踏まれか、平たく汚れ血の広がるらしくしている。傍だとあの深いっていた蜂だろか、地落ち六足縮めもう動かない。

 こういうことがある、十文太がこれら一輪、昆虫が共倒れるを見さげ、そう心理へ呟言した。休むつど暇するし、冬の花見ここへひとつ拝見しよう、この意図で、また朝から散策し、意図浅ましきため惨いことに行き当たるものだと悔いる。

 汚れ押し花うえ、角ある椿、盛ん咲く。まだあの蕾は丸い包みままである。悔いた心の和らぎ、そっと立ち退ける余裕がする。もうここ区切り踵返るところ、朝冷えの身へ沁みらせ、家までに肩は高くこごまる。

 家に、有閑らしく妻しずか頁捲る音ゆっくりさしていた。音の手元だと洋服雑誌があった。覗いてくる十文太を厄介がるか、椅子より浅かった腰どころを深くした。雑誌は顔の盾とした。そう気性に守られては、口利きがたい。喉おし、舌に乗せるほど事があるのでないから、帰った報だけ唇ですると、えぇと盾越し唇のみな声である。対面へ座るに苦し、十文太が畳間ほうへ離れ、寝転ぶ。

 仰向け、頭の斜交い、布団は二枚折り重なって部屋隅でおとなしい。電灯あかるい。この明るさを仰向く成りゆき従い、じっと見詰める。

 なんらか不服が、妻よくする盾さし隣部屋にて頁くる音さしている。良肢位せど、易からない。こう影多く姿させず、気を悪しく寝苦しければ、いつから滅入っているかと八年ごし懐古、はやる。

 初め機嫌いい母の手より、姿を写真で知った。まとう振袖へ、まつわる梅花、枝さきまで尽くし、帯の金糸ほつれが儚もようと、ほんとう一世の栄華あつらえられていた。だのに、この栄華一身添えるその人が、澄んだ闇夜の雪ごとく底からぼぉうと冷えた顔浮かばしている。栄華裡へある、散った、枯れるを予感される。見合い写真をし、こんな妙な感じを起こされる。如何知りたげ、にんまりする母には、

「跳ねっかえりそうだ」

 とする。

 仕掛け人なおにんまりし、

「笑うのは得意でない、先鋒すらさとって無愛想はすみませんだそうなの」

 としてきた。母、補足つづけ、器量がいい、家庭一式できる、気丈、あのころあった良妻像ならべそろえ、この縁なかなかだから受けるのでしょとの押しがあった。

 列挙され、また跳ねっかえる反り強くなる。それでも青春気ない十文太によれば、ある一定は所帯じみねば、生きていく道があまり寂しい。それにそこまで拍子がいいなら望外もの。ただそこで母のいいまま安請け合うを癪で、しばし待ったかけ、あたかも迷い装う。いい頃合いにとっく臍固めたものを、熟考ののち決断したよう見せかけた。

 料亭ひと間へ両縁者ならぶうち実寸で会う彼女、やはり栄枯ある格好だった。やがて縁者双方から立ち退き、ふたりきりである。縁者らから話拾い成った場だから、話種の抜ければ、灯心の尽きたようであった。ふたりから挟まれる机上だと、尾頭された鯛は時の静したらしい据わった目玉に天井を眺めてあった。ここに馴初めふたりし目落としていた。

 さきこの目玉を嫌ったは、十文太である。

「だいぶ広うなったもんです」

 静謐やぶらぬ素早さに、彼女は首もたげる。

「なにがです」

「ひと間が」

「多人を失いましたから」

 彼女がとなり空いてる座布団の温み撫でた。慈しむに細まる瞳が撫でる手へ注ぐ。よく冷めた顔とて優しさが一瞬間あった。見惚れていれば、不図、彼女からあった。

「あんまり密やかはあいいれませんか」

「いえ、僕も常はこの静けさです」

「私もそれです」

「ではあえて語る荷が重い」

「もう降ろし、楽でいましょう」

「言葉甘んじ、ありがとう」

 微笑みあい、それが逸れあえば黙る。心地いつもどおりまで落ちつくうち、彼女との無言を穏当に思う。たまの二、三、交わすが何気なく嬉しい。お開きとなれば、向こうがどうだと委細わからぬまま帰り、それからすぐ縁談これっきりとならず、順風すすんだ。

 机挟み惚れた人が角隠しとなりで凛といる。十文太はまっさら銀の指輪をつけさし、生きる道が息吹いてくるをいっそう自覚した。

 思い出、返る帰ると、いまにこの頁めくる音が、なんの意図しずただ健やかに流れていく。瞼落ち、まどろむ。覚めれば昼食が呼ばれる。

 席へ着く際し、君いまでもこのくらい静かでいいかいと十文太がすれば、えぇと淡白があった。

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