第2話 逃げ道
結局、翌日になってもいい案は浮かばなかった。枕元におけば夢の中で何か閃くかと思ったが、そういう話ではなかったらしい。
金庫の中の金も確認し、いよいよ現実味を帯びて来た。二ヶ月でデザインし、裁縫する。どうしてそんなこと。
もちろん、このまま仕事を放棄してしまって、二ヶ月後耳を揃えて三千万を返す。そういう手段もある。モデルと名乗った女性の名前を俺は知らない、連絡先ひとつ持ってない。それに、「これはお受けできません」という趣旨の言葉を幾度も投げかけたのにも関わらず、彼女は出ていってしまったわけだから、別に「言ったとおりお受けできません」と言って返して仕舞えば済む話だ。なぜ連絡しないのか、と問われても、連絡先を持ってないと一言返せば済む。
それなのにどうして、俺はデザイン図と睨めっこして、あまつさえリメイクに取りかかろうとしているのか?
…俺もそこまで非常な人間では無いということだ。なにより、デザインの大元はよくできている。つまり、少しばかり純粋なやる気が生まれる。…あとは、評判が落ちるのが怖い。三千万をポンと出せるモデルに悪評を囁かれて仕舞えば、この店は終わる。そんな末路は避けたい。
しかし。それについて一つ、不可解な点がある。それは、三千万も出せるモデルの姿を、俺がメディアで一度も見た記憶がないということ。確かにONとOFFで多少なり雰囲気が変わるのは当然のことだ。しかし、全く知っているモデルとかすらないのはおかしい。顔も隠れておらず、メイクもしてあった。パッと見ただけでも、あれが最善だとわかる。
では、彼女は誰か?
背筋が寒くなる。もしこれが、犯罪に巻き込まれるような仕事だとしたらどうしよう。でも、犯罪であるとしてどういう意図なのか。ドレスに何か、薬や盗んだ宝石を仕込むのか。でもそうしたって、俺に罪をなすりつけてしまったら換金はできないわけで…。
そもそも、俺に本物の三千万を預けている時点で、金目当ての犯罪としてはおかしい。
一つ深呼吸をする。大丈夫。俺はいいアイデアが浮かんだら仕事をこなして、そうでなければお金とデザイン図を返して仕舞えばいい。
棚を引き、紙を取り出す。まずは細部を詰めていくために。
赤くてひらひらしたドレス。所々に丸い、おそらくパールのようなものが施してある。至極シンプルであり、独自性に富んだものではない。
裏の方は大きなリボンがついている。レースもついていて見栄えもいい。
しかし、色にメリハリがなさすぎる。白を中心に、いくつかアクセントを入れていく。装飾品もいくつか増やし、リボンの付け方も今風のものに変える。
紙の状態からしても、十年は経っている。ところどころに古さを感じるのは仕方のないことだった。
夢中になっていたようで、気づけば、閉店時間を数分過ぎていた。慌てて玄関に赴き、クローズの看板を手に取る。
「あっ」
声の方を見る。
「…あ」
「ねえ、もう閉店?昨日何も書かず出ていってしまったから、電話番号とか必要だと思って描きにきたのだけれど」
「…あー、はい、お入りください。私も、連絡手段がなく困っていたところです」
逃げ道が一つ消えた。そう思ってしまった。
扉を大きく開け、看板をかけてから中に入れる。
「あっ!もうこんなに進めてくれたの?」
机の上に起きっぱなしなデザイン図を手に取られていた。
「あ…はい。これから型紙に起こすので…まだ半分も行ってない状態ですが。」
「ふうん、そうなの?でもいいじゃない。こういうの、うん、私の想像と一緒、むしろそれよりいいかも」
納得がいっているようで、いろいろな角度から紙を見ていた。
その間に、机から注文書を取り出す。ついでにポールペンも。
「では、こちらに記入をお願いします」
「はあい」
女性らしい、しなやかな字をさらさらかいて、差し出す。
「書けたよ」
サッと目を通す。名前は
職業は…自営業。
「…はい。では、また何かありましたら連絡します」
「うん」
仕事の合間にきたのか、慌ただしく席を立った。
「二ヶ月、過ぎてもいいから、過ぎるなら連絡して。それ以外は大丈夫」
「…承知しました」
ランウェイを歩くというから、てっきり二ヶ月と少し後にファッションショーでもあるのかと思った。
「…楽しみに待ってるから。それじゃあ」
そう言い、踵を返す。
やっぱり、この人はモデルじゃ無い。起業家か何か。
「お見送りします」
「どうも」
玄関先、通りを曲がるまで見送って、ドアを閉めた。今日の店じまいはいつもより三十分も遅かった。
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