仕立て屋さん ロン
南雲甘菜
第1話 不思議な依頼人
デザイナーになりたかったから、デザイン系の大学に進んだ。しかし、そこで学んだことは上には上があるということ、それだけだった。俺よりもずっと頭が良く、デザイン力があり、目を奪う作品を作ることができる人が、この世にはごまんといる。そんななか、俺と似たデザインもあり、それならばなぜ俺が作る必要があるのか。何もわからなくなり、学校は卒業だけし、仕立て屋として働くことにした。
日々目新しいデザインに触れることができ、嫉妬で狂いそうな仕事。それなのにこの仕事を選んだのは、ただ逃げられないから。俺は、一生涯、デザインと過ごし続ける。どれほど辛くてもそうでなければいけない、そうでありたい。
仕立て屋の仕事は、日夜注文を受け、その通りに裁縫をすること。手先が器用で何度も助かった。もしかしたら、この仕事が天職だったのかもしれない、と思えるほど。
それでも、商品をみせ、渡す瞬間。その瞬間だけは慣れない。デザインに心躍り、ふわりと口元を上げる表情。その顔を引き出したのが、もし俺だったら。そんな妄想をしながら、笑顔を作り、丁寧に袋に入れ、渡す。
「ありがとうございます」
明確では無いにしろ、確かに語尾が上がっている。喜んで、浮き上がりそうになっている。
いつも、思う。どのような日にこの服を着るのですか?どうしてこの服を?この系統のデザイナーなら、こんなデザイナーもいますよ。
いくらそう言いたくても口を噤むしか無い。新しい商品の余韻に浸らせ、少なくとも店を出るまでは、喜んだままでいてもらう。それだけはプライドがあり、信念として持っていた。それが正しい仕立て屋の形だろうし。
そんなことを考えながら、この仕事で働き、五年が経ったころ。がらんがらんと、少し錆びついた鈴の音を響かせ、その人は入ってきた。木造の、建て付けが悪く、よく言えばアンティークで、悪く言えば古臭い、入り口。それがまるで絵画かのように似合っている、長い黒髪のお淑やかに映る女性。
「…いらっしゃいませ」
服の注文だろう。まっすぐカウンターへと向かってくる。席を立つ。
「服を、作って欲しいの」
「はい。設計図など、お持ちでしょうか?」
「貴方、神山よね。
返事にならない質問。
「はあ、そうです」
そう返すと、目の奥をキラキラさせる。目力が強い。
「あなたに、服を、作って欲しいの」
「…はい?」
「何度も言わせないで!あなたに服を作って欲しいの。あなたがデザインして、裁縫して、袋に入れたものを、私に渡して欲しいの。できるわよね?デザイン系の大学出てるもの。期間はそう、ニヶ月?それぐらいでいいわ」
早口で捲し立てられる。ほんの少しの隙間に滑り込ませるように、言葉を挟む。
「お待ちください、私はデザイナーではありません。大学はその系統を出ましたけど、その様子だと知っていますよね?私が仕立て屋として働いていること」
「それが何?実力があるのだから作ることぐらいできるでしょ。心配しなくてもお金ならいくらでもあるから」
「そういう問題じゃ…」
ガンッと大きな音を立て、アタッシュケースをカウンターに置く。叩きつけるの方が正しいかもしれない。
音が頭に響き、目線がアタッシュケースに固定される。
金。膨大な量で、規格外な金。それが入った開かれることのないそれを、開くことを促すように顔を上げる。彼女はすまし顔で腕を組んでいるだけ。そして、ようやくそこで、SPのような人物が周りに立っていることに気づいた。絵画のような佇まいに気を取られ、周りの人物を認識できずにいたのだ。
ああこの人、多分、政治家か何かだ。それがこんな辺鄙な街の店に、無名の俺に、どうして依頼をしにきたのか。限りなく面倒ごとの匂いがする。
俺のうんざりした顔に気づくか気づかないか、周りを見渡しながらいう。
「あのね、この中に、何円入ってると思う?」
「い、1000万?」
指を、さんぼん、立てる。
「…はあッ!?」
「あはは」
何がおかしいのか、素っ頓狂な声を上げた俺を笑う。急にそんな額目の前に出されて、変な声を上げるなという方が難しい話だというのに。
「お引き取りください、もっと専門的な方に、専門的な店で頼むほうが良いお金の使い方をすることができます。どこで私の評判をお聞きになったのか存じ上げませんが、きっとその方は過大評価をしたのです」
「何回言わせるの。あなたがいいのだけど」
「…」
SPらしき人の方に目線をやる。色の入ったメガネで、目線はわかりそうにない。
「はあ…。無理です。こんな大金をいただいても、私はそれに見合った仕事などできません。お引き取り──」
「わかった。わかりました。あのね、私は、モデルです」
「はあ…?」
「あなたの服を着て、ランウェイを歩きたいの」
「それはまた、どうして」
「…」
少しばかり思案して、彼女はSPの方に指を向けクイクイ動かした。その様子を見て、SPは鞄からファイルを取り出し、一枚の紙を差し出してくる。
「…これは」
真っ赤なドレスがそこに描かれていた。もっとも、デザインはいいものの細部はごまかしてあり、絵はガタガタで、横にぐちゃぐちゃの文字が書いてあり、お世辞にもまともなデザイナーが書いたものとは言えない。
「これを“今のあなた”に改良してもらって、服を作って欲しいの。いいわね。やってね。三千万で、絶対にやって」
「…改良って」
「流石にこれじゃあダメでしょ?全体はいいけど細部とか…とりあえず金は前払いでここに置くから、じゃあね」
時計を見て、慌ただしく踵を返していった。
「いや、あの、ちょ!」
慌ててカウンターを飛び出し跡を追う。しかし、店から出たところですぐ見えなくなってしまった。なにより店の従業員は俺一人、三千万も置いてきてある。
「はあああ…」
深くため息をつき、店の中に戻る。結局最後まで開かれなかったアタッシュケースに手をやり、息をひとつ飲んで開ける。
「…う、わ」
紛うことなき一万円札。それが(およそ)百万円ごとに束になり、三十個。
とんでも無い仕事だ。もしこの金を警察に届けても、なにか疑われそうだ。
横にあるデザイン図と、アタッシュケースの中の金を見比べる。妙にマッチしていて、まるでおとぎ話の中に迷い込んだかのようだった。変なドレスにおかしい金。ああ、これが夢ならよかったのに。
とりあえず金を金庫に入れ、クローズの看板をかけた。今日はデザイン図を枕の下に置き、早めに寝ることにした。
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