第63話 好きはよく分からない

 さて、心羽みうの許可は得たわけだ。

 

 心奏かなでは自分の席に戻りながら考える。

 こうやって、肝心な時は自分で決められないのは本当に不甲斐ないことなのだけれど、誰かに付き合って欲しいなんて言われた経験は一度も無かった。許して欲しい。

 なんて誰にでもなく頭の中で呟きながら、更に考える。


 結局自分で決めろと言われてしまった以上、決めるのは自分だ。


 ……決められないんだが。


 扉に着いた鈴が鳴る。カフェにありがちなオシャレな音色が、今だけは死へのカウントダウンのように聞こえてしまった。

 いや、誰も死にはしないけど。


 死にはしないと分かっているが、目の前に座り直した心春こはるが悪魔に見えて来た。付き合いたいと言ってくれたところ本当に申し訳ないとは思っているのだけれど。


 ふぅ、と息を漏らし、心春こはるはじっと心奏かなでを見る。ただ、平静をよそっていた表情もしばらく眺めるうちに頬が赤くなっていく。


 ……なるほど、可愛いかもしれない。


 可愛い生き物なんてこの世に猫と小説の中のヒロインくらいだと思っていたが、そうか、案外近くにいたんだな。

 心春こはるは確かに小説の主人公が無意識に手を繋いできて照れるヒロインや、いつもは冷たいのにたまに甘えてくるヒロインに通ずる可愛さを持っている。そんな可愛さとは別にこの一年間積み上げて来た信頼もある。

 一緒に喋っていて楽しいし、心春こはるの顔はぼやけない。名前もしっかりと覚えている。きっと、心奏かなでにとって普通じゃない関係にある。それこそ、大切と呼ぶべき存在なのかもしれない。


 何かを待つように、気まずげに目を逸らし続ける心春こはるに言う。


「受けようと思う、その依頼」

「い、依頼って……私と付き合うのは、クエスト感覚ってこと?」

「ただのクエストじゃないな、メインクエストだ」

「何それ、それで私が喜ぶと思ってるの?」


 刺々しい口調ながらも、心春こはるははにかんでいた。


「俺が気に入らないか?」

「気に入らない。心の底から気に入らない。生意気だし。もう少し慌ててくれると思ったんだけどな。あんまり女の子に慣れてないみたいだし、そういうもんじゃないのかな」


 困ったような笑顔を浮かべていた。その上目は心奏かなでを責めるように細まる。そこに浮かぶのは何とも形容しがたい表情だった。でも、落ち着かない様子の体を揺らしながら、心春こはるは期待していた。


「それじゃあ、これからよろしく」

「なんだよ改まって」

「そりゃ、関係が新しくなるんだから改まるでしょ。改まんないの?」

「どういう質問だよ、聞いたことないぞ」

「言葉のまんまの意味でしょうが」


 こうして、正式に恋人同士になった。

 恋人記念、というわけではないが一緒に寿司を食べたし、その後少し歩いたりもした。何だかそれだけの時間が楽しくて、確かに小説に出てくるような恋人と似ていると思えた。

 また今度、と言って駅で別れ、家へと続く道のりを余韻に包まれながらゆっくりと歩く。


 どこかぽわぽわとしていて、暖かくて。お風呂に使っているような安心感と温かさが、外界に触れるとゆっくり自分の体から離れて行く。そんな心地よさと心地悪さの境界で、心奏かなでは誰にも聞こえないように呟く。


「これが好き、ってことなんだろうか」

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