第27話 石西心梛

 水族館を歩き回ったことで乳酸のたまった足を適度にほぐしながら、心梛ここなは浴槽に張られたお風呂に肩まで浸かっていた。


「今日、楽しかったなぁ……えへへ」


 ほんのりと頬が赤く染まったのはお風呂の熱のせいか果たして。

 心梛ここなは一人呟きながら、にへらと笑みを浮かべる。緩まり切った、安心しきった笑みである。


心奏かなで君、雰囲気変わったよね。少しだけ、優しくなった。昔みたい」


 はっきりとした実感はないけれど、ずっと一緒に良いたからかそう思う。もしかするとこれまでおかれていた適度な距離のせいで気付かなかっただけなのかもしれないし、むしろ優しさに触れられていなかっただけでずっと優しかったのかもしれない。

 ただなんというか、心梛ここなに対してちゃんと向き合ってくれているような気がした。


「……心奏かなで君にはもう、好きな人がいるのかな」


 心奏 《かなで》君は以前、同じ趣味を持つ女の子と遊びに出掛けたことがあった。もしかすると、その子のことが好きだったりするのだろうか。もしそうだとしたら


「妬けちゃうなぁ……」


 だって心梛ここな心奏かなでと十年以上一緒にいるのだ。

 いつしか心奏かなでの君のことを好きだと意識し始めて、かれこれ数年の片思い。心奏かなで君はどう思っているんだろうか。嫌われては、いないはず。面倒がられたり、鬱陶しく思われてもいないはずだ。

 少なからず、好印象なのは間違いない。でもそこに異性として好きになる決定打が無いのも確かなのかもしれない。


 心梛ここな心奏かなではあまりにも友達でいる時間が長すぎたから。今更その関係を変えることを、だれも望んでいないのかもしれない、


「ううん、私はもう、心奏かなでと付き合うって、決めてるんだから」


 石西心梛ここなは雛沢心奏かなでのことが好き。これは紛れもない事実であって、今になってようやく伝えたいと思い始めた初恋だ。


「でも、いざ伝えようとすると……うぅ」


 一気に熱くなったのぼせた体を、心梛ここなはお風呂の外に出した。


 心梛ここな心奏かなで心羽みうをはっきりと友達だと思い始めたのは小学生の頃から。それ以前はあまり記憶力も認識力も無かったため、気付いたら近くにいる人のように思っていた。

 友達と言う言葉を意識し始め、二人が友達だと気付いてからは本当に毎日が楽しかった。一緒にいるだけで楽しくて、お話ししたり、遊んだりするのが誕生日のように特別に感じられた。


 その特別が日常になる度に、特別が特別じゃなくなっていったんだと思う。いつも考えるんだ。


「私と心奏かなで君が一緒にいることが、特別な事だったら。少しは意識して貰えたのかな」


 ため息交じりの呟きは、ドライヤーの音へと消えて行った。

 

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