第26話 お帰り

「あら、お帰り」

「ただいま」

「どう、楽しかった?」


 家の前で分かれ、一人家のリビングに入った心奏かなでを迎えたのはアイスを咥えた心羽みうだった。


心梛ここなが嬉しそうにしてたし、まあな」

「私は心奏かなでに楽しかったか聞いてんのよ」

「そんなこと言われても、分からん」

「ふ~ん、心梛ここながそれ聞いたら悲しむわよ」


 自室に向けようとした足を、思わず止めた。

 心梛ここながもし、楽しんでいたのが自分だけで、楽しそうにしていると思った心奏かなでが実は楽しいと感じていなかったと知ったら。そこに心奏かなでの悪意があろうとなかろうと、傷ついてしまうかもしれない。


「……楽しかった。久しぶりに泳ぐ魚を見たし、イルカショーも迫力があった。たぶん、楽しかったよ」

「よろしい。それで? お土産は?」

「お土産って……別に遠出したわけでもないんだが」

「ばーか、あんたからは期待してないわよ。どうせ心梛ここなから貰ってるんでしょ?」


 こいつ、エスパーかなんかか。

 見つからと面倒だからと思って鞄の中にしまっておいた、あそこの水族館限定のクッキーセットを取り出す。


「あとで父さんと母さんにだけ渡すつもりだったんだけどな」

「なによ、私が一人で全部食べちゃうみたいに言わないで」

「ほとんど食べるだろうが」

「否定はしないわ」

「もう少し悪びれたらどうなんだ……」


 心羽みうの表情に申し訳なさは微塵も感じられず、むしろクッキーが楽しみで仕方ないというような、今にも飼い主に飛びつく犬のように目を輝かせていた。まったく、食い意地が張っていることだ。


「断りはしたんだけどな。いつもお世話になっているからって聞かなくて」

「良いことじゃない。いつでも行けるかもしれない、特段珍しいものじゃないかもしれない。でも、気持ちを行動で示すって言うのは難しいことなのよ?」


 心羽みうは早速クッキーの入った缶を開いて封を一つ取った。


「自分がどう思っているか、相手にどう思って欲しいのか。それを誠心誠意行動で示す。心梛ここなは律儀で義理堅いから、そうやって私たちとの関係を円滑に続けて行きたいと思っているのよ」

「そういうもんなのかねぇ」

「友人をもの同然に捉えている心奏かなでには分からないでしょうね」


 心奏かなでは一瞬クッキーに伸ばし掛けた手を止める。心羽ここなの口調に棘は無かった。きっと、普段の冗談の類なのだろう。けれどその言葉は不思議と心奏かなでの胸に突き刺さる。

 

 俺は本当に、友達をもの同然に捉えているのだろうか。だとしたらそれは、極めて失礼で最低なことなのではないか。


 心奏かなでが考え込む姿を見て、心羽みうはクッキーを食べるために大きく開いた口を閉じた。


「何を感知がしているか分からないけど、安心しなさい。友達をもの同然に考えている人は世の中に五万といるわ」

「……でも、だからっていいことではないだろ?」

「いいかどうかはさておいて、世の中には人以外のものを愛し、人以外を心底大切にし、人以外を生涯かけて守ったり高めたりする人がいる。人を人と思わないことは、必ずしもそれ即ちその人のことを蔑んだり侮辱しているってことではないわ」


 クッキーを食べる乾いた音が響いて、心羽みうは少しだけ遠い目をした。


「ただそれが、少しだけ虚しいことだって気付くまでは、別に続けてたっていいのよ。心奏かなで心奏かなでらしく、少しずつ人との接し方を覚えて行きなさい」

「……そうするよ」


 心奏かなでは一つ呟いて踵を返した。


「クッキーいらないの?」

「やめとく。でも、残しておいてくれよ」

「当然でしょ。ご飯前だし、これ一枚にしておくわよ」


 心羽みうはそう言って、最後の一欠けらを口に放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る