第25話 確かな距離で

「面白かったね、イルカショー。久しぶりに見たけど、改めて見るとイルカってあんなに可愛かったんだ」

「そうだな、迫力もあったし」


 イルカショーを見終えるとちょうど昼時。人が少なくなってくることもあり、順路を辿る人並に抗って心奏かなで心梛ここなは水族館の魚たちを見て回っていた。


「私ね、お魚ってあんまり好きじゃなかったの」

「そうなのか? 水族館、好きそうだと思ってた」

「ううん、水族館は好きだった。お魚ってさ、水の中を泳ぐでしょ? 覚えてるかな。私、昔はすっごい泳ぎが苦手で。今でもあんまり得意じゃないんだけど」

「ああ、確かに。溺れかけたこともあったか」

「まあ、小さくても足が付くような浅瀬だったんだけどね。慌てちゃって。その時助けてくれたのは心奏かなで君だった」

「そんなこともあったな」


 誰よりも体力があり余っていて、誰よりも遊ぶことが好きだった心梛ここなだったけど、その実運動能力が高いわけではなかった。小学生の頃に子ども用の浅いプールで足を滑らせ、顔が付いてから慌て始めた心梛ここなが溺れかけたことがあった。

 そこで近くにいた心奏かなでが支えて上げたことで特に何もなく助かったわけだ。


「だからかな。その頃から水の中もそうだけど、水の中で泳いでいる物も怖くなっちゃって」

「水を浴びるのは好きなのにか?」

「好きだった、ね。うん、だって水は好きだったもん。好きだったけど、自分が中に入るのは嫌だったんだ」

「トラウマってやつか?」

心奏かなで君、デリカシー」


 注意されてしまった。確かに、今の発言は配慮に欠けたかもしれない。


「……まあ、トラウマって程酷くは無かったかな。お風呂とかは問題なかったし。今ではもう泳げるしね」

「克服したってことか」

「克服したって言うか……心奏かなで君、覚えてないの?」

「え、何のことだ?」


 何かしただろうか。記憶を辿ってみるが、思い出せない。

 心奏かなでが訪ねると、私も実はあんまり覚えてないんだけどね、と苦笑いを浮かべて心梛ここなが言った。


「嫌いなものを好きになるより、好きな物を好きでい続けることのほうがずっと難しい。だから好きなものを好きでいるための練習に、嫌いなものを好きになってみればいい。今になって思い出してみるとあんまり意味が分からないんだけど、当時の私は心奏かなで君のそんな言葉で泳ぐことを少しずつ好きになれたんだよ」

「……俺、そんなこと言ったか?」

「うん。あれはたぶん、中学生になってすぐの頃じゃなかったかな。何の脈略も無く、そんなことを言ってきた」

「やばい、全然覚えてない」


 何だその意味不明な発言は。クソダサいじゃないか。完全に黒歴史である。


「ふふっ、心奏かなで君心ここにあらずって感じだったからね。何か他の考え事してたのかなって思ってた」

「ますますわからないな……まあいっか。それで、今は魚が好きなのか?」

「うん、可愛い。昨日までは普通だったけど、今日心奏かなで君と一緒にここに来て、一緒に見た魚たちは皆好きになった」

「そうか。心梛ここなが嬉しそうでよかった」


 なんだか恥ずかしい思いこそしたが、心梛ここなが楽しめたのならそれでいい。今日の心奏かなでは、自分でも及第点を付けられそうだった。

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