第23話 水族館

「わぁぁぁっ、お魚、可愛いね」

「そうだな」


 水族館にやって来てみると、想像よりも空いていた。まあ人気だったり評判がよかったりするような水族館ではない。おかげで混雑した中を細々と見る羽目になることはなく、心梛ここなは存分に楽しめている様子だった。

 心梛ここなが水槽を覗き込むのを、俺も隣から覗いてみる。縦に細い黄色っぽい体の魚が小さな泡を立てながら泳いでいる。これが可愛い、のか。心奏かなでにはよく分からなかった。


 ふと気になって隣の心梛ここなを見てみる。心奏かなでよりも一回り小さい体で、目を輝かせながら水槽の中を眺めている。そんな無邪気な姿はやっぱり昔から変わらないらしい。

 と、しばらく眺めていると心梛ここながこちらを向いて来た。


「あっ……」

 

 小さく口を開いた直後、頬を赤くして後退り。

 急にどうしたんだろうと思っていたけれど、小さな水槽を二人で覗き込んでいたものだから距離が近くなり過ぎていたようだと心梛ここなが離れたことでちょうどよくなった距離感で心奏かなでは察した。


「な、な、ぁっ……」

「悪い、ちょっと近すぎたな」

「いぁ、そんなこ、とっ」


 あわあわと口を開いたり閉じたりしながら目を回し、心梛ここなはかなり動揺した様子で慌てていた。昔を考えればこのくらいの距離感は日常茶飯事だったが、もう高校生にもなって互いに思春期も迎えている。興味も無い男であろうとも、近づかれたら同様位するよな。

 でも、そんなに驚くことか?


「えっと、大丈夫か?」

「ちょ、待ってね。すぅー、はぁー、すぅー、はぁー。……も、もう大丈夫っ」


 深呼吸の後にそういった心梛ここなの頬は、水族館の暗がりの中でも分かるくらいには赤いまんまだった。


「流石に混んで来たな」

「そうだね。やっぱりイルカショーだけは人気なんだ」

「だけって言うなよ……」


 ゴールデンウィークが翌週に控え、わざわざ普通の休日に水族館に来る人は少ないかと思っていたのだが、イルカショーが始まる時間になると人が増えてきていた。そうは言っても埋まったのは会場の座席の半分ほどになる。

 心奏かなでと《ここな》が座ったのは、真ん中よりも少し後ろの方だった。


 少し下の方を見てみると、かっぱを被った子どもたちが嬉しそうにはしゃいでいた。それを見て心梛ここなはおおらかな表情を笑みを浮かべていた。


「楽しそうだね」

「前に行くか?」

「う、ううん、着替えも持ってきてないから。でも、私も小さい頃はあんな感じだったのかな、って」

「確かに、俺もあんな感じだったかもな」


 イルカショー。もちろんイルカが見せてくれる動きも見ものなのだが、当時は水がかかって来ることが純粋に楽しみだったように思う。イルカが何をしているかなんて、しっかりと見た覚えが無かった。

 そういえば、あの頃は素直に全力で楽しめていたのだろうか。今の心奏かなでには水浴びを楽しみにする子どもたちの気持ちは欠片も理解できないでいた。


「あ、そろそろ始まるみたいだよ」


 そういえば心梛ここなはどうなのだろうか。着替えもないしと、濡れることを嫌がった心梛ここなだけれど、着替えがあれば水浴びを本気で楽しめる子ども心をまだ持っているのだろうか。それともやはり、とっくに大人になってしまった心梛ここな心奏かなでと一緒で、楽しむ気持ちなど無くしてしまっているのだろうか。

 そんなことを聞く気にはなれなかったけれど、ただ、隣でイルカショーの始まりを今か今かと待つ心梛ここなが、やはり昔の彼女と重なって見えてしまうのだ。

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