第10話 2年2組の教室

「じゃあまたね、心奏かなで君」

「髪の毛切ったからって調子乗るんじゃないわよ」

「そんなことで調子に乗ったりなんてしない」


 心奏かなではため息混じりにいいながら2年1組の教室に入っていく心羽みう心梛ここなを見送る。

 そして自身の所属するクラス、2年2組へと入っていく。


新嶋にいじまさんは……」


 半ば当然のように教室を見渡した心奏かなでが探すのは心音ここねだった。先日のチャットへの返事をしようかなと思ってのことだったのだが、いかんせん顔を良く覚えていない。

 結局ぱっと見で見つけることはできなかった。


「まあ、後でいいか」


 土曜日にアニメを見たようだったし、もしかしたらあちらから話し掛けてくるかもしれない。そう思いながら心奏かなでは自身の席に向かう。鞄を机の横にかけ、机の中に仕舞っていた本を取り出す。

 先週まで読んでいたページを探して、視線を落とす。


 読書をしていると周りのことが気にならなくなる。言い方を変えるのなら本の世界へと入り込むことが出来る。雑音が消え、ざわついた教室の笑い声が聞こえなくなる。自分の席でただ一人、自分だけがこの世界にいるんじゃないか錯覚する。


「――君、ひ――」


 ふと、やけに近くから声がする気がした。この教室で心奏かなでに話しかける人などいないはずなので気のせいに違いはないのだが、集中が破られてしまったのもあり心奏かなでは声の主を探して顔を上げる。

 そこには、見覚えのあるボブカットの女子生徒がいた。


「あ、やっと気づいた。雛沢君凄い集中力だね」

「え? えっと、まあ」


 誰、だっけ。見覚えがあるのは間違いない。それにこのシチュエーション、つい最近……。

 そこまで考えて、目の前の彼女が探していた人物であることに気付いた。


「あ、新嶋さん」

「ん? どうかした?」

「ああいや、なんでもない」

「そう?」


 見覚えがあると思ったら当然だ。先週、こんな風に顔を見上げたばかりだった。幾らなんでも一週間前に見た顔を、心羽みうと両親と心梛ここな、それに美容院のお姉さん以外にまともに見た数少ない顔を忘れてしまうなんて病院に行ったほうがいいのではないだろうか。

 そう思いながらも、心奏かなでは心の中で言い訳する。


 何だこの前見た時と雰囲気が違う気がした。前はこう、もっと綺麗だったような気がする。今は汚いのかと言ったらそんなことはないし、失礼だから絶対に言わないが。


「それでね、読書中に御免なんだけど、この前教えて貰ったアニメ、すっごく面白かったからお礼言わせて欲しくて」

「そ、そうか? そんなに面白かったか?」

「うん。私、あんまりアニメは見ない人だったんだけど、すっかりはまっちゃった。また今度、お勧めのアニメ教えてよ」

「……分かった。考えておく」

「やったっ、今から楽しみ。ありがとね、雛沢君」


 心音ここねはそれだけ言うと、じゃあね、とひらひらと手を振りながら去って行った。そんな心音ここねの後姿を少し眺めてから心奏かなでは本へと視線を落とし、自身の頬が緩むのを全力で隠そうとした。


 な、なんだ今の笑顔! すっごい可愛かったぞ! え、なんだあれ。アニメでしか見れない笑顔だろ! しかもありがとうって、お礼まで言われた! いや、もちろん今までにだって誰かにお礼を言われたことくらいはある。けれど、なんだろう。新嶋さんい言われるのと他の誰かに言われるのでは、何かが違う気がする。

 一体、何が違うんだろうか。


 何かが弾むような感覚が、やがて疑問へと変わって行く。今心奏かなでは何をどうしてあんなに心が浮ついたのだろうか。誕生日にプレゼントを貰っても、ソシャゲで大好きなキャラの新衣装が当たっても、ここまで頬が緩んだことは無かった。

 嬉しいから、笑うんだよな。違うのだろうか。


 そんな疑問が渦巻きながらの午前中、心奏かなでは全く授業に集中できなかった。


「まあ、いつもゲームかアニメのことばっかり考えてるしいつものことか」


 呟きながら鞄からお弁当を取り出して机の上に並べる。普段通りの何気ない行動。昼休みになったら真っ先にお弁当を取り出して自分の席で食べ、食べ終わったら本を読む。完全無欠一人完結の昼休みの過ごし方の完成形だと、心奏かなでは自負している。

 一度でも立ち上がったなら即座に席をとられ、クラスのカースト上位者どもに居場所を取られることが分かりきっているため余計なことはしないのだ。


「いただき――」

「ねえ、雛沢君。隣、いい?」


 心奏かなでの平穏を脅かすものがいた。

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