第13話 密かに嗤う影。

 元気よく会場へと足を進めるクルフの背中を、セノアはじっと見つめていた。


 己に初めて友が出来たからか、はたまた危険な戦場に足を運ぶ少年の身を案じたからか。しかし、彼女の真意はどちらでもなかった。


 その胸の内に秘められているのは、果てしない不安と恐怖の塊であった。これから起こるであろう、最悪の結末への。


「もう、引き返せない……」


 セノアは暗い顔で両手を握りしめた。


 背後からカツ、カツと彼女に迫る足音が響く。それは絶えず音を立て、彼女に歩み寄る。


「何を恐れている、セノア?」


 やってきたのは一人の男だった。


 全身を暗いローブで包み込み、その素顔は決して露わにならない。声からして、多分中年そこそこの男。


 男はセノアの耳元で囁く。


「お前は行動を起こさなければならない。執事の家系だからと言って、女のお前を尊重してくれない、そんな現状を変えるために」


「でも、私は……」


 男の言葉に、セノアが一歩後退りする。


 それを知っていたかのように、男は彼女の足に精神的に重い枷をつける。


「でもじゃない。やるんだ、セノア。それにお前はもう引き下がれない。仮面侯爵の居場所を我らに漏らした、あの瞬間からずっと」


「……!!」


 セノアは何も言い返せなかった。


 生まれてから今まで、家柄のせいで女の子らしい事もできずに過ごしてきた。男との距離感も掴めないまま友達も出来ず、退屈だった。


 そんな感情の積み重ねからしてしまった、取り返しのつかない過ち。彼女が引き返せない、たった一つの理由。


 やるしかないのだ。


「セノア、今からお前がやるべき事を話す。それに従って、我らに貢献しろ」


「は、はい……」


 それからセノアは彼らの計画の全容を聞き、全身から血の気が引いていくのを感じた。


 心の底から駄目だと感じた。


 もしこの計画が成功したら、自分の我儘で現状を変えるでは済まなくなってしまう。


 自分が好きにしたいこともできなくなって、やっとできた初めての友達さえも、失ってしまうと思った。


 やりたくない。でも、逆らえない。


 そんなジレンマが、彼女を縛り付けた。


「これを着けろ」


 男はセノアにペンダントを手渡した。


 計画には示されていない、得体の知れないもの。触っただけで拒否反応が出そうな、禍々しいアイテム。


「これは……?」


 セノアは恐る恐る尋ねる。


「何でもない、お前が逃げられないようにするだけのものだ。計画が終われば、それは機能を失う」


 一時的な効果魔道具、セノアはそう解釈した。


「分かりました……」


 セノアは首にペンダントを掛ける。同時に、全身を他人の魔力が駆け抜けていく感覚がした。


 セノアから自由が消えた。


「ではセノア、失敗は許されないぞ」


「はい、任務を果たします……」


 でも、心のどこかであり得ないであろう願いを抱く。もしかすれば、あの子が──セノアが助けてくれるかもという淡い願いを。


 セノアは進む。選手に紛れ、最善のポイントに着く為に。


 その背中は数分前に見た唯一の友達と比べると、全くもって悲惨な姿に見えた。


「本当に、使い勝手のいい傀儡だ」


 セノアの姿が完全に消えたのを確認すると、男は徐に呟いた。


「初めてあいつを見た時から、魔女様との適合率が高いことも分かった。面倒だったのは、あいつをどう引き入れるかだけだった」


 男は不敵に笑う。


「現状を変えたいと望むのがわかってからは、実に簡単だった。甘い言葉をかければホイホイ従う。その後はいい道具だ」


 男はもう一つのペンダントを取り出した。


 それはセノアに渡した物と同じようなデザインがされており、同じ魔力が流れている。


「さぁ。しっかり働いて、最後には魔女様復活の糧になってもらうぞ!!セノア・チェグレット!!」


 男はセノアに告げていない最終計画を呟く。


 そんな彼の元に一人の男が近づく。


「あんまり調子に乗りすぎるなよぉ?」


 ヘラヘラとした態度にのらりくらりした態度。男と同じ黒いローブで全身を包み込む、謎の人間。


 彼が現れるなり、男は態度を一変させた。


「サガラナド様!?」


 サガラナドと言われた彼は、男からペンダントを奪い取ると魔力を貯め始めた。


「これだけの魔力では魔女様は蘇ることが出来ないからなぁ。全魔力を枯らすつもりで注ぎ込めよぉ?」


 サガラナドはペンダントを投げ渡し、踵を返す。そのまま何処かへ消えようとした時、彼は何かを言い忘れたかのように足を止めた。


「ああ、それとぉ。あの方の探す人間が、大会の何処かにいるかぁも知れない。一応、気を回せよぉ?」


「は、はい!!」


 男は背筋を正して返事をすると、急足で目的地へと足を進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る