第16話 分かたれる恋

「陛下が静かすぎて判断ミスりかけました。びっくりするじゃないですか」


「……それは、こちらの台詞なのですが」


 部屋の外にいたフォルスが音もなく侵入してきて、アリアナは思わずいつもの調子で答えてしまった。

 状況的に、フォルスは金具を壊し開けて、扉本体を押し退けながら入室し、支えをなくした板一枚が倒れる僅かな間に距離を詰めて錐を斬り砕いたのだろう。めちゃくちゃである。


「ちょっと超人過ぎて、褒め言葉が一つも出てきません……」


「頼もしく思ってくださいよ。――で、これは現行犯って事でいいですか?」


 二人から視線を向けられたメアリーの胸は、憎しみと悔しさ――それを上回る安堵感に包まれていた。


「――――」


 ああ、殺める前に止めてもらえた。

 砕かれた魔石を見下ろし、戦力差に圧倒されてようやく、殺意の奥に埋もれていた本心に気付けたメアリーは、滂沱の涙を流す。


「……はい。どのように扱われても構いません。騎士様、感謝を申し上げます。私を止めてくださり、ありがとう存じます」


 膝をついて深々と頭を下げるメアリーを、フォルスは心底興味なさそうに見下ろして「はぁ」と適当に相槌を打つ。

 素っ気ない態度にアリアナは呆れつつ、メアリーと視線を合わせるために膝をつく。


「リィラカル子爵令嬢、侍女のグレイシアに毒を盛る依頼したのは、貴方で間違いないか?」


 メアリーは止め処なく流れる涙を拭いながら、戸惑いがちに首を振る。


「……グレイシア、という方は存じません。父が傾倒しているまじない師の男から、母の宝石を差し出せば、婚姻前に女王を殺せると言われて……その時に、殺すならリザードバルファの悪血を、使ってほしいと頼みました」


「うわー……陛下、出来るだけ醜く死んでくれって悪意ですよ、これ」


「フォルス、その解説はいい」


 改めて強過ぎる殺意を実感する。こうして会話が成立する今が奇跡みたいなものだ。平静を取り戻してもらえて本当に良かった。


(でも、少し風向きはよくないかも)


 メアリーの証言が正しければ、今回の暗殺に関わっているのがもう一人いる。

 反社会的行動する自称呪い師というのは、おおよそ身元不詳か詐称している。その正体は口が上手い不法入国者のパターンが多く、こちらが確固たる証拠を揃えて個人を特定している間に、国外逃亡されるのだ。

 王家の馬車で子爵家へメアリーを迎えに行ってしまった。メアリーの父経由で、呪い師が現状を把握し逃亡を図る可能性は充分ある。

 アリアナは立ち上がり、メアリーに手を差し伸べた。


「話は分かった。まず、子爵の元に騎士を向かわせて、その呪い師を捕えよう。まだ間に合うかもしれない」


「間に合う、とは……?」


「母の遺品を渡してしまったのでしょう? もし、このまま呪い師が逃亡すれば、持ち逃げされてしまう」


「――――」


 メアリーは罪人だ。これから罰を受ける。だが、何もかも無くす結末でなくてもいいだろうと、被害者アリアナは思う。

 もう既に手遅れだとしても、急ぐ価値はあるはずだ。

 呆けているメアリーに対し、女王アリアナは叱咤するように強く命じる。


「リィラカル子爵令嬢、これ以上泣く暇は許しません。早急に手配書を書かせるので、人相書きに協力なさい。明日までに間に合わせ、国境で足止めさせます」


 差し出されたアリアナの手を、メアリーは掴みながらゆっくりと体を起こした。


「……貴方を、心から嫌えたら、よかったのに」


 年下の女の子がこんなにも真摯に向き合ってくれている。思わず恨み言がぽつりと零れたが、これ以上みっともない事は出来ない。

 目の縁に溜まっていた涙を一筋。最後に流した頬を擦ると、覚悟を決めたように歪んでいた眉を吊り上げる。


「この罪人の身を如何様にもお使いください、女王陛下」


「勿論、」


 ドン、ドンッ!

 不意に扉――フォルスが壊していない、応接室と廊下を結ぶ外側の扉が激しく叩く音と共に、呼びかける声。


「――陛下! 無事ですか!? 失礼します!」


 数人の騎士と共に入ってきたのはヴァレリオだった。アリアナもメアリーも目を剥いて驚愕するが、咄嗟にアリアナが動いてメアリーのベールを、メアリーはアリアナにストールをそれぞれ掛け直させた。

 慌てた様子で入ってきた彼らは壊れた内扉を見て、「あ、これか」「さっきの音はこれだな」「なんだフォルスのせいか」と口々に安堵を漏らす。

 騎士達が落ち着いたのと、怪我一つないアリアナの姿を確認したヴァレリオもほっと息を吐く。


「彼らが『どこかの部屋からとんでもない音がした』と捜索しているのを見かけまして、陛下が客を招いて応接室にいると聞いていたので、何かあったのかと……いえ、何かはあったのでしょうが」


「まぁ……部屋の修繕は必要だが、この通り何も問題はない。それより、ちょうどよかった。ヴァレリオに至急任せたい事がある」


「はい、何を――」


 二つ返事で了承するヴァレリオの前に差し出すよう、メアリーの背中を押す。ベールで被われた女性に不思議そうな視線を向けた後、目を見開く。


「メアリー……? 何故、君が」


「リィラカル子爵令嬢は、私に暗殺を依頼した罪を告解した」


 アリアナの宣言にヴァレリオも騎士も、一瞬にして気を張り詰める。

 しかし、罪人の隣に寄り添うように離れない女王の姿勢に、警戒心に困惑が混ざる。


実行犯グレイシアとの間に仲介人がいた事も明かしてくれた。至急私が直接騎士団に出向き、話をつけてくる。その間、ヴァレリオには彼女の聴取を任せる」


「――陛下! お待ちくださ、」


「彼女は私へ直に告解し、捜査に協力を示した。今はそれだけだ。沙汰は追って行うので、丁重に扱うように」


 とにかく所在不明の呪い師を逃がさないのが優先だ。手短にヴァレリオの引き留めを無視し、アリアナはフォルスを引き連れて部屋を後にする。

 騎士団に出向く、という発言から騎士達も追いかけるように続けて退室していく。


 そして室内には、ヴァレリオと彼の護衛、メアリーだけが残された。


「……事実、なのか? メアリー、君が陛下を」


 信じられないと失望の混じった声色に、ベールの下で僅かに俯いたメアリーは思わず笑みが零れる。


「……事実よ。だって、許せなかったの」


「許せなかったって何を、」


「でも、もういいの。とっくに手遅れだけど、許すとか許さないとか、もうどっちでもよくなってしまったの」


 アリアナと直接話して、悲しみを憎悪を剝き出しにして、殺意を向けて退けられて、愚かさも罪も後悔も拭い切れないけれど、不思議な解放感があった。

 吹っ切れた気持ちのままに、メアリーは正解の言葉を紡いだ。


「だからね、ヴァレリオ。罪人わたしの事なんて忘れて、あの子を好きになっていいからね」


「――――え、」


「何年も一緒にいたんだもの。あんなにも惹かれてますって顔してたら、さすがにわかるわ」


「それ、は、」


 貴公子然とした涼しげな風貌が、淡く赤く色付いていく。

 図星を刺されて恥ずかしがった幼い頃の面影が重なり、メアリーの心は再び嵐のように荒れ始める。それを、笑顔の下に隠した。


「謝らなくていいわ。こうなってしまったら、もう結婚なんて無理でしょ?」


 彼の心変わりが許せなかった。一人ぼっちにされる惨めな自分が許せなかった。だから、間違いだとどこかでわかりながらも、アリアナを憎んだ。

 やり直しなんて都合がいい事は叶わないけれど、最後は恨み言でも醜い言葉を喚き散らすでもなく、好きな人の前途を祝福する言葉を選べたのだから、メアリーは満足だった。


「でも、代わりに一生恨むから」


「――……」


 ヴァレリオは確かに、メアリーを愛していた。

 生まれた時から姉のように傍にいた彼女は、家族の一人だった。


 家族の病気に向き合うのはヴァレリオにとって当たり前の事で、同時にメアリーが他家の他人であるとわかりつつ、完治の目標に向かっている間は何も考えずにいられた。

 だからこそ特効薬が完成した後も、彼女の病歴が、残った傷痕が、メアリーの将来を黒く塗り潰してしまわぬように、助けるべきだと考えた。家族なのだから。他の誰も助けようとしないなら、また自分が助けるべきだと、疑わなかった。

 恋はなくとも、親愛はあった。有能でなくとも、安心出来る家族であればいい。そもそも貴族の婚姻とはそういうものだ。信頼関係さえしっかりしていれば、何も問題はない。


 しかし、メアリーが抱いた愛情は全く違うものだった。

 心のどこかで分かっていながら、想いを寄せられている状況は気分がよく、家族になれば落ち着くだろうと、彼女の依存心を些末な事として目を瞑っていた。


 しかし、婚約して状況が変わった。

 アリアナと築いた健全な信頼関係は心地よく、どこか報われたような、生き返ったような気持ちにさせてくれた。

 いつの間にか無理を続けていた事に、気付かされてしまった。


「……好きなだけ、恨んでくれて構わない。私はそれだけの不義理をしたのだから」


 罪人の前で、罪の自覚がある顔で俯くヴァレリオを見て、メアリーは新鮮な驚きと仄暗い喜びを覚えた。

 十年以上一緒にいて、初めて見た顔だった。

 アリアナに向けられたものとは違うそれが、メアリーだけに向けられている。それだけのことが、悲しいくらい嬉しかった。




 一方、部屋を出たアリアナは急いで騎士団に指令を飛ばし、呪い師を探らせたが、案の定身元不詳。子爵が知る彼の家は既にもぬけの殻だったらしく、それらの報告がアリアナに上がってきた頃にはすっかり夜も更けていた。

 メアリーの協力によって作られた手配書が、各国境へと送られていくのを見届けて、ようやく一息つく。

 出来る事はした。もうあとは天に祈るしかない。


「……ん? フォルス、何か見つけましたか?」


 夜の暗闇が広がる窓の外を注視しているフォルスに声をかけると、窓から視線を外して緩く首を振った。


「いーえ、虫が飛んでっただけです」

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