第15話 かつて求めた
メアリーはぎくりと硬直し、首を振る。
「なんの、お話か……一体どこにそんな証拠が、」
「証拠はまだ揃っていない。だからこそ、手遅れになる前にこうして告解の機会を滑り込ませられた」
「告解の機会……?」
何の事か全くわかっていない様子に、アリアナは溜息を漏らす。
メアリーの情報収集力が足りていないのか、アリアナの情報拡散力が足りていないのか。判別がつかないが、あまり浸透していない事実は実感した。
「言葉通りの意味だ。私は、自らの罪を明かした者に対し、減刑の機会を与えている」
女王として数多の罪と向き合う事となったアリアナは、その不条理さに何度も眉を顰めた。
食べねば死ぬ者が食料を奪う行為と、より贅沢をするために搾取する行為が、ほぼ同一の罪であるのだ。
前者は罪に耐えかねて懺悔するも罰金が支払えず、罪人奴隷へと落ちる。後者はのうのうと罰金を支払い、それを取り戻すため同じ行為を繰り返す。
法改正には時間が必要だ。王の裁量次第で罰の増減変化は悪手になりかねない。しかし、犯罪に手を染めねばならないほど追い詰められた者に鞭を打つ現状を打開したい。そうして出来たのが、教会と騎士団の告解部門だ。
成功事例は少ないが、困窮者と働き口を繋ぐ役割も果たしている。
「……王族に毒を盛る行為は死罪、それは仕向けた者も同罪だ。証拠が揃えば、貴方もその罪から免れない。だから今、ここで告解しなさい」
アリアナは死なずに済んだ。告解する事で減刑処置が可能。
牢に入ってもらう事、子爵家に罰を与える結果は変えられないが、メアリーの死罪は避けられる。生きてさえいれば、時間をおいて恩赦を授ける形で解放する事も出来る。
(さて。わたしのただの思い過ごしなら、無実を訴えてくるはず。そうしたら、この場は見逃がそう。事実であれ虚言であれ、証拠が答えを持ってくる)
正直に言うと、アリアナはメアリーが犯人だと断定する証拠を持っているわけではない。
疑わしい数人を思い浮かべた中で、彼女が主犯だった場合、
(冤罪の贖い方はいくらでも用意出来る。だけど罪の自覚があってここで告解を選べないなら、後は騎士と……ヴァレリオに任せるしかない。それは、出来たら避けてあげたい)
告解を受ければ、ヴァレリオの大切な人に付ける傷が最小限で済む。
アリアナが用意出来る、唯一の温情だった。
(でも、もし、彼女に本物の殺意があるなら、)
「――……世の中、不公平よね」
不意に緊張の強張りが解けて、無気力な顔でメアリーは呟く。
感情が抜け落ちたような表情とは裏腹に、声色は情感に満ちていた。
「生まれた瞬間から価値が決められているの。ねぇ、女王陛下。貴方は同じ傷物同士と仰ったけど、どこが?」
「…………」
見覚えのある目だ。
負の感情を煮詰めて、身の内に留めておけなくなった憎悪の眼差し。
「貴方と私のどこが同じだというの? 傷も違う、歳も違う、身分も違う。同等なのは性別が女である一点だけ。それなのに……貴方はヴァレリオとの婚姻を許されて、私は許されなかった」
言葉遣いが崩れても、淡々と落ち着いた口調はそのままだ。しかし、刺々しい物言いには静かな怒りが滲み出していて、耳障りは悪い。
社交の場では扇子で顔を隠すが、アリアナは煽るためわざと蔑む表情をメアリーに見せつけた。
「私とヴァレリオの婚約に対し、貴方は理解を示したと聞いていたが、偽証だったと?」
「そうするしか、ないじゃない。私が嫌と言ったところで、どうにもならない。二人の未来のため、なんて言われたら……形だけでも納得しなきゃ、彼に見限られる」
(やっぱり、全然説得出来てなかった……)
アリアナの不安は的中した。
第三者目線から見ても、メアリーの現状は非常に厳しい。外見的にも、身分の低さも、然りとて優れた技能があるわけでもない。さらに彼女は二十一歳、貴族の結婚適齢期の真っ只中だ。
「六年……長ければ十年も先なんて、そんな、そんな先送りされて、何が起こるかわからないのに、」
膝上に置かれた拳を強く握り締め、メアリーは俯きながらゆっくりと息を吐く。
「……でも、それだけなら、不安なだけなら待てたかもしれない。私はヴァレリオの『絶対に治す』って言葉を十年信じて、病気に耐えて、本当に治してもらえたから」
メアリーが片手に付けていたブレスレットに触れると、宝石の一つが魔力反応によって発光する。
一瞬の眩さに目を眇めた合間に、宝石――否、魔石と同じ赤い鉱石がきらめく錐がメアリーの手に握られていた。
(彼女が殺意が本物で向こう見ずのものなら、きっとこの状況で仕掛けてくる。隠し持つなら、短剣か毒針だと警戒していたけど……)
その切先が自らに向けられているのに、アリアナは思わず感嘆の息を漏らす。
「これは……錬金術を用いた護身武具か、素晴らしいな」
「これが錬金術?
「いや、微塵もないが……」
英雄である祖父母や、前王の叔父は宝石と魔石を見分ける目を持ち、加工術と錬金術の違いも当然見分けていたと聞いている。
握力があれば粘土を好きな形に出来るような、才能が有れば当たり前にあるものらしいが、アリアナはそのあたりの才も引き継げていない。
「初めの一歩すら踏めなかった私からすれば、加工師も錬金術師も同じく雲の上の人だ。素晴らしく、羨ましい」
武道のセンスも無かったアリアナは、鉄扇の扱い方以外ろくな護身術も学んでいない。
だが、メアリーが隠し持っていた錐の、血を吸い出したような深い赤に惹かれた。無用な長物でも、利用用途がなくとも、憧れを覚えた。
境遇からか、本人の資質か。メアリーの自尊心は非常に低い。
何も持たない、何も出来ないと嘆いている。――そんな事はないのに。彼女の持つ当たり前は、価値があるのに。
(なんて、もったいない)
メアリー・シジャ・リィラカルの在り方が悲しい。
石を金に変える、彼女の可能性の輝きが見えたアリアナは胸が締め付けられた。
「……なに、それ」
同情でも、憐憫でもない。悔しさの滲む羨望の眼差しを向けられて、メアリーは動じる。
メアリーの人生はずっと、痛そう可哀想醜い無様恥晒し惨め極まりない、ずっとずっとずっと、アレよりはマシと見下される存在だった。
だから、真心が同情に変わり始めても、助けようとしてくれたヴァレリオに依存した。メアリーには彼しかいなかった。
「なんで、そんなこと」
そんな目を向けれた事なんて無い。羨ましがられた事なんて無い。素晴らしいなんて世辞以外にかけられた事も無い。雲の上の人なんて、どの口が言うのか。
ぐるぐると胸の内に煮え立った怒りが込み上げてくる。
――王家の秘宝、若く美しい女王、英雄の血を引く最後の希望。
服の下に隠された首の傷痕が幻みたいに高貴な少女の隣に、婚約者として立つ
十年以上一緒にいて、初めて見た顔だった。メアリーは盛大に盛り上がる披露会の端で、ただ遠くから見つめるしか出来なかった。
不安なだけなら待てた。しかし脅威を知れば、不安は起爆剤にしかならない。
一刻も早くあの美しい者を亡き者にしなければ、彼の心まで奪われてしまう。心変わりされる前に、何もかも失ってしまう前に――!
それなのに。悪であって欲しかった少女は今、明確な殺意と凶器を向けられてなお、メアリーと向かい合う事を止めなくて……それが、耐えられなかった。
「どうしてッ、どうして、それを言うのが、あなたなの――ッ!」
赤い錐が振り下ろされる先が心臓だったのを視認して、アリアナは痛みを覚悟をして目を瞑る。
(わたしが一度死ねば、冷静になってくれるかな)
彼女は気弱だ。直に手を出せば血の気も引くはず。服に空く穴と血は、どうにか誤魔化せないか。
この期に及んでアリアナの頭には、メアリーをどう擁護するかという考えばかり。
「――いや、悲鳴くらいあげてくださいよ」
ボキン、と硬質が砕ける音と共に、呆れたような声が間近で聞こえてアリアナは目を開く。
視界に映ったのは赤い錐を粉々に砕かれて目を見開くメアリーと、テーブルに片足をかけながら剣を振り下ろしたような体勢で顔だけを向けてくるフォルス。
そして、扉が枠だけ残して本体の板が床へ傾き、バン、と叩き付ける音が響いた。
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