第14話 白い婚姻契約

 今から半年ほど前の事。

 アリアナは非公式にヴァレリオと話し合いの場を持ち、その契約を持ちかけていた。


『ヴァレリオ殿、単刀直入に言います。近いうちにわたしとの婚姻の話が来ます。それを、是非とも受け入れてほしいんです』


 変装したアリアナとフォルス、ヴァレリオと従者の四人。一台の馬車の中での密談だった。

 ヴァレリオはアリアナの言葉に僅かに瞠目した後、頼りなく笑う。


『……それは、王命の下で決められた婚姻となるでしょう。私が否と言える話ではない』


『はい』


『だからこそ疑問があります。何故この場を設けたのか』


 いつものようにやってきたライから『結婚おめでとー』という心にもない祝福と形で、アリアナは自分の婚約話が進んでいる事態を知った。

 確かに王配は欲しかった。ヴァレリオの評判も悪くない。アリアナとしてはメリットしかない。対外的に見れば王族へ入る事は、シジャーズマ公爵家としても歓迎されるだろう。


 しかし、彼はどうだろうか。

 縁談話を断り続けていたのは、一刻も早くソレル病を根治するためだろう。しかし、その後も浮いた話一つない。

 そうして、アリアナはこっそりと調べ上げた。


『メアリー・シジャ・リィラカル』


『!』


『ソレル病の特効薬を作り出したのは、彼女のためだと知りました。今は日常生活を取り戻しつつあると、喜ばしい事です』


 リィラカル子爵家の令嬢メアリーは、十年前にソレル病を発症した。

 彼女の肌には焼け爛れたような痣が広がり、デビュタントを過ぎても社交の場に姿を見せなかった。子爵という身分の低さから話題に上がる事もなく、名鑑上の名前の一つという印象しかない女性だった。


 身分差のある二人は、母親同士が友人だった縁で出会った。

 兄弟のいないメアリーと兄しかいないヴァレリオ、歳が一つしか離れていない二人は良い遊び相手であり、姉と弟のような関係だった。

 メアリーの母が亡くなり交流が減った後も、手紙で繋がり続けていた二人だったが、メアリーがソレル病を発症した事で、完全に関係が断たれてしまった。


 しかし、彼は諦めなかった。

 まだ誰も成し得ていない、ソレル病完治の道を見つけ出す。たった一人の少女のために、ヴァレリオは茨の道を選択した。

 そして長い月日の果てに、望んだ未来に辿り着いた。だが、そこで話は終わらない。


『しかし、彼女が社交の場に出られるようになったとしても、公爵はリィラカル令嬢との婚姻を認めないでしょう』


 アリアナが調べただけでも、公爵シジャーズマ家と子爵リィラカル家の婚姻に利点はない。

 ただ、彼の功績は美談と共に語り継がれ、想い合う二人が結ばれる。それだけだ。その結果の良し悪しの答えは未来にしかないが、近しい結末の先を生きているアリアナからしても、大きな利点とは呼べない。

 少なくとも、王族との婚姻を上回る事は不可能だ。


 アリアナの言葉に驚愕を浮かべていたヴァレリオは動揺を抑え込み、穏やかに、しかし観念したように眉を下げた。


『……その、通りです。まさかメアリーの事まで存じているとは……驚きました』


『わたしも調べて、驚きました。そして、婚約の話を一方的に持ち掛ければ最悪、ヴァレリオ殿はリィラカル令嬢と共に他国へ移ってしまうだろう、と思い至り、この場を設けました』


『なるほど』


 彼は微笑みながらも否定しなかった。これは本当に亡命一歩手前だったと察し、変な汗をかいた。


『つまり、陛下は公爵家ではなく、私個人に良い話を持ってきてくださったという解釈でよろしいでしょうか』


『はい。お互いの利点のために、婚姻話を受け入れてほしいのです。詳しくはこちらに』


 アリアナは持ち込んだ契約書をヴァレリオに差し出した。直筆で書かれた箇条書きの内容は以下の通り。


《互いに白い婚姻を認める事》

《婚約、婚姻期間は最短で六年、最長で十年である事》

《アリアナは婚姻破棄後、ヴァレリオに領地と爵位を用意する事》


 短い内容はすぐに読み終え、粗がないか何度も読み直す。

 要するに、家督を継げない公爵家の息子から王家の一員となり、後に爵位のある一貴族として認められ、メアリーとの婚姻の下地を作るという内容だ。譲渡予定である王家が管理する領地の候補も、悪いものはない。

 ヴァレリオは少し怪訝そうに契約書からアリアナへ視線を向ける。


『……この契約書のどこに、陛下の利点があるのでしょうか?』


『ヴァレリオ殿が王配の地位に就いて、働いてくださるのが何よりも利点ですが?』


『であれば、私の働きに関しても契約書に記すべきでは……』


『貴方は既に、リィラカル令嬢のために偉業を成し遂げています。わたしはその結果を、貴方の人柄を信じます』


 そもそもこれは、婚姻の契約書ではないのだ。

 アリアナとの婚約を受け入れてもらえれば特典がついてくる、という他国に逃げられないための、裏取引。


 懸念としては期間の長さだ。

 説明を求められたらテオドールの話をしなければならないが、出来れば誤魔化す事もせず、秘匿のままで済ませたい。

 祈るようなアリアナの心境を読んだように、ヴァレリオは眩しそうに目を細める。


『……そうですか。確かに、形だけとはいえ婚約をするなら、信頼出来る相手であるべきでしょう』


『引き受けていただけるのですか?』


『はい、――とすぐに請け負いたいところですが、もう少し内容を詰めましょうか。これをこのまま受け取ってしまったら、貴方の信頼を利用する悪い男になってしまいますから』


 非公式の会談により、穏やかに丸く話はまとまった。

 優秀な人材たるヴァレリオの力を借りると同時に、他国へ渡るのを阻止出来たので上々の結果である。

 ただ、アリアナには一点だけ、どうにもならない気掛かりがあった。


『リィラカル令嬢は、この件を納得していただけるでしょうか』


『……良い顔は、しないでしょう。ですが納得してもらいます。私も彼女も、この国を担う貴族なのですから』


 ヴァレリオの言葉を信じていた。

 メアリーに貴族としての在り方が備わっていると、信じていた。




「リィラカル子爵令嬢、単刀直入に言おう」


 そうして時間を戻し、現在。

 アリアナはかつてヴァレリオに告げた言葉をそのまま、メアリーにも向ける。対等な関係としてではなく、女王として沙汰を下すために。


「此度の毒殺――自らの関与を、罪を、今ここで告解なさい」

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