第13話 招待した客人

 翌朝。

 アリアナはナーラが起こしに来るよりも早く起床し、手紙を拵えた。そして入室したナーラが挨拶するよりも早く、矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「ナーラ、着替えは手早く。食事は軽食で済ませます。下がる時に執事アンソニーを呼んでください。要件は本日午後に予定を空けたいので、スケジュールの調整と伝えてください」


「かしこまりました。しかし午後……何かございましたか?」


「はい、早急に手を打つ事態が起きました。執事アンソニーに声がけを終えたら、こちらを騎士団に」


 王家の印で封蝋した手紙を差し出す。

 城の騎士を使い、女王直筆の手紙を送る。緊急性のある事態だと察知したナーラは恭しく受け取る。


「届け先はリィラカル子爵家。賓客用の馬車で向かうよう指示もお願いします」


「かしこまりました。では先に早馬で使者を送りましょう。騎士は何名で向かわせますか?」


「……迎えは二名で充分ですよ」


 女王直々の登城命令なので、強制連行には違いないが、内容は逮捕状ではなく招待状だ。護衛であり、捕縛ではない。


(少し言葉を濁し過ぎた)


 アリアナは内心反省して、少しだけ柔和な対応に変える。


「ナーラは、客人・・を迎える準備もお願いします」


 呼ぶ相手の扱いを強調して伝えれば、ナーラの眉が微かに動く。

 王が緊急性を訴えて、子爵家を客人として呼び寄せる。その意図が読めない、と数拍の沈黙を挟むもナーラは従者として徹し、「かしこまりました」と一礼に留める。

 動じない彼女の信頼が、アリアナにはとても心強かった。


「あと、一点だけ。――この件はヴァレリオの耳に入れないよう、なるべく気をつけてください」


「留意致します」




 溜まりに溜まった雑務処理を片付ける。

 本来なら王が目を通すものではないらしいが、まだまだ未熟者のアリアナは必要な経験値として立ち向かった。

 結果として、石橋の補修費の見積もりが必要以上に高額に書かれていた部分に気付く。


宰相ウィリアム、これは……」


「ああ、とうとう陛下も気付きの境地に触れましたね。こればかりは一長一短では身に付かないもの、素晴らしい事です」


 これまで宰相ウィリアムに指摘されてきた間違いを自力で見つけ出し、アリアナは達成感と感謝の昂りに笑みを咲かせる。


「私の実力ではなく、貴公らの指導の賜物です。では、この起案は一度戻して、」


「いいえ、一旦承認致しましょう。今進めなければ雨季に間に合いません」


「しかし、間違いを訂正させなければ、起案者も賛同人も後々横領の疑いをかけられてしまうのでは……」


「はい。なので区別をつけるため、承認印はいつもとは別のこちらを使用ください。ひと段落つきましたら、私が保管している『横領疑惑の証拠』について、お披露目とお話を致しましょう」


 宰相ウィリアム曰く、前王の頃からままよくある事らしい。

 国家予算を着服する者は、後々大きな問題や厄介事を呼び込む傾向が強い。

 少し良からぬ噂が流れ出した時、保管していた横領疑惑のカードを切り、本人を捕縛。同時に家宅捜索で、噂の真偽を確かめる。

 そこで横領金どころか制裁金も追加で回収出来れば国庫は潤い、カードが複数枚あれば悪質と判断し爵位の剥奪さえ可能で、何を企んでいようと早急に身動きを封じられる。

 これは起案者だけでなく、賛同人にも幅広く使える一手だ。


 本当にただの間違いであれば後日返還されるし、罰金も軽微。

 内政は円滑に進み、証拠は確保、あとは時が来るまで管理するのが一番である、――と教わり、アリアナは震えた。


「陛下。国を騙せると勘違いする者は、後々何かをやらかします。巧妙で、狡猾に、姑息な手も使います。これは先手を打つ手段の一つに過ぎませんが、対抗策はいくつあっても構いませんからね」


「はい……」


 思わず女王のかわが剥がれ、粛々と頷いてしまう。

 周囲に助けられながら一年程度女王をやっている身として、年齢以上に働いている大師匠の言葉は、非常に重い。

 壮年の皺がある顔を和らげ、宰相ウィリアムは微笑む。


「貴女はお優しい。しかし、その慈愛は過ちを正すために使ってはなりませんよ。それは犯罪者に逃げ道を用意している事と同義となる」


 間違いを訂正させる。

 アリアナにとって、人として当たり前の行動は、王として正しい行動ではなかった。

 ――王とは過ちを許すか、裁くものだ。

 無かった事にする事は出来ない。してはならない――アリアナはそれを学ぶと同時に、深く実感した。


(犯罪者の逃げ道か……先回りで、叱られたみたい)


 アリアナは頷いたが、気持ちは揺らがない。

 そうして改めて、自分に王の器がない事実をしみじみと噛み締めた。


 ――『横領疑惑の証拠』の保管場所から執務室に戻る途中、廊下でナーラとフォルスが待機していた。


「陛下、迎えの車が戻りました」


「すぐに向かいます。ヴァレリオは」


「毒素の特定を急ぎ、部屋におられます。気付かれていません」


 実行犯グレイシアの周辺調査は他に任せているのだろう。彼の研究気質を信じた通りの結果、先回りに成功してアリアナはほっと胸を撫で下ろす。

 しかし安心は出来ない、問題はここからだ。


 片付けを宰相達に任せ、アリアナはナーラとフォルスを引き連れて客人の元に向かう。


「客人をお迎えに私が対応したのですが、アリアナ様が今日の服を選ばれた理由がわかりました」


「さすがナーラですね。彼女も、わたし達と同じです」


 ナーラの腕には過去にアリアナを庇った際に負った熱傷の痕が残り、仕着せ服の袖の下に隠されている。

 アリアナも普段は首の傷を隠すため、ハイネックの服しか着ない。今日はラウンドネックの社交服ドレスに薄絹のストールを巻いて隠している。


 応接室の前に辿り着き、ノックと共に扉が開かれる。ナーラは扉の横で身を引き、アリアナとフォルスが入室した。

 室内にいたのはソファに座っていた客人一人。サッと立ち上がり、カーテシーを見せる。


「お、お初にお目に、かかります……! リィラカル家のメアリーです。本日はお招き預かり、こ、光栄で、ございますっ」


(ある程度予想はしてたけど、思った以上だった)


 王族こちらが声をかけるより先に名乗り始めた。しかもガチガチだ。恐らく話す言葉は予め用意だけはしてきたのだろう。王族どころか、高位貴族への対応すら危うそうな歳上の女性に、複雑な心境が胸を巡った。

 それを表面に出さないよう、より一層女王の装いで気を引き締める。


「……ようこそ、リィラカル子爵令嬢」


「この、このような、姿で申し訳ありません。わ、我が身は王城どころか人前に出る事すら、憚れるものゆえ、お目溢しをいただきたく……!」


 メアリーが身に着けているのは、花の刺繍が施されたダークブルーのドレスだ。そこだけ見れば地味ながらも登城に問題ない服装だが、彼女は頭部から上半身を覆い隠すほどの黒いベールを被っている。

 そのため、アリアナには彼女の表情どころか、どんな顔なのかも見えていない。わかるのは声色と姿勢から、恐らく怯えながら頭を下げている事だけ。


「では、人目のないところに場所を移しましょう」


 アリアナが奥に繋がる扉を指し示すと、メアリーは僅かな間の後頷く。

 彼女の言葉は都合がよかった。アリアナは最初から護衛を離し、二人で奥の部屋に入るつもりだったから。メアリーが護衛を連れて来なかったので、フォルスを追い出してもよかったけれど、最初の予定通りに行動したほうがいいだろう。

 メアリーを先に奥の部屋に通し、アリアナが入った直後に扉を閉ざす。


「え、え……?」


「どうぞ、お座りになって」


 突然二人きりになったメアリーは動揺を浮かべるが、アリアナの言葉に従ってソファに腰かけた。アリアナは対面に腰を下ろすと、首に巻いていたストールを外し、首に残った傷を晒す。


「……!」


「リィラカル子爵令嬢、ベールを手放せない理由はヴァレリオから聞いている。私のストールでは、対等になり得ないか?」


 王族からの『事情は知っている、ベールを外せ』と仄めかす行動。静寂の室内の中、メアリーが小さく息を呑む音が聞こえるほど、張り詰めた空気が流れる。

 スル、と布が擦れる音が流れ落ちる。


「……お見苦しい姿を、失礼致します」


 ベールを外したメアリーは、まとめ上げられた栗毛の髪、気弱そうな碧の瞳、病的なまでに色白の肌――素朴な美しさが、顔半分と首筋に広がる火傷の痕によって霞む、痛ましい女性だった。


「この場においては傷物同士、お互い様としよう」


 全く、対等になり得ない。

 アリアナは自らの生み出した不条理に、詫びたくなる感情を飲み下し、苦さに歪みそうになった笑顔を尊大なもので維持した。

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