第10話 偉大な婚約者

 ヴァレリオ・シジャーズマ。

 フェンイザード国の大領地シジャーズマを統治する公爵令息。

 金髪碧眼の貴公子然とした柔和な雰囲気を持つ、物静かな好青年。由緒あるシジャーズマ家の三男。家柄、美しさを兼ね備えた彼を是非婿に、と望む貴族は多かった。

 しかし彼はどの縁談話も頷かなかった。


『お話はありがたいですが、今の私には為すべき事があるので』


 そして一年前、彼は国内で猛威を奮っていた感染症、ソレル病の特効薬を発表。

 公爵家の資金力と人脈を駆使し、薬が国内に行き渡るよう販路を拡大。たった半年で国内におけるソレル病患者数を激減させる功績を立てた。

 つまり、これまで高かった彼個人の貴族的価値も相乗的に上昇した。


 王城では彼の行いに対し、勲章を与えるべきだと話が上がった。

 そこから彼の人柄、能力、家柄、そしていまだ婚約者がいない点。様々な要素を総合的に評価された結果。


『ヴァレリオ殿は、王配として適任ではないか』


 そんな話が持ち上がり、共感した者達は水面下で話が進められていた。


 一方でアリアナは女王として国政に携わり、王配の存在の必要性を痛感していた。

 これまでの業務に加えて新米女王の補助、臣下の負担が大きく、あまりにも手が足りない。頼れるはずの唯一の肉親である母はアリアナの戴冠後、生家に戻り、帰ってくる気配がない。


 共に責務を背負う、信頼出来る仲間が欲しい。

 相手も婚約者がいないなら、打診してみるだけでもいいのではないか。


 婚約を推奨する臣下達のすすめに、アリアナは頷いてしまった。それが王の認可を得たと解釈され、婚約話はとんとん拍子で進み、気付いた時にはヴァレリオとの婚約話がまとまっていた。



 そして、現在。

 応接室に呼ばれ参上した神妙な表情を浮かべたヴァレリオは、扉を抜けると同時に膝をつき頭を下げた。


「まず、謝罪を。昨夜は見苦しく未熟な面を晒し、恥じ入るばかりです」


「頭を上げてください! ヴァレリオがいたからこそ、わたしは血塗れの姿で会場に留まらずに済んだのです。感謝こそすれ謝罪なんて……」


 いてくれただけで本当に助かった。

 アリアナが王配を求めたのが、まさにこういった緊急事態に対処する人員が欲しかったためであり、彼は役目を果たしてくれた。


 ヴァレリオとの婚約前は、王の代行として宰相ウィリアムばかりが司令塔として先頭に立っていた。

 彼の飲酒量は増大し、覇気がなくなり、前髪が後退してきたと不安がった奥方が泣きついてきて、飛び火して、連鎖して……一騒動あったのだ。思い出しても気が遠くなりそうな、様々な事が。


 昨晩もしもヴァレリオがいなければ、また宰相ウィリアムが……と考えが過ぎると、圧倒的な感謝の意が湧き上がってくる。


「ヴァレリオには感謝の……本当に、本当に心からの! 感謝の気持ちしかありませんから……!」


「……お力に、なれたようで良かった」


 思わず熱の入ったアリアナの熱弁に、ヴァレリオは頭を上げて立ち上がり、緊張が解けたように苦笑を漏らす。

 和やかな空気になり、テーブルを挟んで二人はソファに腰かけた。それぞれの後ろに口を閉ざした護衛騎士が着く。フォルスもアリアナの後ろに立ち、探るようにヴァレリオを見据えた。


「夜明け頃には熱も下がり、状態が安定したと話は聞いていましたが、こうして直に無事を確認出来て安心出来ました」


「わたしも。あの時のヴァレリオは顔色が悪かったので、心配してました。色々任せてしまいましたが、少しでも休めましたか?」


「……! 陛下のお心遣いに感謝します。あの状況で、私にも心を配る余裕があるとは」


 少し驚いたように瞠目したヴァレリオは敬する眼差しを向け、柔らかく微笑む。

 大袈裟過ぎる。

 普通の心配が過剰に受け取られている気配がして、アリアナは首を振る。


「いえ、あの場ではわたしも自分の事で精一杯でした。ただ、血を見慣れてない人には、刺激が強かっただろうと……」


「大丈夫です。私は末期のソレル病患者で、似た症状を見ていましたから」


 ソレル病――別称、ただれ病と恐れられた病は、建国以前より存在している。

 その名の通り、発病すると身体中が爛れていく。

 症状の多くは皮膚炎だが、食欲減退、失明、運動機能及び感覚機能の消失と幅広い。爛れる箇所が皮膚か、内臓か、神経か、骨かによって症状が異なり、重症化のリスクの差が非常に大きい。


(あれの、似たような症状……)


 昨日の毒は内臓が焼き爛れるような激痛だった。

 ソレル病は数年かけて悪化していくため、アリアナのような服毒による急性症状ではないだろう。しかし『似た症状』がゆっくり進行していくと考えると、より残酷なものとして生々しく想像が出来てしまった。

 そして、患者には命の余数は当然なく、特効薬が出来たのもごく最近。


「……改めて、ヴァレリオは偉業を成したのだと実感しました」


「改めて、私には勿体ない言葉です。私は多くの先達者の道を辿って、たまたま一番早く辿り着けただけの果報者ですよ」


 彼が勲章を辞退した時と断り方だった。

 そこに連なって、同じ研究室に所属していた同輩から嘆願された記憶も蘇る。


「それ……。また、怒られてしまいますよ?」


「秘密にしておいてください」


 彼が研究室にどれほど私財を投資してくれたか。

 感染の危険を顧みず、特効薬開発に心血を注いだか。

 高位貴族ながら身分関係なく仲間達を、先達者達を尊重していたか。

 彼は勲章を授かり、歴史に名を遺すに値する――と、懇々と語られた。


 なお、話を聞いていたのは当時宰相ウィリアム同様、へとへとだった宰相補佐である。決定権のない彼は気持ちがわかるが応えきれないと半泣きであった。

 最後はヴァレリオが慌てて事態を収め、撤収していく様をアリアナは偶然遠目で眺めていて、その光景の面白さと、彼本人の人の好さと人望の厚さが伺えるエピソードとして心に残っている。


「あと、出来ればその時の事は、忘れてほしいのですが……」


 ただ当人にとっては嬉しくもあり、程々に恥ずかしい思い出らしく、変わらず柔らかい微笑を浮かべているが、言葉の歯切れは悪い。

 彼の謙遜の心は美徳ではあり、そこに王配の適性も見出されたのもあるが、彼を慕う者からすればもどかしく思う態度だろう。

 アリアナはにっこりと微笑み返す。


「はい。出来れば、忘れます」


 ヴァレリオはますます困ったように眉を下げた。後ろの護衛騎士はひっそりと嬉しそうに口角を上げた。

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