第09話 合間の小休止
「本日は急な申し出にも関わらず、お時間をいただき、感謝致します。どうかご自愛くださいませ」
仮面を付けたテオドールと手前の部屋に戻った後、侯爵はテオドールと連れて下城した。時間にして十分程度の訪問だった。
応接室の前で二人の見送り終え、応接室前で見張りをしていた騎士にインクを自室に持っていくように頼んだ。
室内にフォルスと二人きりになると、アリアナは深く息を吐いてソファに腰掛けた。
「お疲れですねぇ」
「はい。ちょっとだけお目溢しください……」
「構いませんけど。仲良しじゃないんです? あの人、小さい頃から知ってる感じに見えましたが」
「あれは、貴族の嗜みというものですよ」
アリアナは時々会える『肩車のおじさま』を純粋に慕っていたし、侯爵からも可愛がってもらっていると思っていた。
王弟殿下の真ん中姫から、女王陛下になって、侯爵は変わった。言葉の端々に、表情に、目の奥に、滲み出した野心が見えるようになった。本当に変わったのかもしれない。アリアナの人を見る目が養われて元々あったものを気付いただけかもしれない。
実際のところ憶測の域を出ないが、少なくとも気を遣う相手になっている。
「フォルス。貴方もいずれ、どこかの貴族に婿入りされると思いますが……」
「するつもりないって、話しませんでしたっけ?」
「でも打診は来ているでしょう?」
「そうっすね」
女王の護衛騎士のため名誉爵位を持たされているが、フォルスの身の上は元平民。
それでも『婿入りして本当に貴族の一員にならないか』と上から目線な見合い話は来る。全部断ったので相応の顰蹙は買っているが、
心底興味なさそうなフォルスの態度に、アリアナは笑みを綻ばせる。
「貴方はそのままで、いてくださいね」
「…………」
フォルスの野心のなさに、アリアナは少なからず安心感を覚えていた。
失われるのは惜しいくらいに、居心地が良いのだ。
「……あっ、できたら、の話ですよ! 命令ではありませんからね」
「………………」
揃えた膝の上に頼りなく両手を添え、ソファに座った事で低い位置から焦ったように見上げてくるアリアナを、フォルスは真顔のまま見下ろす。
数秒の沈黙。
急に黙り込んだフォルスにアリアナは困ってしまい、眉を下げていると部屋を叩く音の後、ナーラが声をかけてくる。
「陛下、よろしいですか?」
「どーぞ」
何故かフォルスが瞬時に許可した。特に意義は無かったのでアリアナも「どうぞ」と重ねた。
薄く開けたままだった扉を開き、ナーラが丁寧にお辞儀をする。
「マティーア侯爵がお帰りになられたと。これからヴァレリオ様へお声がけしてもよろしいでしょうか?」
「そうですね。様子を見て彼がすぐに来れそうであれば、呼んできてもらえますか」
「かしこまりました。ところで、」
姿勢を戻したナーラは、何故か傍らで片膝をついて首を垂れるフォルスに視線を向ける。この場に不釣り合いなほど丁寧な敬礼だ。
「私はフォルスに対して、何かをした覚えがないのですが……」
「いや、めっちゃ感謝します。ナーラさんが来てくれなかったら自分、うっかり陛下を抱き締める不敬するとこだったんで」
「なるほど、賞賛されて然るべき事態だったようで。詳細を求めます」
即理解を示した。しかも詳しく話を聞こうとしている。
二人の間に妙な連帯感が生まれているのを感じ、アリアナは状況の変化に頭がついていけず、疎外感に困惑する。
「陛下から『これからも変わらずに一緒にいてくださいね』と上目遣いで言われました。それだけでなく『あっ、これは命令ではありませんよ!』と駄目押しまでされまして、自分は、自分は……」
「……わたしの声真似、やたらと上手ではありませんか?」
「あ、自分、そういうの得意なんで」
わざとらしく胸を押さえ深刻そうに俯いていたフォルスは顔を上げ、悪気もなくけろりと答える。
声色どころか、話し方まで完全に模倣されていた。台詞そのものが捏造されているにも関わらず、発言を再現された錯覚を起こすほど完成度の高い。
そのせいでナーラは納得した風に頷く。
「あぁ……アリアナ様は自然体で心をくすぐる事をおっしゃる方ですから」
「フォルス、名演技でナーラを騙さないでください」
「いやいや、大体合ってますって」
「私の経験上、アリアナ様の主観より、フォルスの解釈の方が正確に近いと思います」
意見の対立は一秒も持たず、アリアナが多数決で負けた。
ほら見ろ、と言いたげなフォルスは肩を竦め、アリアナはショックで眉を下げた。
「アリアナ様は甘え上手ですから。しかし、フォルスは就任してまだ一年程度なのに、随分と心を許されているようですね」
「そうなんすか? 下臣としては光栄な話ですけど」
「……確かに、わたしは世間的に温室育ちで経験が足りず、同年代から見ても未熟者に見えるでしょう」
表に立てない病弱のお姫様のイメージでは、頼りない王と思われる。そこは不死身の女王という特称よって上書きされ、戴冠から一年かけて真面目に公務に取り組んできた。
それでもアリアナはまだ未成年、性別も女である事で見くびられている自覚はある。
「しかし、御しやすいと思われては王族の名折れです。――なので、相手によって心を許すレベルを入念に定めています」
胸に手を当てながら堂々と告げるアリアナ。
フォルスとナーラはお互い目配せし、神妙に頷いてから話を合わせる。
「……なるほど?」
「……ちなみにナーラさんと自分はどのレベルなんです?」
「ナーラはもちろん、最大値の10です。フォルスは8ですね。この通り、きちんと分別をつけてますよ」
「思った以上に高評価ですね」
長年付き添ったナーラを信用しているのは理解出来る。
一方で一年程度の付き合いのフォルスが十段階評価の上位にいるのは、相当心許していると宣言しているようなものだ。
フォルスは半目で大きく溜息を吐く。
「陛下、世間的にそういうの『ちょろい』って言われるんですよ」
「……ナーラ。フォルスの言う通りなのでしょうか? あまり良い言葉の印象を感じられないのですが」
「フォルスの感想も、アリアナ様の感性もどちらも合ってますよ」
ナーラは農業地域の一部を統治する子爵家出身のため、多少のスラング知識もある。
だから彼の言った言葉に『安易にコントロール出来る人物』という意味がある事も、その言葉を王へ向けるのは、抱き締める以上の不敬である事もわかっている。
「なので、そのレベル制度は自分ら以外の奴に言ったら、絶対にダーメですよ。舐められますからね。内緒に出来ますね? しっかりしてくださいよー」
「わたし、しっかりしてるつもりなのですが……」
しかし、それを指摘するほど野暮ではない。
アリアナは甘え上手だが、フォルスもなかなかの甘やかし上手だ。
王の責務を背負う若き主が心許せる相手が増えた事実を再確認して、ナーラは納得しつつ、こっそりと安堵に微笑んだ。
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