第08話 分裂した王家
テオドール・ハノー・マティーアの出生は複雑である。
現マティーア侯爵の兄は、心を寄せた平民の女と結ばれるために駆け落ちした。その末に生まれた子供がテオドールである。
――という事になっているが、事実は異なる。
テオドールの出生を複雑にしている原因は、彼の母方の祖母にある。
その人は王族――聖姫の姉に当たる人物だった。
当時、王太子であった姉姫は優秀で人望も厚く、次期女王として期待されていた。
しかし、相手が悪過ぎた。
妹である聖姫は勇者と共に魔王を討ち滅ぼし、人類の希望となった。
その偉業は国民だけに留まらず、世界から称賛を受ける強烈なもので、次第にこんな声が広まり出した。
『英雄である妹姫のほうが王に相応しい』
姉姫は盤石なだけの後継者だった。
求められたのは安定した王政ではなく、世界の頂点に君臨する傲慢が許される、革命的な王政。
そして当時の王であった父が、次期王を妹に替え、姉姫は政権争いに敗れた。
酷く精神を病み、王位継承権を放棄したのち、王城から飛び出して行方を晦ませてしまう。
絶望し何もかも投げ出した彼女を保護したのが、前マティーア侯爵だった。
姉姫は侯爵領の庇護下で娘を一人も授かる。彼女の娘が、前マティーア侯爵の息子と結ばれ、テオドールが生まれた。
つまり、アリアナとテオドールは祖母同士が姉妹、再従兄弟にあたる関係だ。
王位を争った姉妹の子孫である二人。
姉姫は妹によって築き上げてきた何もかもを奪われ、妹姫は望まれた革命に相応しく、国内外を善し悪し問わずめちゃくちゃにしていった。
妹姫の孫であるアリアナは現女王。
姉姫の孫であるテオドールは、仮面で王族の証と共に身分を偽っている。心穏やかではない、はずだが。
「あの、今日はお見舞いにきたのですが、これも、受け取ってほしくて」
もじもじと恥ずかしそうに、テオドールは小さなプレゼントボックスを幼い両手で包みながら、アリアナに差し出す。
紺色の包装紙に、ピンクのリボンが付けられた可愛らしい箱だ。
「えっ、ありがとうございます。もしかして……」
「はい! お誕生日おめでとうございます、アリアナさま」
「わ……っやっぱり! こうして対面で直接いただけるのは、格別ですね。今、開けてもよろしいですか?」
「はい!」
丁寧に包装を解き、中から出てきたのは見慣れたガラス製のインクの小瓶。
しかし、中身は黒ではなく、吸い込まれそうなほど透き通り、夕焼けを閉じ込めたような鮮やかなオレンジ色だった。
「綺麗……でも、これは? インクの容器に見えますが」
「ふふふ、中身もちゃんとインクなので、その色の文字が書けますよ!」
「茶葉や木の実の色インクは知ってましたが、こんなに色鮮やかなインクは初めてです」
祖母達の確執など無関係とばかりに、アリアナとテオドールの関係は良好。
テオドールが出自を隠しているため、表立った交流は難しいが、こうして喜ぶもの、好きな色を互いにわかり合っていて、誕生日に贈り物を贈り合う。仲の良い再従兄弟だ。
「本当に素敵な色ですね。紙とペンがあればすぐ試せるのに……あっ、今度テオに送る手紙は、このインクで書きますね」
「は、はい……っ!」
頬を紅潮させてテオドールは満面の笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間には何かに気付いてしまい、小さく息を飲んで硬直する。緊張の面持ちでアリアナに伺いを立てるように視線を向ける。
「……ぁ、あの、アリアナさまは、婚約者殿にも手紙を送ったりします、よね?」
「手紙?」
唐突な質問にアリアナは記憶を探る。
確かに婚約者同士なら文通くらいするだろう。だが何度考え直しても、ヴァレリオと手紙のやりとりをした覚えがない。
「言われて気付いたんですが、送った事がありませんね」
「そ、そうなんですかっ?」
「はい。ヴァレリオときちんと話をしたのは婚約の時で、その一週間後には王配教育のために彼は城の貴賓室で暮らし始めて、手紙を送る機会が無くなってしまったので」
「そ、そうなんです、ね」
テオドールが安堵したのは、本当に瞬きの間だけだった。
(そうですよね……! シジャーズマ領の本宅から連日登城は距離的に厳しいですよね……! でも
知らないうちに同じ城の中で、アリアナと婚約者が暮らしていた事実に強い衝撃を受ける。
柔らかくまろい手を膝の上でぎちぎち握り締めながら、テオドールはけして口にしてはいけない感情を内側に押し隠し、笑顔で応じ切った。
テオドールの内なる葛藤など知らず、アリアナは大事なものを扱うように両手でインク瓶を持ちながら柔和に微笑む。
「だから、これはテオ専用として大事に使わせてもらいますね」
「う、えっ、あぅ、っ……は、はい……! 是非……!!」
仲の良い再従兄弟――では、ある。
ただし、一方には少しばかり淡い恋情が混じっていて、――もう一方は使命感で目が曇っていた。
「それと、わたしに王配が出来たとしても、安心してくださいね」
インク瓶をテーブルに置き、アリアナはソファから立ち上がる。
そしてテオドールに向けて
「わたしの今のすべては、貴方が王位に就くまでの仮初。周りがどう言おうと、わたし達はけして争わない。そうでしょう? テオドール」
「――――」
アリアナの敬意に応えるよう、テオドールも立ち上がり彼女に手を差し伸べる。
「ええ。私は、必ず王になります。多くの民の幸福のために。そして、貴女に報いるために」
英雄譚が生まれ、人々は目が眩み、多くの血が流れた。
そして今もまだ、英雄の誕生に酔いしれた歓喜が麻薬のように忘れられず、人々は轍の道を進み続けている。それを、正さなければならない。
(王になる。王になれば、私は
本来受け継がれていた王位を、姉姫の系譜へ戻す。
未だ幼い次期王が国を担うに足る未来に辿り着くまで、希望を繋ぐ。
それが、アリアナ・フェンイザードが
同志達は手を握る。
己を中心に、どんな思惑が渦巻いていようとも。
(うーわ、引く)
扉越しに話を聞いていたフォルスは表情を変えぬまま、声に出さず侮蔑を吐いた。
(ハノーねぇ……確かハノーカノミ領の貴族のミドルネームだっけ? んで、テオドールもハノー、侍女のナーラもハノー、アリアナの実母も旧姓がハノー)
そして、アリアナの婚約者となったのはシジャーズマ領主の三男、ヴァレリオ・シジャーズマ公爵令息。
四方八方ハノーハノー。
見事なハノー尽くしの中、話した事もない男が婚約者として決まったのは、パワーバランスの調整としか思えない。
(知名度高い死体を旗頭に、政争は続いてるわけだ)
英雄の妹姫と、悲劇の姉姫。
既に死人、既に終わってしまった事。どちらが正しかったのかなど誰もわかるわけがない。
そして人は『わからないもの』を言葉巧みに利用する。
『わたしに名君の器はありません。ならばせめて、国民が安心してくれる王でありたいのです。そのためには何でも利用します。貴方でも』
いつかの夜に聞いた、アリアナの言葉を思い出す。
アリアナ本人も、自分が都合の良く使われている実感はあるだろう。その上で、アリアナもまた、自らの状況を利用している。それを、ライも理解している。
(……馬鹿だなぁ、ほんと)
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