第05話 魔族との契約

『元気そうだね』


 戴冠式の騒動が嘘のように、静まった夜。少年は再び、アリアナの前に現れた。

 ただ、消灯された一人きりの私室で、就寝前に無音で現れ話しかけられたため、とんでもなく驚いた。

 取り乱し飛び起きた事を恥じつつ、寝台の上で両膝を付いて深々と頭を下げる。


『あの、助けていただきありがとうございました。神様』


 宙に浮いた少年は小さく息を飲んだ後、破裂したように笑い出した。


『……あっはははは! 知らなかったなぁ、人族は魔族の事をカミサマ、って呼んでるんだ』


『……ま、ぞく?』


 魔族。アリアナの祖父母が国内から殲滅した、人族の脅威。

 下げていた頭を恐る恐る上げると、魔族の少年は愉しそうに嘲笑を浮かべている。


『そう、今目の前にいるのは神様なんかじゃない。人族が汚らわしいと殺していった魔族だ。そんな悍ましい力を借りてまで生き延びて、どんな気分かな? 女王様』


 貶める悪意が滲む問いかけだった。しかも言葉ではなく反応で答えを得ようとして、少年は観察するように顔を寄せる。

 大きく開いた口からは獣のような鋭い牙、ガラス玉のような深緑には生き物らしい瞳孔はなく、目の前の少年が全く違う生命体だと直観する。

 アリアナは改めて頭を下げた。


『間違えて失礼しました。助けてくださり感謝します。魔族の方』


『……え? そこ?』


 呆気にとられた声がして顔を上げると、少年は信じられないと言いたげな表情で眉を寄せている。

 アリアナも何が間違ったのかわからず首を傾げた。


『え? わたしが今生きているのは、貴方のおかげですよね?』


『そうだけど……。こう、魔族の力で生きてるなんて、みたいな気持ち悪さとかないわけ?』


『同じ栄養でも昆虫食より畜肉を選ぶ、心理人類学あたりの話でしょうか』


『いや、何で自分の知識と重ねて無駄に理解深めてんの。こちとら魔族なんだけど、わかってる? まーぞーく』


 物わかりの悪い子供に根気よく言い聞かせるような少年の言動に、アリアナはますます恐ろしさを感じる必要性が薄れていく。


『祖父母と違って、わたしは魔族の方に出会ったのが初めてなんです。だから貴方に対して、命の恩人以上の感情が湧かなくて』


『あー…………それならわからなくもない、けど』


 口にしなかったが、魔族の少年にとっても知識はあれど人族と直接接触したのは、アリアナが初めてだった。

 だからこそわかる。

 わかるが――釈然としない。


 先程までの愉快そうな気配は失われ、少年は渋い表情で浮かぶ体を寝台に下ろす。疲れたように座る彼の姿は、アリアナには同じ人族と変わりなく見えた。


『あの』


『っ!?』


 このままふらっといなくなりそうで、アリアナは咄嗟に少年の手を両手で握り、留める。

 触った感触は見た目通り人の肌に近く、少し冷たく筋張っていて、男の子の手との違いがわからない。


『え? 何、急に』


『わたしが差し出せるものは、何でも差し出せます。だから、』


 困惑している少年に向けて、アリアナは自らの覚悟を吐き出す。

 アリアナは自らの認識の甘さを痛感した。

 王族は想像以上に周囲から恨みを買っている。今後も命を狙われ続ける可能性が高い。


『どうか力を貸してください。わたしはまだ、死ぬわけにはいかないんです』


 蜘蛛の糸神の気まぐれだろうと、魔族の気まぐれだろうと、役目を果たすためにしがみつかなければならない。

 その姿はさぞ、みっともなかろう。アリアナはその自覚があったので、少年からどこか冷たい眼差しを向けられても、そのガラスの瞳をまっすぐに見つめ続けた。


『……命以外なら、何でも差し出せるって?』


『はい。わたしが差し出せるものな、っ』


 握っていた手を掴み直されて、ぐるんと視界が回る。

 気付いた時にはアリアナは仰向けで寝転がっていて、両手首は掴まれ、体の上に圧し掛かられて、名前も知らない少年に押し倒されている状態になっていた。


『へぇ? なら、このまま浚っちゃおうかな。魔のモノに捕まった人族の女が、家畜の雌が、何に使われるか。一国の女王様なら一般教養で知ってるでしょ』


 魔獣モンスターの知能は高く、人の生活圏を荒らすが、けしてその場には留まらない。

 必ず住処へ獲物エサを持ち帰る。そして女体は食肉として解体前に、懐胎される被害が多く上がっている。

 魔王の元に辿り着けない弱い個体は、さらに弱い生物を誘拐し増殖しているのだ。


 目の前の少年のように、対話すら可能な知性を備えた魔族クリーチャーは、さらに狡猾に獲物を浚うという。


 先程とは違って、少年は全く笑っていなかった。

 挑発する言動は変わらないが、見下ろしてくる視線は射抜かれそうなほど鋭い。


 命以外は差し出せる。

 告げた覚悟を問われているのだ、とアリアナは唾を飲んだ。


『存じてます、が……その場合、どの程度の支障が出るか、教えていただけませんか?』


『……支障?』


『被害者の状況や、妊娠出産に関する知識がわたしには乏しくて、具体的なイメージが難しいのですが……魔獣相手でもお腹は膨らむものなのでしょうか?』


『……ん?』


 眉間を寄せる少年の鈍い反応は、質問の意図が掴めてないように見える。

 少しだけ恥ずかしいが、困りそうな情景を思い浮かべ、具体的な質問をし直した。


『大きな体型の変化は周囲に誤魔化しきれないので、どうにかなりませんか? 小さめの種族なら誤魔化せそうなど、配慮をいただきたいです。あと、生まれるまでの期間は人族と同じでしょうか? 短ければ短いほど助かります。他にも食事内容はこれまで通りで問題ないか把握しておきたいです。あと一番重要なのが、わたしは状況によっては遠征もします。安静が必須だと聞いているんですが、どの程度の無茶までなら子に影響が』


『あのね女王様。ここは嫌だって泣き叫ぶとこなの。あと、浚うって聞こえてなかった?』


『はい。諸々の後は、どうにか自力で城まで帰ります。仕事があるので』


 何でも差し出す代わりに命の保証はされる。国内であれば頑張れば徒歩で帰城は可能だ。――つまり、死ななければどうにでもなる。


 アリアナは本気だった。

 少年は絶句した。遠くなりそうだった意識をすぐに引き戻す。


『いや何を馬鹿真面目に考えてんの。妊娠を隠し通して仕事続けるって? 馬鹿にも限度があるよ』


『二言はありません。命以外は差し出します!』


『信じられないレベルで手遅れの大馬鹿』


 覚悟を問われたので、それを示しただけなのに。ドン引きされる結果になった。

 夜の寝室に男女が二人きり。寝台に押し倒され、閨のその先の話までしているにも関わらず、二人の間に流れる空気は気まずさしかない。


『あの……それで、どうでしょう。話は受けてもらえますか?』


 少年は諦めたように溜息を吐く。


『……『まだ』死ねないなら、その『まだ』ってどのくらい?』


『最短六年、最長で十年くらいですね』


『その言い草。……本当に使命感だけ、って感じじゃん』


『長期的な話は難しいでしょうか?』


『短すぎるって呆れてんの』


 人族の寿命はおおよそ五十年。六年にせよ十年にせよ、短すぎる事はない。

 しかし魔族はさらに長寿なのだろう。言葉通り、心底疲れたような気だるげな顔をしている。


『で、ちゃんと女王様やれる範囲なら何でも差し出せる、だっけ? はいはい、いいよ。命の余数を増やすくらい、大した手間じゃないし』


『本当ですか……!』


『ほんと。――じゃあ、命知らずの女王様。俺と契約しようか』


 契約。それはアリアナにとって気が引き締まる単語だった。

 姿勢を正し、条件を話し合い、無事に締結するまで気が抜けないもの。

 たった二人で、額を合わせて秘密話をするような距離で、寝台の上でするものではない。


『さぁ、欲望を打ち明けてごらん。魔族おれに願いを託し、そのために差し出す対価を。自らの意思で口にして』


 耳の奥で反響するような声に、背筋がぞわぞわと粟立つ。

 見下ろしてくる人ならざる瞳は甚振ってやろうと獰猛に煌めいていて、愉悦に持ち上がった口角からは牙が見える。

 アリアナは今更ながら、自ら泥沼に踏み込んだ恐ろしさが湧き上がってきた。

 ――それでも。命の保証がされているなら、どうにでもなる。


『絶対に死なない体にしてください! 何でも差し出します!』


『言ったね? 後悔しても遅いから』


 満面の笑みで少年は上体を起こす。

 顔の距離が離れただけで拘束は解かれず、押し倒されたままだ。


『じゃあ短い付き合いだけど、これからよろしくね? アリアナ』


『あ……はい。わたしは貴方をなんと呼べば?』


『んー。じゃあ、ライで』


 適当に思いつきで用意したような言い方だった。


『ええと、では、ライ? そろそろ普通に座って話を……』


『どうして? このほうが楽でしょ? 人族は昼なり夜なり寝ておかないと死んじゃうんだから。魔族相手に体裁なんて気にしないでゴロゴロしてなよ』


 いかにも気遣いしているとばかりの発言だが、輝かんばかりの笑顔は胡散臭い。

 言葉通りではないとアリアナはわかりつつも、寝姿勢を物理的に強制されては選択肢がない。諦めて楽を受け入れればいいが、どうしても、落ち着かない。

 身動ぐと、手首を掴む力が増す。痛みはない。


『女王業務に差し障りなければ、何でも差し出す。そうだろう?』


『そ……うです』


 変な汗が出てきた。

 何が起きようとしているのか予測出来ないが、嫌な予感が止まらない。

 焦るアリアナの様子を満足そうに見下ろす魔族の少年――ライは妖しく笑う。


『じゃ、誓いのキスでもする?』


『あ、思ったよりも穏便な――……』


 また噛み付かれて血を啜られるのか、もしくはそれ以上の惨事スプラッタかと身構えていたが、全く痛みがなさそうな対価でアリアナはつい、ホッと安心してしまった。

 それを見下ろしていたライは笑みを深める。目はちっとも笑っていない。


『あははは、この命知らずめー。今すぐ手遅れにしてあげようか?』


 余計な一言を漏らした口は、容赦なく塞がれた。

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