第04話 戴冠式の回想
当時、アリアナは十三歳。
寝台と本と共に生きて、草花の香り、果物の事くらいしか知らない子供だった。
『わたしが国王なんて、務まるはずありません……!』
無理だと嘆いた。重圧に震えが止まらなかった。こんな頼りない王、国民だって望まないだろう。
しかし、母はそれを許さなかった。
『アリアナ、王族の一人として国の奴隷になりなさい。――正当な後継者へ、王位を繋ぐために』
母に叱咤されながら告げられた事実に、アリアナは驚愕する。
アリアナは最後の王族ではなく、他にも王位継承権を得られる存在がいると明かされた。しかもそれは、正統な後継者だと言う。
現時点で戴冠が難しい次代の王までの中継ぎとして、王家の一員として役割を全うしようとアリアナは決意した。国の混乱を収めるため、平和な治世のために。
けれど――――。
『傲慢な王族、お前達こそ、滅ぶがいい!』
約一年の準備期間を経て、戴冠式の日。
短剣と共に突き付けられた剥き出しの殺意によって、アリアナの決意は命の灯火に引きずられるように消えようとしていた。
『取り押さえろ!』
『医者だ! 早く医者を呼べ!』
『アリアナ! 死んでは駄目!!』
アリアナが見える範囲でわかったのは、王冠を持った大司教の横にいた司祭の男が、懐からナイフを取り出した事だけ。
王冠を受け取るため、頭を差し出していたアリアナは抵抗も出来ず、万雷の喝采の中心で首を掻っ斬られた。
(……びっくりした)
アリアナの正直な気持ちとして、自分はそこまで恨みを持たれている実感がなかった。だから、母の言いつけ通り、王族としての責務を全うしようとした。
その結果、首から噴き出す王家の血の中で溺れるように死ぬのは、あまりにも無様だ。
(痛い)
無知だった。愚かだった。
それでもまだ、アリアナは生きようと歯を食いしばる。
(痛い、痛い、寒い、苦しい。だめ、起きられなくなる、だめ……!)
例え一時的な王だったとしても、役割がある。
後継者に繋ぐために。幼くとも王が統治し、国民の安寧を守るために。
(まだ、死ねない――――!)
『助けてあげようか?』
そんなアリアナに救いの手を伸ばしたのは、御伽話の王子様ではなかった。
騒然と人が行き交う聖堂。
仰向けに寝かされたアリアナは、その天井を独占して悠々と浮かぶ少年を見つけた。
ステンドグラスから差し込む光を背負い、逆光の中でもガラス玉のような瞳は愉しそうにきらめいていて。式典のため参加者全員白を纏う中、彼だけは灰色で。
幻想的な少年はアリアナの鼻先に顔を寄せた。
『死なないためなら、俺に何でも差し出せる?』
恐ろしい問いかけを、甘い声色で誘惑するように訊ねてくる。
しかし、アリアナにとって何も怖くない質問だった。
(奴隷って、そういうものだから)
今まで王族らしい事を何も出来なかったアリアナに、出来る事があるなら、差し出せるものがあるなら、何でもする。その覚悟を持って、今日を迎えたのだ。
頷けない代わりに強く目を瞑り、肯定の意が伝わるのを願って目を開くと、少年の顔から笑みが消えていた。
『……あっそ』
どこか冷たく、吐き捨てる声。
正しく伝わらなかったか。内心焦るアリアナをよそに、少年の顔は斬られた首元に寄せられる。
『じゃあ、とりあえず血をもらおうかな。ちょうど、ここからたくさん出てるし』
『――――!』
瞬間、首に激痛が走ってアリアナは絶叫し、反射的に暴れてしまう。
この時アリアナの手を握っていた母が『しっかりなさい!』と声をかけてきて、アリアナはこの状況の異常性に気付く。
何故かアリアナ以外の誰も、宙に浮かぶ少年の存在が見えていない。
ならば、この少年は一体何者なのか。
得体の知れない存在が今、アリアナの血を啜っている。底知らない恐怖と共に、期待が高まった。
(彼は神様か何かで、本当に助けてくださるかも……!)
斬り付けられて十数秒。未だ医者は駆けつけず、アリアナは痛みと寒気で気絶寸前。
もう信じるしかない。
アリアナは必死に祈った。
(どうか、どうかお願いします。生き延びた暁には神話として語り継ぎます。なにとぞ!)
『……根性据わりすぎでしょ』
呆れた声色が耳元に落ちる。
いつの間にか激痛は止んでいた。
口元をべったりと血で汚した少年が再び、宙に浮かんでアリアナから離れていく。
『
『あっ……』
引き止める間もなく、少年はアリアナの視界から外れてしまう。
代わりに不安そうな顔の母が覗き込んできた。
『あ、アリアナ……?』
『はい、お母様』
名前を呼ばれ、思わずいつも通り返事をしていた。
母も驚いていたが、アリアナも自身が発したのが寝ぼけたような、やたら穏やかな声で驚く。到底瀕死とは思えない。
何故、痛みが消えているのだろう。
アリアナは無意識に首の傷口を指でなぞった。ぬる、と血で滑るが皮膚とは違うかさぶたのような感触。痛みは無い。
『傷が、塞がってる……?』
本当にあの少年が助けてくれたのだろうか。
どうして、どうやって。そんな当たり前の疑問が追いやられる程、生き延びた実感が込み上げてくる。
アリアナはまず真っ先に安心させようと、母に微笑みかけた。
向けられたのは、まるで化物を見るような、恐れ戦く表情。
その後、母はアリアナを避けるようになったため、それが最後に見た母の顔となった。
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