第02話 深夜の闖入者

 ――この世界には、魔王と畏れられる存在がいる。


 穢れた魔素マナを蓄えた獣、魔獣モンスターと永きに渡って戦い続けた人族はある日、歴史的転換点となる魔獣の特徴的な生態に気付く。

 人族が討伐した魔獣は全て、雄個体であったのだ。


 生殖機能がある以上、魔獣を生み出す雌個体も必ず存在する。

 しかし、これまで潰した魔獣の巣からは見つけられなかった。隠されている可能性が高い。


 雌個体を討伐する事は、増殖する魔獣を殲滅させる一手となる。

 被害に悩まされていた各国に情報が共有された結果、各地に洞窟に擬態した繁殖地――魔回廊コロニーの発見に繋がる。

 そして、最奥にて数多の魔獣を生む女型の魔族クリーチャー、魔王の存在も明らかとなった。


 だが、人族は魔王の圧倒的な力に敵わなかった。

 増え続ける魔獣を水際で防衛する。一縷の望みが見えたものの、人族の劣勢に変わりはなく、多数の犠牲と共に月日が過ぎていった。




「ああ、起きちゃった?」


 頭がむずむずする。

 煩わしい感覚の正体を確かめようと目を開くより先に、人の髪を無作法に弄っていた闖入者の声で誰なのかわかった。

 意識の浮き沈みを繰り返し、疲弊していたアリアナは安堵する。


「ラ、イ……いま、何時ですか?」


「さあ? 太陽の出入りなら、夜明け寄りだよ。いい加減、部屋に時計を置いたら?」


「秒針の音を聞いてると、どうしても本を読みたくなってしまって……一度、夜更かししてから、ナーラの承認が得られません」


「そりゃ自業自得だ」


 ふ、と嘲笑の息を吐いて、灰色の影が寝台から離れた。一人分の重みが無くなった揺れを感じながら、アリアナは数回目を瞬く。

 ようやく明確になった薄暗い視界に、見慣れた少年が顔を覗かせる。


 くすんだ金色に黒の差し色メッシュが入った襟足の長い髪、濁った水のような深緑の瞳に瞳孔はなく、磨かれたガラス玉のよう。

 教典に描かれていた神のごとき造形の整った麗しい少年が、宙に浮かび・・・・・、肩に羽織った灰色のケープを揺らめかせる姿は夢と見紛うほどに幻想的だ。

 非現実的な美がアリアナを真上から見下ろし、蠱惑的に甘く微笑み、指先で頬をくすぐってくる。


「なぁに? 甘やかされたいって顔してるけど」


「えっ、そんな。顔に出てしまってましたか?」


「……いや、その返しは狡くない?」


 表情や態度から意図せず本心を読み取られるのは、王族として恥ずべき事なのだ。

 アリアナは己の未熟さにショックを受けただけなのだが、少年――ライはアリアナの率直すぎる肯定に面食らい、悔しそうに眉を顰める。


「それで? 十五歳のめでたい席で、まんまと毒を盛られて一回死んで、楽しみにしてたケーキが食べられないって嘆いたアリアナは、何をご所望かな」


 噛んで含めるようにわざとらしい嫌味を混ぜながら、優しく触れていた指先が意地悪く頬を揉む。

 こういう反応は年相応、十五歳おないどしくらいの男の子らしく映った。


 しかし、ライはそんな愛らしい存在などではないと、アリアナはよく知っている。


「わたしの、――命の余数を、増やして」


 色硝子の瞳が瞬きを一つ。

 からかう素振りを止め、浮かべていた軽薄な微笑を愉しそうに歪める。


「せっかちだなぁ」


 浮遊をやめたライはアリアナの上に覆い被さる。

 腰は膝に挟まれ、顔の横に突いた両手によって肩は動かせない。

 適当に落ちてきたように見えたのは見せかけで、しっかりと拘束されている。ライの技巧にアリアナは密かに感動した。


「おねだりさせるつもりは無かったけど、そう聞こえちゃった? 毒焼けの体にチョコレートは論外でも、そこの水差しに凍ったオレンジくらいは入れてあげたのに」


 ライの指先が器用にアリアナの髪を絡め取る。

 また頭がむずむずしてきた。くすぐったさに少しだけ身動ぐと、体重をかけられて動けなくなった。しかし。


(重くない……)


 背中が柔らかな寝台なこともあって、圧迫される感覚は弱い。程良い重みはむしろ心地よささえ覚えるほどだ。

 体が重なった事で顔も近付き、そのまま額同士が触れ合う。

 ひんやりと気持ち良い温度を感じたアリアナとは逆に、ライはうんざりと「あっつ」と漏らした。


「夜が明けるまでは、誕生日なんだろう。あ、パーティが終わるまでだったっけ。どうでもいいけど。もっと何か欲しがれば?」


「わたしの望みは、ライがよくわかってる、でしょう?」


 額を合わせたまま、真意の測れない深緑の双眸はまっすぐにアリアナを見下ろす。


「今、命を狙われたら、今度は死んでしまう」


「そうだね。アリアナは人族で、命が一つしかないから」


 公表された暗殺は三回。秘密裏に処理された非公表の暗殺はニ回。

 戴冠から約一年半で計五回、アリアナは死んでいるのだ。


 しかし、一つの命しかないアリアナが今も生きているのは、ライから与えられた『命の余数』に五回の死を押し付けたからだ。


 アリアナ・フェンイザード。

 幾度と降り掛かった暗殺から奇跡的に生還した、不死身の女王。

 それは全て、まやかし。

 ライという存在によって成り立った、偽りの不死性。


「まだ、『私』が死ぬわけには、いきません」


 命の余数にどんな絡繰があるのか、アリアナは知らない。ライも説明しようとしない。

 しかし、命だ。いくらでも恐ろしい予測は出来る。

 どこかの誰かが、アリアナの代わりに命を落としているかもしれない。


 それでも、使わない選択肢はない。

 女王アリアナ・フェンイザードの為すべき使命がある、今はまだ。


「……そう。俺は明日でもいいと思うけどね。昨日の今日で全員ピリピリ警戒してる中、狙ってくるのは相当アホだろうし?」


「ライ、お願いします」


「――――あっそ」


 ぎし、と寝台のスプリングが鳴る。

 上体を起こしたライの顔は、吐き出した言葉とは裏腹に愉快さを隠しきれない笑みを浮かべていた。

 三日月のように開いた口から、獣の牙を覗かせて、魔族クリーチャーは酷薄に笑う。


「あーあ、心配してあげたのに」


「…………っ」


 ネグリジェの襟元にライの指がひっかけられて、胸元まで下ろされる。

 ライとはもう一年以上の付き合いだ。人慣れした猫のように密着される事にはもう慣れたが、服を捲られる恥ずかしさは拭い切れない。

 それでも耐えるしかない。これはライから命の余数をもらうために、アリアナが差し出す対価なのだ。

 

「熱、上がっても知らないよ」


 指先で顎を掬い、露わになったアリアナの首筋にライが顔が寄せる。

 手入れされた肌に不釣り合いな、一筋の裂傷痕。戴冠式で首元を斬りつけられた傷は深く、一年を経てもいまだ残ったままだ。

 その傷痕の上にライの息が、柔らかい感触が、鋭い歯が触れて、アリアナは反射的に目を瞑り、身を竦める。


(い、――……痛くない)


 毎回、噛み付かれる痛みに身構えるが、毎回、アリアナの覚悟を嘲笑うように痛みはない。

 甘噛みの感覚の後、噛まれた箇所から全身に熱が広がっていく。その熱さに頭がぼんやりし始め、強張った体から力が抜けて、抗えないほどの眠気に襲われる。

 ゆっくりと、上に乗った心地よい重みが離れていく。


「はい、一回分。……これで眠れるでしょ。おやすみ、アリアナ」


「ライ……かんしゃ、し、ます……」


 もう目を開けていられないアリアナには、ライがどんな顔をしているのかわからない。

 わかったのは意識が沈む直前、額に当てられた手の冷たさが心地良かった事と、寝かし付けるような触れ方が、優しかった事だけ。

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