不死身の女王は嘘つき吸血鬼から逃げられない※逃げる気もない
ある鯨井
第01話 不死身の女王
絢爛豪華な王宮の大広間。
フェンイザード国唯一の王族である、女王アリアナ主催の夜会は華やかに、厳かに執り行われていた。
「――――陛下!」
不意に剣呑な声が上がる。
ワルツの演奏は止まり、ダンスと歓談を楽しんでいた招待客達も息を呑んで、声の方に視線を向ける。
「こ、ふ…………ッ」
「衛兵! 陛下が果実水を飲んだ瞬間、吐血した! すぐに医者を!」
「はっ!」
アリアナの傍らにいた彼女の婚約者、ヴァレリオは駆け付けた衛兵に状況と共に指示を出す。
膝をつき、床に広がったパールブルーのドレスの上に吐き出した鮮血が染みていく。その光景にヴァレリオは思わず、彼女の背中に触れるのを躊躇した。
「皆、静まりなさい」
慌てる者、怯える者、混乱の中でも対応に動く者。全員に向けて、荘厳とした声が嗜める。
騒然とした会場内で誰よりも若く、誰よりも高貴なその一声により静寂する。
「ヴァレリオを含め、初めて見た者もいるだろう。よい、血を見慣れぬ者は目を背ける事を許す」
アリアナは血塗れのドレスを悠然と揺らしながら立ち上がった。
赤が跳ねた白いサテンのドレスグローブを一瞥し、もう使い道はないだろうと遠慮なく口元の血も拭う。
「フェンイザードの貴族に惑いは不要。この通り、我が身は不死身である」
あちらこちらから息を呑む声。
戴冠からおおよそ一年。これまで女王アリアナの暗殺未遂の情報は二回流したが、未だに信じられないといった反応が大半だ。
死の淵から蘇ったというのは比喩で、実際は治療が功を奏したとでも思われていたのだろう。
だから無駄だと知らず、懲りずに毒を盛られたのか。アリアナは追加で喀血しつつ、周囲の観察を終える。
「さて。集まってくれた皆には悪いが、私は急用が出来た。この場はヴァレリオに任せる」
「か、しこまりました」
まだ動揺の最中の顔色が悪い婚約者に、アリアナは漏れそうになる溜息を呑む。
彼はアリアナより六つ歳上で公爵家の三男、だが婚約者となり王配教育が始まってまだ一ヶ月。
酷い無茶振りをしている自覚があるが、背に腹は変えられない。
「では励むように。ああ、エスコートは結構」
澄ました顔でアリアナが歩き出せば、潮が引くように女王の退場を見送る。
「……噂は、事実だったのか」
アリアナの背が遠くなっていくと、人混みの中でどこかの令息がぽつりと零す。
その声が呼び水になり、女王の耳に届かないように小声で囁き合い始める。
「陛下は毒矢を受けてなお、一人起き上がったと話はあったが、事実だったのか」
「毒の効かない祝福でも授かったとか」
「まさか。今の、ただの余興ではなくって?」
「戴冠式で首に斬撃を受けたのは本当だ」
「陛下は必ずクラシカルドレスを選ばれるでしょう? 傷を隠すために……?」
「あれでまだデビュタント前とは」
「末恐ろしい」
こそこそ。ざわざわ。
虫のような騒めきを背中に感じながらも、アリアナは振り返る事はなく立ち去った。
会場を後にした彼女の側に素早く駆け寄ったのは、女王専属侍女頭のナーラだ。
ナーラは口を閉ざし、アリアナの後ろを寸分変わらない距離を保ちながら追従する。
二人が城内の居住区域に辿り着くと、アリアナは口を開いた。
「ナーラ」
「はい、アリアナ様」
さらりと清涼感のある声。
ナーラから『陛下』ではなく、『アリアナ様』と呼ばれた瞬間、アリアナの中の公私スイッチが『私』から『わたし』に切り替わった。
心地よく気が抜けると同時に、ドッと冷や汗を噴く。
「この、毒、とんでもないです。だいぶ痛いので、きっと内臓に穴が空いています。明日、には治ってますが、経験上、今晩発熱します」
「畏まりました。万全の体制を整えます」
「あと、背中に手を、当ててくださらない? 部屋まででいいの。さすがに血は飛んでないはずだから、――はぁ、ありがと、ぅぁいたた……!」
「アリアナ様、部屋まで辛抱くださいませ」
「今のわたし、瀕死の重体ですよ。歩いて部屋に帰れるだけ立派だと、褒められて然るべき、です……」
しゃんと伸ばしていた背中を丸め、毒に焼かれた腹部の激痛を堪え、仕方ないだろうと不満を漏らす。
居住区域内とはいえ、私室の外で見せてはならない姿で、ナーラの諫言も尤もだ。女王としてあるまじき醜態だと、アリアナ自身重々理解している。
しかし、じくじくと苛む痛みと、冷えた背中に当てられた温かさも相俟って、弱音も漏れた。
「ねぇ、ナーラ……今日のケーキは、明日も、食べられますか?」
毎年恒例、ナーラ特製のオレンジとチョコレートのケーキ。
今年はオレンジピールとジャムを使ったガトーショコラにすると教えられ、それはそれは楽しみにしていた。
「明日以降、作り直しますよ」
「違うの。今日、ナーラが作ってくれたケーキが、いいのです」
アリアナの我儘に、ナーラは込み上げてくる感情を堪えるために唇を結ぶ。
そして仕方ないと言わんばかりに眉を下げた。
「……畏まりました。アリアナ様のご随意に」
後に、その夜の出来事はフェンイザード女王暗殺未遂事件として公表される。
公の事例として、三度目となった。
一度目は戴冠式。
儀式の最中、偽装した聖職者の強襲により、首に裂傷を負うも生還。
二度目は祝賀パレード。
儀式直後に行う予定を延期し一ヶ月後、無事開催された。国民へのお披露目という慶事に盛り上がる最中、亡国の刺客により毒矢が降り注いだ。
護衛騎士と観客に死傷者が出た中、同じく矢を受けた女王は生還する。
そして、夜会にて三度目の暗殺未遂。
一度目は高位貴族と聖職者。二度目は護衛と観客というごく一部の目撃者しかおらず、噂は憶測の域を出なかった。
しかし此度、三度目は多数の目撃者がいたため、噂は現実味を増し、実しやかに囁かれるようになる。
女王アリアナ・フェンイザードは神に祝福を受けた、王の中の王。
故にその身は不死である――――と。
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