惨劇のまねごと

 君はきずを更新する。

三日に一度、決まった時間(夕方)に。

自分の部屋に籠もってこっそりと、


「この瑕はあの子との思い出の全て……この痛みはあの子との思い出の全て……」


 瑕を抉り、丁度と同じような見た目にまで追い込む。


 その時、君の脳に電流が走るのだ。

の、あの子との思い出が脳内に鮮明に再現される。

触覚も嗅覚も全てが瑕を通してされる。


 君は人間ながら記憶媒体なのだ。

レコードなのだ。あのクルクルと回転する装置――それが君なのだ。


 今日も夕刻がやってくる。

最後のから三日経った。


 君が見たの顔は徐々にアイスクリームのように溶けてゆく。

それが発見だった。


 自己の身体を完璧な再生装置と見做みなしていた君を相当に不安にさせる発見だ。


 しかし常識的に考えてみれば、いくら瑕を再現したところで過去の人間の顔を忘却していくのは仕方のないことではないか?


 なるほど、君は優れた記憶術を生み出した。


 出来事がある。同時に自己に瑕を付ける。そしてその瑕を保存するように定期的に抉り、する。

この技術は今後有効活用しても良いような技術だ。


 しかし君は満足しない。

どうしてもあの子の顔が見たい。

――どうしても。


 君は胸の瑕を何度も何度も繰り返し繰り返し抉った。

最初の瑕の深さをとうに超えていた。


 ああ、夕刻、夏の空は美しい。

夏の野に立った君が体操選手のようにキビキビと動く。


 なんだろうと思い、近付いて見れば

君がいる。


 君はそのうち倒れ込む。

むしのようにもがきながら、それでも瑕を広げる。


 君は最後に見るだろう。

あの子の顔はアイスクリームに似ていたか?

肋骨は飛び出し、心臓を露出させようと必死になっている君を見下ろすあの子は、

溶けた顔で笑ったか?


 君の死体は笑っていた。

なみだの痕があるのは理解できるが、どうして笑っているのやら。

自嘲か。目的を果たして勝利の笑みか。

それともか。


 今、君は不安になっている。

理由は簡単だ。抗不安剤が切れたからだろう。


綿野恵太わたのけいたは「ケミカルな唯物論」とか言ったっけ。

ゼロ年代には「薬」や「科学技術」などで脳をいじくれば(たとえ現実が悲惨でも)

人は充分に幸福になれる、という雰囲気があったという話。


 君はゼロ年代の後を追っていると見えるな。

ネット環境も何もかもが変化したというのに。


 君は不安がはげしくなるのを感じてベッドに仰向けになった。

自然と腹式呼吸になる。

しかしまだ呼吸が浅く、脈は速い。


 君は不安を分解してみる。


「不安言えばやけに知的で、精神的あるいは深刻味しんこくみを帯びているようだが、

実際にはそうではない。


いや、無論そういった合理的な不安だってあるだろう。

しかし不合理な不安、があるのだ。


現に今、この俺が感じているのがソレだ!

薬切れの不安なんぞに思想があってたまるか!」


 君は不安が一旦引くまでいくら程の時間が必要か想像する。

経験上、一時間か二時間程だろうか。

抗不安剤はオーバードーズで尽きている。

いつもの医者に貰いに行けるのは十日後だ。


「身体的な不安なんてバカにしてやれば良い。

こんなのは『身体が思い通りに動かない』という禁断症状の一例に過ぎないのだ。


胸がバクバクする。息が苦しい。吐き気がする。なんとなく周囲が気になり神経質になってしまう。

随分動物的な症状だ!

そうだ! 俺の不安はタダの身体の不安だ!


人生に迷う青年の不安なんかとは全く質が違う!」


 君はそうやって不安を解体しながらもついには不安に負けてしまう。

君の不安が実体化し始めた。ストーリー性を持ち始めたのだ。


 それから君は母親の恐ろしい声をフラッシュバックして聞いたり、

教室で嫌な笑いをしながらからかってくる(そのクセがあれば搾取さくしゅするように絡んでくる)やつらの顔やその「場」を見る。


 君は悶え、泣き、狂う。

不安に呑まれるとキリがない。


 気付いたら君は獣のような叫び声をあげていた。

胸はまるで「刺された」ようなリアリティを持った「(ココロという装置が再現した)ニセモノの痛み」を伝えてくる。


 そうして二時間後、君はヘトヘトになって開放される。


 

ただの薬切れに対する身体の反応なのだ。


 君は君自身を追い詰めた不安な「ストーリー」、母の声や教室が

「禁断症状への後付けで脳が創ったモノガタリ」に過ぎないということを自覚している。


 君は泣き笑いのような顔をして、あと十日も待って病院へ行かずに薬を入手する方法を考え始めた。

例えばお薬手帳を持たずに履歴を隠して他の精神科へ行く、だとか。


 無論、精神医学のセオリーとして

「依存性のある抗不安剤をできるだけ処方しない。

いきなりmg量の多い処方をしない」

という常識は存在する。


 虱潰しだ。

ユルイ医者を探さなきゃ。


 さて、〈少年王〉という奇妙な存在があり得た場について語らねばならぬ。

それは無論政治上荒廃を極め、王権は形骸化し、文化は退廃と裏腹の爛熟を迎えている。


 政務をつかまつるのは少年王ではなく有力家臣であり、

それだけに政治上の紛争は激しい。


 そうした時代があり得た。いなのだ。



 少年王が泣く時間は決まっている。

それが今の言葉で申せば午前三時であり――夜更よふけとでも曖昧に言えば多少の詩情を添えたことにでもなろうか――そしてそのはいよいよ迫っている。


 少年王が泣く理由は決まっている。

それは自らのかおが美しいからである。

厳密には中途半端に美しいが故に泣くのである。


 王はある時庭園を散歩していた。

さも悠々と遊んでいるという様を貴族共に見せてやるのも職務の内だ。

無論そうしたとしての優雅さでは足りないから、

王は一日のほとんどの時間――まあ数字にすれば十六時間ほどになろうか――

を寝て過ごさねばならない。


 その合間に豪華な食事、そしてお遊びだ。

お遊びの内容は気まぐれでなければならない。

それが優雅というものだ。


 王の優雅さは〈たった一人で庭園を散歩する〉というお遊びを選んだ。

沢山の従者や貴族に囲まれた上での音楽遊びや舞踏に飽いた気まぐれな麗人に相応しいであった。

無論、その従者やら貴族やらは茂みに隠れながらこっそりと王の散歩を観察している。


 これ以上書くと余談になってしまうが、王の遊戯は常に勝負であった。

王が遊ぶ時のチェックポイントは無数だ。

いかに美しく見せるか? それは所作などの「人に習う」箇所もあれば

ファッションのごときより感性的かつ「お買い物の技術」が問われる箇所も存在した。

人々は王の様をよく観察し興味を持って噂にしている。

紙といった記録媒体メディア上にこの手の噂が残ればその(不)名誉は永遠のものとなるかもしれない。


 

 その少年王がお庭でお散歩遊ばしている時のこと、一瞬のことだ。

彼は見てしまったのだ。


 実に美しい少年の(実に年齢は自分と変わらぬであろう)庭師を!


 断言するが、王は自分よりも美しい存在など見たことがなかった。

それは彼一流のナルシズムでもあり、幼児性でもあり、いやいやそれ以上にであったのだ。


 真理! 実に大袈裟! 実に実に真理だったのだ!

宮廷にいる職員も貴族も皆が

「少年王こそが天下において最も美しい」という一事いちじを認めたであろう。


 その真理が瓦解するのは実に一瞬であった。


――その一瞬を描いた今、もはや語ることは無い。


 さて、午前三時はいよいよ迫る。


 ずっと不眠気味の君は寝ようと努力する。

実際に眠ろうと必死になれば眠れるのだ。


 しかし起きてしまう。

時計を見れば一時間や三十分だけ経過していて「朝」まで余程遠い事が君を絶望させる。


 君は寝る。起きる。寝る。起きる。そして寝る。


 恐ろしいことに君の浅い眠りは一回一回――つまり一夜にして三十は超えるほどの――

「夢」を生み出していたのだ。


 君は気付かない。夢はめればすぐに忘却されるのが通例である。

それも短く浅い(つまりあまり現実的な思考から遊離しきれていない)夢ばかり三十回以上も見せられたら忘れるに決まっているのである。


 さて、私は君の夢の中でのあらゆる振る舞いを監視していた。

不眠気味になって以来、

一々数え上げると恐ろしいほど君はのだ。


 今後何が起こるとしても「いつか夢で見た情景」と合致するであろう。

またどんな小説を読んだところで「いつか夢で見た話」と合致するに違いない。


 君は夢を追いかける。

夢の中での経験を追いかける。

夢から逃げる方法など無い。


「生」から「死」まであらゆる経験を君はしてしまったのだ。


 ところで、本を読む夢があったね。

君は本ばかり読んでいたから。


 その本に書かれていた内容も夢自体も君は忘れてしまった。

けれどもその本の内容がことだ。


 子供だましを言うようだけれどもね、

その夢で読んだ本の内容はこの文章に似ていたのだよ。

あるいは君が日中書いている下らないにも似ていた。


 君は曖昧なあくびをしながら夢すら超えられない文章を書き、

積み上げていく。


 蜉蝣かげろうというバンドがある。

一般に「九十年代が最盛期」とされるヴィジュアル系というジャンルにおいて

「ゼロ年代(この用語をアニメ批評など以外で用いてはいけないだろうか)」

に活躍した。


 したがってヴィジュアル系というジャンルに格別の興味を持つ人間以外であれば

「知らなくて当然」の存在なのである。


 蜉蝣は「知らなくて当然」である。

しかし「縄」という一曲の「曲名」だけは「知っていて当然」という程知られて欲しい。


 曲や歌詞の内容すら知らなくて良い。

ただ「縄」という「曲の名前」があるということだけを全国民に知らしめたい。


 それほど「曲のタイトル」としてウマい。


 蜉蝣について色々述べると話が逸れるが、

「美容整形医師の趣味(夜な夜な少女の家へ侵入しては勝手な整形手術をする美容整形医師の話)」

「アイドル狂いの心裏学しんりがく」等の代表曲を持ち、

変態的な歌詞やそれを徹底的に(アルバムのアートワークからライブの演出まで)バンドの武器として利用する傾向のあったバンドである。


 そのバンドが「縄」なる曲を出すのだから、当然多くの人が想像するのは

緊縛きんばくプレイ(SMプレイの一種。サディストがマゾヒストを縛る類のもの)」

である。

断言してしまうが、そう「誤読」するように推理小説式に言えば「ミスリーディングに」作っている。


 念押しに付言するなら「縄」が収録された初出シングルは

『発狂逆立ちオナニスト』である。


『発狂逆立ちオナニスト』の「縄」と言われれば何かしらイヤらしい感じがするに決まっている。

ファンならなおさら「期待するところ」だろう。


 しかし「縄」は裏切る。

「縄」の歌詞を読むと「離れていく君をそっと縄で縛りたい」という切ない恋愛ソングに過ぎないのである。

曲も随分健康的で代表曲によくある疾走感のある内容となっている。


 ヴィジュアル系バンドたるもの一曲は疾走チューンが欲しい。

LUNA SEAルナシーなら「ROSIERロージア」でありGLAYグレイなら「誘惑」である。


L'Arc~en~Cielラルクアンシエルを「ヴィジュアル系」とすると怒られそうだが、

「大いにヴィジュアル系バンドの後進に影響を与えた」という意味で

「ヴィジュアル系の歴史」や「ヴィジュアル系の概要」を考える上では必要な一ピースとなるのは間違いない。

また、THE CUREザ・キュアーなどの英国ポスト・パンクからの影響や

DEAD ENDデッド・エンドなど国内ハードロックからの影響など、

「ラルクが影響を受けたバンド」もやはり「ヴィジュアル系っぽい」ものだ。


 無論LUNA SEAとラルクを並べればむしろ両者の個性の面が際立つだろうが、

「英国ポスト・パンク」から「一部の国内ハードロック」までの「影響を受けている音楽(バックボーン)」だけを抜き出せば案外似ているのである。


 ラルクであればやはり「HONEYハニー」がある。


 そうした流れに対し、充分に対抗出来るほど爽やかで切ない疾走チューンである。

蜉蝣でこの領域に達している曲は「妄想地下室」と「ゆびきり」くらいではないか。

むしろヴィジュアル系であれば

「数曲代表的な切ない疾走チューンを持ちつつ、

アルバム単位で聴けばドロドロとしたシャウトに満ちていたり、

物凄く暗かったりする」

のがカッコイイのではないだろうか。


「一単語だけのタイトルなのに個性的」なのが大きなポイントだ。

似たような「衝撃的な曲名」でいけば(知名度もジャンルも全く異なるが)

|THEE MICHELLE GUN ELEPHANT《ザ・ミッシェル・ガン・エレファント》の「トカゲ」 も挙げておこう。


「トカゲ」。たった一語のタイトルなのに誰にも思いつけない程の個性に満ちている。

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