八月二四日

午前一〇時、逢阪は何一つ変わらず校門で待っていた。


「話って?」

「その前に、日陰……中庭にでも行こう」

「……うん」


焦らすつもりはないが、この炎天下に長話をする訳にもいかない。俺達は本館と理科棟に囲まれた中庭まで歩いて、適当なベンチに腰をおろした。ここには誰もいないが、セミは鳴き続けている。俺は始めにこう切り出した。


「これから俺は個人的な話をする。内容は、普通他人には話さないようなことだ。ただ、これを聞いたからといって、お前が何か責任や義務を感じる必要は一切ない。俺自身のために話すからだ」


一つ大きく息を吸って、おおよそ次のことを話した。


俺の父方の祖母は一〇年前に癌で他界した。その一年前、祖母がまだはっきりと喋れる頃、曽祖父から続く伝統行事があるのを聞かされた。曽祖父の地域にあったらしいのだが、いわゆるタイムカプセルと似たもので、自分の夢を紙にしたためる。とある箱に入れて、どこかに隠す。多くのタイムカプセルと違うのは、箱を掘り起こして開けるのは、未来の自分の子孫であること。親になって、子供が成長したときに、親がその話を聞かせる。子供は在り処を聞いて箱を見つけて、紙を取り出し、自分の紙を入れる。そして決めた場所に箱をまた隠す。けれど、俺の父は俺が三歳のとき、まだ祖母の存命中に亡くなった。だから、祖母が代わりに俺にその話をしてくれたんだ。父が埋めた場所は……旧生徒会室。どうやら父の代の前にあそこは置き去りの倉庫に変わっていたらしい。


ここまでの説明ではただの慣習のように思えるが、このとある箱というのが重要で、紙を取り出すときに箱はほのかに光り、その刹那、景色が朱色のもやに包まれる。赤い極光オーロラの如きその現象は、先祖代々何度も証言されたものだった。そして、俺は今日その箱を確かめなければならないのだ。


説明し終えると、暫くして逢阪が口を開いた。


「わかった。行こう、旧生徒会室。私、なんだかこれを待っていた気がする」


妙なことを言うものだ。逢阪が予想できることじゃないだろう。


ともかく、俺は逢阪を連れて目的地まで歩いた。その間、逢阪はずっと何かを考えているようだったが、詳しいことは尋ねなかった。


旧生徒会室のドアに手をかけると、案の定、ドアは開いたままだった。やはり貼り紙など必要なかったらしい。中は前来たときと殆ど変わらない。少し場違いな花火セットとクラッカーが無くなっただけだ。ここのどこに箱があるかまでは知らない。しかし、見つかるだろうという確信があった。


目の前のマットを引っ張って、綱をどけて、なんとか奥の金属棚の最下段にスペースを作る。そこには祖母が言った通りの、白粉をはたいたように美しい、手のひら程の桐箱があった。蓋には達筆に加里屋家と書かれている。思わず「これか」と呟いてしまった。


「綺麗な箱だね」

「ああ、これが父の……」


砂やホコリを被りながら、それに気づかせないほど輝きを放つこの箱は、流れてゆく時、移ろいゆくモノと人に取り残され、ただじっとここにあり続けた。この数十年、生徒や先生に見つからずに済んだという明らかな不思議も、この神秘の前には取るに足りないものだ。俺にはただの桐箱が神器のようにも思えた。


ただ、これを手にとってみなければ検証できない。恐る恐る、禁忌に触れる心持ちで身体を前のめりにして掴んだ。間違いなくこの箱だ。


「ここで開けるの?」

「ここでいい」


偽りのない答えだった。逢阪が静かに頷く。その首肯には、全て俺に委ねるという意思が込められているように感じた。


左手で底を支え、右手の人差し指で加里屋家の字をなぞる。百年以上の歴史を一切感じさせないこの箱も、表面は確かに傷つき、砂でざらついていた。それが何より、紛い物でも幻でもないことを証明している。



俺は蓋を開けた。



瞬間、手のひらに強烈な、火にかけた鉄鍋のような熱さを感じて、思わず「あっ」と声を出して箱を手放した。箱と蓋は狭いこの部屋の地面にひっくり返って落ちた。何が起こった?わからない。逢阪の「どうしたの?!」という叫びも、今はただの音声以上には受け取れなかった。けれど、明らかに箱は赤く燃え、箱からあかい煙が上がっている。手で煙を払いながら箱を拾い上げると、もう炎は消えていた。箱の外側面に大きな焦げ跡がある。これは、祖母の言った通りのなのだろうか。いや違う、漂う火薬の匂いがそう告げていた。


「これ……発煙筒?」


逢阪がそう言う。


「何?」

「遭難したとき、救助し易いように火薬を使って煙を上げて、視認性を高める道具。多分その仕組みが使われてると思う」


こんな危険な細工が何故施されている?俺の父がそうしたのは間違いない。けれど、俺の中にある人物像とかけ離れているように感じる。そして不思議と嬉しくもあった。


ふと思い出して、床に落ちている紙を手に取った。左下は焦げて黒くなっている。この面には何も書かれていないが、裏に父の夢があるはずだ。


紙を裏返すと、こう書かれていた。



“自分のために生きていきたい”



俺の一七年の時間が、全てひっくり返ったような心地がした。俺はずっと心の底でと思って、そう信じて父を過去に葬り去って生きてきた。しかし、この文からは、父の人生はその本心とは別に進行していたように思えてならない。果たして、父は本当に望んで人を助ける道に進み、死んだのか。本当にわからなくなっていた。


ただ、それがわからなくなったからこそ父の遺した細工の理由は、なんとなく感じ取れるものがある。これは、当時の父に秘められていた反発心の結晶なのだ。


父は幼い頃から人の困難を見過ごせない性分だったけれど、同時にその性分を憎むこともあった。だから苦しみ続けて、それでも性根は変えられなくて。自分の行く末に希望を失っていた。そんなときに父は将来の夢と言われて、どうしようもない怒りや哀しみを抱いたのかもしれない。


これはあくまで俺の妄想で、真相は全く藪の中である。しかし、その可能性があるということだけで十分だった。俺は、また振り出しに戻ったのだ。改めて父とはどんな人か、夢とは何か、考えなければならなくなった。


ただし、一つだけわかったことがある。俺の祖母が言おうとして、止めた言葉。祖母は俺の去る寸前


「開ける時は、よく気をつけるんだよ」


と言おうとしたのだ。


逢阪の方を向く。逢阪は、俺に問題がないことを悟ると、面白いものを見る目でこちらの顔を覗いていた。


「悪かったな。個人的なことに付き合わせて」

「ううん。最後に一番不思議なことに出会えて良かったよ」

「不思議なこと?」


どこにそんなものがあったんだろうか。


「その箱って二十年以上前にそこに置かれた。だったら、火薬なんてとっくに湿気って使えないでしょ」


確かにその通りだ。理由ばかり気になって、方法になんの疑問も持っていなかった。


「…ふふっ。最後の最後で謎が見つかったね」


そう言った逢阪の笑顔は、暗いこの部屋の中でも、間違いなく本物だと確信できる。そして、俺は都合がついたときにでも、今日のことと、これからのことを話したいと思った。逢阪にその意向を伝えると、快く承諾してくれた。


暫くして、俺たちは旧生徒会室を出て解散した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る