七月二四日

俺の予想は外れて、逢阪と再び出会うのは想像以上に早く、三日後のことだった。俺が、いつも通り一〇時に学校に到着すると、校門の傍で待っていた。もちろん、待ち合わせなどしていない。


「なんでここにいる」

「加里屋を待ってたから」

「なんで待ってた」

「加里屋が来ると思ったから」


わざとこうやって無為に時間を過ごさせて、くすくすと笑う。性格の悪さは三日前の印象と同じかそれ以上だ。でもその笑顔がとても無邪気に感じて、あまり腹が立たなかった。


「用がないのなら俺は自習室に行く」

「まあ待って、今日も調査を手伝ってもらいたいの」

「断る。そこまでする義理も理由もない」

「でも三日前、私は加里屋に千円を渡した」

「その話は三日前で終わりのはずだ」

「そうだね。でも、加里屋はこんなことで千円を貰ったことに若干後ろめたさを覚えている。更に、今後私が何をするのか気になって仕方ない。……机に向かって数学の問題を解くばかりじゃ心は保たないよ」


意地の悪い笑みを浮かべて迫ってくる。後者についてはかなり自惚れが含まれているが、前者に関して言えば否定できない。同級生の、しかも赤の他人から千円を受け取ったことは、俺の心に罪悪感を残していた。勉強だけの張り詰めた夏休みは、精神にも悪い影響があるというのもその通りだ。母からも言われた。


「……わかった。ただし手短にな」

「それでいいよ。別に大層なことをするんじゃないし」


逢阪は手をひらひらと振ると、その手でグラウンドの奥の方を指した。


「今日はあの旧生徒会室の謎について調べるよ」

「はいはい」


こんな明るい時の謎は、もはや怪談というより学校の七不思議だろう。逢阪が歩き出したので、その後ろを付いて行った。


「…加里屋はなぜ学校で自習するの?君の性格なら、家でも勉強はできるだろうに」

「学校の自習室には空調があるからな。家が貧乏で電気代がもったいないから、家の冷房器具、扇風機しかないし。それも使ってない」

「……そう、少し上からの物言いだった。申し訳ない」


逢阪は意外にも、見てわかるほどしゅんとして謝った。その表情がどこか可笑しくて笑ってしまった。


「特に気にすることじゃない。俺よりもひどい生活環境の人間なんて世界に五万といる。その度に配慮していたら霧がないだろ」

「そう……ありがとう」

「こっちからも質問だが、なぜ誰かを連れる?そしてなぜ俺にこだわるんだ?……こんなことに付き合う人間は珍しいかもしれないが、三日前まで赤の他人だった奴だぞ?」


俺が立ち止まると、逢阪も止まる。少し場が静まった後、逢阪が人差し指を立てて口を開いた。


「一つ目の質問の答えは、私だけじゃ意味がないから。今の私が見た、聞いた、触れた、と言っても、証人がいなければ未来の私は納得しない。二つ目は、私の事情をある程度知っていて、そしてある点において信用できそうだったこと」

「ある点とは?」

「科学に対して真摯である点」

「…そりゃどうも」


されたことのない褒め方でいまいち反応に困ったが、独特故に本音のようで素直に嬉しかった。



ただ、俺にはもう一つ疑問があった。


「しかし、今やってることは、児童向け図書みたいな愚にもつかない怪談の調査だ。それで「科学が幻想か」なんて大それたことを証明できるのか?」

「この調査は学会に発表するためでも、ましてや社会貢献のためでもない。私のための行動だから、私が納得すればいいの」


逢阪は力を溜めるように大きく呼吸して、続ける。


「科学という分野に、一生を賭する価値があるのか、見定めなければならない。私は、私の人生に、一抹の不安も抱きたくないから」


今までの言葉で、一番強い力があった。暗に、てこでも動かないという意志を示して。何かきっかけがあるのだろう。正直答えになっているか怪しい返答だったが、俺はそれ以上詮索しなかった。何か話すことがあっても、必要があれば、逢阪のほうから話してくれるはずと思い、俺達はまた歩き出した。


グラウンドの近くに来ると、いつもなら野球部やサッカー部など運動部が競い合うように出している掛け声がどんどん大きく聞こえてくるものだが、今日はどの部活も活動していない。珍しい日もあるものだ。


「今日人が少ないのはどういう理由なんだ?」

「…旧生徒会室の謎は、この学校に二十数年勤めている日田先生に聞いた。……先生はいい人だったよ。私が怪談について訊いてみたら、何がそんなに面白かったんだろ。大げさに笑いながらこの話をして、調べるのに丁度いい日付まで教えてくれた。その代わり、孫が幼稚園に入ったとか、テニス部の部長の誕生日が今日だとか、訊いてもないことも聞かなくちゃならなかったけど。……後、プラスでドアに鍵はかかってないらしいし、今は殆ど放置状態の倉庫だから誰も気にしないって」


日田先生というと、俺の数学Ⅱの担任だ。学校のドンと呼ばれている。それは校長ではなかろうか。さておき、髪が余すことなく全て真っ白で、背はあまり高くない。よく笑ってよく喋る人で、こちらが心配するほど呑気で調子がいいが、どこか食えない人でもある。もう五九歳だと言っているが、かなりエネルギッシュで還暦手前とは思えない。確かにその人なら笑って協力するだろう。俺は、先生と逢阪の運命的な相性の良さに恐怖を覚えて身震いした。


「その代わり、調査が終われば使用禁止の貼り紙をして欲しいって、この封筒を渡された」


逢阪はポケットからガムテープと茶封筒を取り出した。口にテープを貼られた封筒の中には、件の貼り紙が入っているのだろう。なるほど、こちらの口実も用意してくれたのかと、俺は少し感動した。



逢阪はグラウンドを大胆に横切ろうとしたが、俺が無理やり手を引っ張って端のほうへ誘導する。なんとなく、蛮勇が過ぎると思ったからだ。逢阪は驚いた顔をしていた。


旧生徒会室の前まで来ると、逢阪が話し始めた。


「ここの怪談は割と最近のもの。十年前だったかな」


しかし十年前なら、俺が小学二年生の頃まで遡ることになる。


「この倉庫は確かに二〇年ほど前まで生徒会室だった」

「校舎と完全に独立した小屋なんて、まるで秘密基地のような場所だな」

「うん。実際ここは私達高校生の夢や希望の泉みたいな所だったんだと思う。けれど小屋の老朽化で現在の理科棟一階に移された。……今のここは、抒情詩的に言えば青春の残骸。学生たちの無限の活力と、過去になってしまった思い出が染み付いた場所なの」

「だから不思議な力が作用すると」


その程度のいわくで物理法則を超越し得るのなら、世の中は魑魅魍魎の類で溢れかえっていることだろう。まあこれは野暮な指摘かもしれない。


「ただ、今すぐ超常現象が見られるわけじゃない。夕方にもう一度来てみないと」

「比較しないとわからないのか?」

「ここで起きることは……まあ、ものが増える。そして、減る。だから比べてみないと」

「ものって?」

「色々。毛布とか、絵の具とか、服……段ボールとか」

「えらく共通点がわかりにくいな。それに、それが高校生の活力と思い出の象徴と言われれば、それもわからん」

「それと、夕方の調査は今日やってるテニス部の自主練が終わる一八時位で。先生にそう指定されてる」




逢阪はそういえば、とまたも白衣のポケットから、次は三日前には無かったスマホを出して連絡を交換しようと言ってきた。断る理由もないので交換すると、逢阪はあっさりじゃあ開けよう、と戸の引手に手をかける。力を込めると、キィーという金属の錆びついた嫌な音が鳴ったものの、案外簡単に開くことができた。俺はなんて不用心なんだと若干呆れたが、好都合に変わりはない。中には古くて使い物にならなそうなマットが腰ほどの高さまで積まれており、おそらく体育祭用の三〇メートルは超える長さの綱の一部がマットにかかって、マット上のゴミやホコリが扇状に払われている。後は、汚れたライン引きが赤青一つずつ、その他運動用の道具が乱雑に並べ置かれているが、ただ、何個か使われていない体育倉庫として見たとき、似つかわしくないものも散見される。例えば花火セット数袋、チャッカマンが一つに……あと青いバケツが全てマットの上にある。奥の金属棚にはパーティークラッカーまでも置いてあった。手に持って調べると、どうやらバケツを除いてどれも新品のようだ。


「……まるで今夜花火をするみたいだな」

「話によると、こういったものが朝現れては夜には消えてるそう。さっき言った段ボールとかも、誰も回収してないのにいつの間にか無くなったって。さっきの表現になぞらえるなら、これも過去の高校生の思い出の結晶かもしれない」

「思い出、ね」

「思い出……そういえば、先生は最近、家族や学校の記念写真を現像したみたいなこと話してた」

「部長ってのはテニス部の上林か。にしてもその日の先生は何時にも増して饒舌で、機嫌が良さそうだ」

「かもね。こんな話をずっと聞かされたから、誰かに話さないと持ち腐れのような気がして、私もお喋りになってるかも」


なるほど。しかし、別に腐らせておいても問題ないとは思うが。話を一旦止めて、調査に努めた。


……ちょっと奇妙に感じる。それはもちろん怪談の話なのだから、奇妙なのは最初から間違いないのだが、何か違和感を覚えた。生活感と呼べばいいのだろうか、マット周りに、ホコリが他より積もってない場所があったり、放置された倉庫にしては人がいたような感覚がある。


「マットがずれたような跡がある」

「長い時間で勝手にずれていったんじゃない」

「これ、本当に怪談だと思うか?」

「信じてるのかってこと?前にも言った通り、信じてないけど確かめに来ているの」

「そうじゃなくて、ただの怪談にしては変と思わないかということ」

「それは………思う。けれど、私は不可解または不可能な現象が起こるのを確認できればそれでいいから」


逢阪は、あくまでいつもの落ち着いた口調を崩さなかったが、三日前、時計を目の前にじっと立っていたときのような、焦りや不安を俺は僅かに感じ取った。


しかしそれとは別に、俺はある疑問を解消するために質問をした。



「日田先生は女子テニス部の顧問だな」



「副だけど」と補足して、逢阪が首肯する。なんとなく、事態が読めてきた。


「ちなみに、逢阪はただ昼と夕で見比べるだけで満足するのか?」

「しない。だからこれを持って来た」


白衣の内ポケットから新型らしいハンディカムとモバイルバッテリーを取り出した。その白衣は米軍の特殊部隊のために作られたとしか考えられない機能性だ。


「これを角に設置して最低画質で夕方まで動画を撮る。そしたら変化も見逃さない」

「この調査のためだけにでもカメラを買いそうな勢いだな」

「実際そう。お金だけはあるから」


一度言ってみたい台詞だ。それはさておき…


「ただ、どうやら動画を撮る必要はなさそうだ」

「……?どういうこと。もうカメラは設置したけど」


確かに金属棚の隙間にハンディカムが詰め込まれている。


「怪談の正体がわかった」

「…教えてっ」

「夕方もう一度会ったらな。それまで封筒は持っとけよ」

「……いじわる」


子どものようにいじけた姿は、少し可愛らしいと感じた。


「意地が悪いのはいつもお前のほうだよ」


逢阪はきょとんとしている。まさかあれ全てを無意識にしていたというわけなのか。それはとても恐ろしいことだ。



「……ヒント」

「えーっと………多分テニス部の自主練、ほぼ全員来るだろうな」


それから逢阪は黙りこくってしまった。仕方ないので取り敢えず靴箱の方まで逢阪を誘導して、最後にこうアドバイスした。


「何がお前を駆り立ててるのかは知らんが、あまり気負っていいことないから気楽に考えろよ」


これくらいの意地悪は許されてもいいだろう。


俺は振り返ることなく自習室に向かった。


今日の勉強は一段と捗り、いつもの量を一時間も短縮して終わらせることができたので、なんだかいい波に乗った気分だ。さてと、時刻はもうそろそろ逢阪に呼ばれる頃だろうとスマホを確認すると、丁度二分前に下足で待つ旨のメッセージが送られていた。適当に返事すると、俺は自習室をそっと出て階段を降りた。


「……答え。教えて」


下足で逢阪が待っていた。どうやら謎は解けず仕舞いらしく、不服そうな表情をしている。謎と形容するほど難解ではないのだが、やはり逢阪は気を張り過ぎているのかもしれない。


「そんなに焦るな。……そうだな、テニス部の方に向かいつつ話そう」

「なぜテニス部?」

「それも話す」


とにかく靴を履き替えて下足室を出た。俺がグランドへ歩きだすと、逢阪も付いてくる。



「日田先生はなぜ封筒を渡したと思う?」

「なぜって……貼り紙が入ってるから」

「それだけをわざわざ封筒に入れて、ご丁寧にテープで封までするか?普通。貼り紙なんだからそのまま渡して良かったはずだ」

「……何か別のものが入ってる」


黙って頷く。


「貼り紙も入ってるかもしれんがな」


逢阪が毎度の如く白衣のポケットから茶封筒を出し、左手で掲げる。


「何が入ってるの?」

「俺は、写真だと思う。写真はベタベタ触られたり、折られたら困る」


なぜ写真を?と逢阪は顔で訊いてきた。


「まず、あの旧生徒会室から説明しよう。中の花火等は超常現象でもなんでもなく、テニス部員が隠すために持ち込んだものだ」

「それは先生たちにバレないように?」

「それもあるが、大事なのは部長にバレないこと。彼らは部長の誕生日サプライズをしようとしている訳だからな」


逢阪が「あっ」と少し驚く表情をした。


「部活後にクラッカーで祝って、そのまま公園で花火でもするのだろう。一緒に帰りに買ってもいいが、サプライズなら事前に全て用意したほうがいい。ただ、部室に置いては部長にみられてしまうから、朝早くに来た部員が、放置されている倉庫に入れて匿っておき、部活が終われば、部長が部室にいる間に取ってきて、突然クラッカーをパンッと放つ。花火に誘ってプレゼントを渡して……という流れだ」

「……それで写真って?」

「部活動の記念の写真とかだろう。旧生徒会室が倉庫になって二〇年が経つんだ、現テニス部に限らず先輩の多くがあそこを使ってたんだろうな。倉庫に綱があっただろ?マットに乗っかっていたやつ。綱はおそらく奥に置いていたが、誰かがどけたり寄せたことで先のほうがマットにのしかかる形になった。そのマットの上にものを置くため、綱を端に寄せたからマットの上のホコリも払われたんだ。まあとにかく、そんなふうに昔から生徒の物置として影で使われてきたからか、先生もそれを勘づいていた。そしてこのサプライズ計画もどこかで聞いたのだろうが、それを注意する気もなく、むしろサプライズに一枚噛んでやろうと思った。日田先生なら思いかねないな。そこで、運命のように逢阪が相談にやってきたから、怪談を話して封筒を渡した。中に部活動の記念写真を入れて。と、こういう訳じゃないか?」

「………なるほど。憶測の部分が多いけど、筋は通ってる」


そこまで話したところで、テニス部員が活動しているクレーコートに到着した。


「あのーすみませーん。部長さんいらっしゃいますか?日田先生からの贈り物を届けに来ましたー」

「はーい、私が部長です……って加里屋くん……と逢阪さん?!なんで?」


俺が目線を向けて催促すると、逢阪は封筒を部長の上林に手渡した。


「あ、ありがとう……ございます」

「それ、開けてみて。今」

「わ、わかりました」


同学年相手に緊張しているようだ。この学校のどの生徒をとっても接点がなさそうだから無理もないだろう。上林は封を切り、中身を取り出した。


「これ、先輩との写真……」


写真を覗く必要はない。それが写真だったのかというのが、俺の推論が正しいことの何よりの証拠になる。と、そこで逢阪が一言添えた。


「誕生日、おめでとう」

「……… ありがとう、ございます」


上林は困惑した様子だったが、軽く礼をして部室に戻っていった。これ以上用もないのでこれにて退散し保険をかけて一〇分ほど待ってから、旧生徒会室だか倉庫だかにあるハンディカムを回収して、逢阪が映像を確認すると、確かにテニス部らしい生徒が入る姿があった。


逢阪はふと、独りごちるように尋ねる。


「なぜ先生は私に……」


解答を俺がする前に、逢阪自身が答えた。


「私が部長と全くの他人だからか。知らない人に祝われた誕生日というのは、良いか悪いかはさておき中々忘れられないものになる。多分日田先生という人は、そんなことを突然考えついて、遊び半分でやってみるような人なんだ。面白いけど、ちょっと怖いかも」


日田先生は良い人だ。授業も上手いから、良い先生でもあるに違いない。ただ、その根底には、社会生活においてスレスレにも思えるユーモアへの追求心があるのかもしれない。それは、今日の出来事まで気が付かなかったことだった。


逢阪の顔を見れば、悲しいとも楽しいともつかない表情をしていた。そして、今度は明確に俺に対して問うてきた。


「……私のやっていることは、やはり無駄なのかな」


俺は、逢阪のやっているこれをどう思っているのだろうか。行動を日記にでもつけてみれば、おそらく小学生の夏休みのそれと変わらない。けれど、何かが秘められている気がするのも事実だった。


「この調査は、科学が幻想か否かを調べるものだ」


ならば、


「無駄だと言い切れたとき、真に調査は終了する。それまでは続けて良いと、俺は思うな」

「…そうね」


ここで無駄だと言えば、逢阪は何か変わるかもしれない。ただ、その違いが何をもたらすのか、俺には想像がつかない訳なのだから、無責任な言動は許されなかった。


「そういえば、まだ聞いてなかった。加里屋の下の名前教えて」


急な質問だったが、断る理由もないので答えた。


しのぎ。鎬を削るとかのあの鎬だ」


逢阪はそれを聞くと、微笑んだ。しかし、その表情に、初日の時計の前で見たようなない混ぜの感情を感じた気がした。




まだ日は落ちていなかったので、俺達はここで解散し、別々に帰った。汗でシャツが身体に張り付いて鬱陶しい。タオルを持ってきていないのを後悔した。夏の蒸し暑さは、三日前からひどくなる一方だ。

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