第16話「バイト、辞めてよ」
「た、ただいま」
夜になって、心の準備を終えて家の玄関を開けたら、ダイニングキッチンには誰も居なかった。
きっとお風呂も済んだから部屋にいるんだろうな…って、ノックをして了承の返事を貰う前に扉を開けて部屋の中を覗きこんだら、
「…はい。…はい、ありがとうございます」
どうやら愛は、私が帰ってこないことにも気付かないくらい真剣に、誰かと電話をしていたらしい。
「わかりました。明日ですね。お礼はお会いした際に…いえいえ。その話は、先ほどもお伝えしました」
誰と話してるんだろう……気になって耳を傾けてみれば、堅苦しいけど普段他の人と話すよりは穏やかな声が聞こえてきて、モヤモヤする。
なんか会うみたいな会話してるし、これはもしや男関係なんじゃ…?と疑惑を抱いた。
愛に私以外の他の友達は居ない。それなのに電話をする間柄なんて、よっぽど仲がいい証拠である。
「……ふ…」
それに途中、鼻から吐息を漏らして微笑を浮かべた姿を見てしまって、いよいよ耐えきれず中へと入った。
「愛」
「……ごめんなさい、またかけ直します」
声をかけてすぐ電話を切った愛は立ち上がって、わざわざ私の前まで移動してきてくれた。
「どうしたの、芽紗」
「だ、誰と電話してたの」
「…バイト先の人」
聞けば答えも教えてくれて、だから何もやましいことはないのかな?って思ったけど……さっき見た、他人に対する笑顔が忘れられなくて。
「バイト辞めてよ」
そんなにも仲いい人がいるところで働いてほしくないっていう嫉妬心から、そんなお願いが口をついて出た。
これにはさすがの愛も僅かに眉を垂らして、返答に困った瞳が私をじっと見つめた。
お互い見つめ合って、先に口を開いたのは愛だった。
「辞めるのはいいよ。…でも、理由を聞いてもいい?」
「え。いいの」
「うん。仕事は他にもあるから。問題ないよ」
私のわがままひとつ叶えるため、職を失うことさえ厭わない愛の前で、戸惑いのあまり言葉を失った。
どんどん、だめになっていく。
私が、だめにしてしまう。
それなのに、“別れよう”とまでは……このときの私には怖くて言い出せなかった。
愛の人生を壊し続けるかもしれないと思うのに、愛の人生に関われなくなるのは嫌だという、どこまでも自分勝手な思いによって……結局また彼女の人生を縛ることになる。
「バイトを辞めてほしい理由を教えて、芽紗」
「……電話してた時、笑ってたから。すごい仲いい人がいるのかなって…もしそうなら、嫌だなって」
「仲がいいわけではないよ」
「でも笑ってたじゃん。…嫉妬しちゃう、そういうの」
「嫉妬…」
そこで私の本心に気付いたようで、少し驚いた顔をした愛が私の頭の後ろに手を回した。
自然な流れで抱き寄せられて、彼女がどうして急にそんな行動を取ったのか分からなくて体を硬直させる。
「浮気じゃないよ。…大丈夫」
言葉でも、行動でも安心させようと動いてくれたのが、恥ずかしいくらい嬉しくて心臓が縮こまった。
でもこれもきっと……“落ち込んだら頭撫でて”って過去にお願いしたことを忠実に守ってるだけで、愛の意思は関係ない。
“嬉しい”と“虚しい”が、心の中で複雑に混ざり合う。
「なんの話、してたの?さっき…」
抱き締められながら、電話の内容を聞いてみた。
「シフトの交代をお願いしてたの。そしたら電話がかかってきて、詳しい日程調整を話し合ってたんだけど…」
話してる途中で、また何かを思い出したのか「ふふ」と小さく声を漏らす。
あの愛が思い出し笑いするところなんて見たこともなくて、嫌な思いが心を埋めた。
「なんで、笑ってるの」
「……何度話しても、整合性がとれなくて。同じ言語を使用してるはずなのに話が噛み合わないの、人間って不思議で面白いなって」
「愛も人間だよ…」
この後、詳しく説明してくれた会話の内容をまとめると。
シフトを交代する代わりに食事に付き合えと誘われたから、それは無理ですと他の人に頼むことを伝えたら、シフトは代わってあげたいと言われ……以降、堂々巡りだったらしい。最終的には無事に代わってもらえて安心していた。
あまりに話が通じないから、思わず笑ってしまったと聞いて、あれはただの呆れた嘲笑だったんだ…と納得した。それでも笑うのは珍しいことだけど。
よっぽど相手が酷い言い分だったんだな…って察してしまう。
「でも、そこまでして休みたい日があったの?」
「…うん」
「なんで?」
「……クリスマスは、恋人と過ごすのが一般的らしいの。だから、芽紗との時間を作るのは、恋人として必要な行動だと思って」
「…私のために、わざわざ休んでくれたの?」
「うん」
一緒に過ごしたいからって理由じゃなかったのはちょっと寂しいけど、それでも自分のために行動してくれた事実に喜んで、愛の首にぎゅっと抱きついた。
「うれしい……愛、だいすき…」
相手の鎖骨辺りに頬を寄せれば、甘やかす仕草で頭の後ろを撫でられた。
しばらく抱き合ってたけど、キスしたいな…って体を少し引いて離したら目が合って、熱を持った瞳で愛の静かな顔を見つめる。
察してくれたらしい愛の瞼が下がると同時に顔が近付いて、そのまま唇が重なった。
軽く触れただけで体が期待して、ゾクリと鳥肌をまとう。
「愛……仲直りしたい…」
「……うん、いいよ」
遠回しなお願いも覚えた彼女は頷いて、キスを交わしながら私の体をベッドへと優しく押し倒した。
言わなくても何をしたらいいのか分かるくらいには慣れてきた愛の手によって、服を少しずつ脱がされていく。
「はずかしい…から、電気消して」
「…ん、いいよ。待ってて」
全身の素肌が晒される前にお願いしたら快く電気を消しに行ってくれて、戻ってきてからまた覆い被さってキスを落としてくれた。
暗くて、あったかい世界の中で、必死に愛の背中にしがみついて彼女の名前を呼ぶ。
呼ぶたびにちゃんと毎回「うん」って応えてくれるのが、お互いの存在を確かめ合えてるみたいで嬉しくて、
「愛…好き……愛、あい…っ」
「…うん。芽紗」
「あ…い、やば……あっ、もう…」
最終的に、名前を呼びながら果てた私を、最後の最後に愛は珍しく加減もせず強い力で抱きしめてくれた。
それに、いつもの流れだと、落ち着くまで待ってくれるか、早々に抜いて後処理してくれるんだけど、その日は違って。
「っんぁ……えっ…?愛…?」
「……人によっては、終わった後の方が感度が上がるらしいの」
「へ?…ぅあ……っや、そんなすぐ…」
「だから、もう一回してみてもいい?どうなるのか確認したい」
そ、そんな理由で……と、思うのに。
「う…うん、いい…よ」
愛から求められるなんて滅多にないことで、断りきれず許してしまった。
正直ちょっとしんどかったけど、次第に麻痺していたような感覚はより大きな快感となって、気が付けば二度目の■■を迎えていた。
気になっていた疑問が解消されて満足したのか、その日はそれで終わった……と思いきや。
「あ、愛……なにしてんの」
「…綺麗にしないといけないから」
「ぁ…っ、やだ、そんなに舐めちゃ…」
拭くついでに舐めはじめた愛の行動に驚いて体を起こす。
頭を軽く押してみても動じない彼女は、構わず愛撫を続けた。…ほんとに珍しい、こんなこと。
今日の愛はいつにも増して丁寧で、溢れて止まらないそこを何度も執拗に舐めきって、私がまた頭を白くしてからようやく本当の意味での掃除を始めた。
過去最高回数の波に呑まれた私はぐったりと横たわって、その周りで片付けを順当に進めていく彼女には疲れた気配すら無く。
……もしかして、愛が満足できなかっただけなんじゃ…?
幸福で満たされた頭が、自分の都合のいいように解釈した辺りで、疲れ果てた体が意識を手放した。
「あぁ〜……お風呂きもちい…」
「…うん。気持ちいいね」
目覚めてから、汗を流すがてら愛が用意してくれていた湯船にふたりで浸かった。
愛の足の間に入る形で座って、後ろから抱きとめてもらいながら、彼女の肩に後頭部を置く。
「そういえば…愛」
「なに?」
「バイト、辞めなくていいから。…めんどくさいこと言って、ごめんね」
「……うん。分かった」
こうして無事にメンヘラなお願いごとも訂正できて、仲直りのキスをして…
「触って、愛…」
「……ここは性行為をするのには、適してないよ。滑る可能性や、水が内部に侵入した場合に雑菌が…」
「カップルはお風呂でもえっちしたりするの」
「…そうなの?」
「うん。…だからせめて、胸くらいはいいでしょ?」
「……ん、いいよ」
寝る前の余韻が残っていたせいか、ムラムラを押し付けて解消してもらおうと思ったんだけど……ベッド以外だと興奮よりも心配が勝ったらしく。
「…適さない場所での性行為は怪我をするリスクがあるため、あまり好ましくありません」
「わかった。わかったから……ごめんって」
「今後は、安全で最適な環境での行為を推奨します。また、性行為において必ずしも優先されるべきは一時的な興奮や感情ではなく…」
「うん、はい。わかりました。時と場所を考えろってことだよね。ごめんなさい」
散々、なんだかんだ胸や際どいとこを触ったり首筋を舐めたりしながら人に絶頂を運んだ後で、苦情の嵐を受けた。
こういう時の愛は、手厳しい……から、これからはもうお風呂で誘うことだけは絶対しないと、密かに心に誓ったのであった。
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