第15話「不満とか、ないの?」

























 一緒に暮らしはじめて、一週間。


 家事のほとんどは愛がしてくれていて、掃除とかストックの補充とか、細かいとこまで気付いたら綺麗にされてる。

 料理も作ってくれるし、私がやるのはせいぜい自分の部屋の片付けくらいで、それ以外は彼女の手によって清潔を保たれていた。

 そのことに感謝しつつ、ひとつそれ以外で不満があった。

 共有スペースであるダイニングキッチンは引っ越す際に何を置くかふたりで決めたんだけど、そんなに広くもないから食卓テーブルと椅子とちょっとした棚くらいしか無い。

 それもあってお互い自分の部屋で過ごすことが多くて、そのせいで一緒に住んでるのに全然会えない。

 日中は大学もバイトもあるから、余計にふたりで居られる時間は少ない。

 なのに愛は夜ご飯を食べるとすぐお風呂に行って、お風呂上がりは部屋にこもってしまう。


「愛〜、今日も一緒に寝よ」

「……うん。いいよ」


 だからせめて夜はふたりの時間を楽しみたくて、愛の部屋に顔を出しては招き入れてもらうんだけど。


「おやすみ、芽紗」

「あ……うん。おやすみ」


 寝つきのいい彼女は、何かすることもなく眠りについた。

 …別に、えっちしたいとかそういうんじゃない。

 ただもうちょっと、イチャイチャはしたいな…とか思っちゃうのは、私だけみたいだ。

 愛の方からキスしてくることもなければ、そもそも私の部屋に来ることもない。遠慮してる様子でもなかった。

 毎晩のように誘うのは気が引けるし、愛がしたくないなら…って拗ねる気持ちもあって、私も私で恋人らしいことは仕掛けないまま、月日は流れた。


「……愛?」

「うん、なに?」

「なんか、不満とかある?一緒にいて」


 同居生活も一ヶ月を迎えて、良いきっかけだからさり気なく愛の本心を確認してみようと思って、夕食中にそんな質問をしてみた。


「…ないよ」


 返事は予想通り。


 あの愛が言うわけないよね、と分かっていたから、質問の仕方を変えて探ってみることにした。


「家事とか、自分だけやってるの嫌じゃない?」

「……嫌とか、ないよ。生活する上で必要な作業をやるたけだから。芽紗がやっててもやってなくても関係ない」

「んー……疲れたりしない?」

「充分な栄養と睡眠を確保できているから、疲れはないよ」

「…癒やしとか、欲しくない?」

「心の安定性や安心感は保たれてるから必要ないよ」


 まさにとりつく島もなし。

 何を聞いても無駄なことを悟って、諦めて愛からのお誘いなんかを待つのはやめた。

 私から誘うのもなんか嫌で、そうなると自然に夜の関係は希薄になって、キスなんかもしないままさらに数週間。

 しないことが当たり前になりすぎて、最初は期待していた心も、もはや今では友達とのルームシェア感覚になってきていた。

 そのせいで気は緩みに緩んで、実家で過ごす時と変わらないラフな格好でうろついていたら、ある日。


「…芽紗」

「ん、なに?」

「住居内であっても、露出が高すぎるのはあまり好ましくないと思う」


 お風呂上がりに服すら着ないで下着姿でうろついていたら、やんわり注意されてしまった。


「別に良くない?女同士だし」

「……性別は関係ないよ。相手が誰であっても、人に素肌を見せることへの警戒を怠らないのは、お互いにとって健全な生活を成り立たせる上で必要な項目だよ」

「そ、そっか…」


 いつにも増して厳しい指摘だったから、もしかして目に毒だったかな…って申し訳なく思って、おとなしくパジャマに着替える。


「ごめんね、愛」

「いえ。謝ることではないよ。体を冷やす前でよかった」

「ありがと」

「うん」


 謝ればすぐに許してくれたし、いうてそんなに気にしてなかったのかも。それなら大丈夫かな。

 と、油断したまま過ごすこと数日。

 その日は夜に友達の家へ泊まりに行く予定があって、どうせすぐ着替えるから…とお風呂上がりにシャツ一枚で過ごしていたら、ほんの少しだけ眉尻を下げた困り顔の愛がそばにやってきた。


「…芽紗」

「ん?なに、どうしたの」

「下着はせめて身に着けた方が良いと思う」

「あー……うん。わかった」


 露出にはとことん厳重な彼女から注意を受けて、親切心からくる言葉を無下にする気もなく頷いた。

 私の反応を見てホッとしたのか、どこか満足げな表情をして、愛はそのまま顔を覗き込んでくる。


「な、なに」

「……今日は、一緒に寝る?」


 お誘いなのか、それとも習慣と認識したから確認しただけなのか。

 分からないけど愛の方からそんな風に聞いてきてくれることは滅多になくて、嬉しくてつい「寝る」と答えそうになった口をキュッと閉じる。

 今日この後、出かけるんだった……さすがに、約束の時間ギリギリになって断ることなんてできないから、愛との時間を諦めることにした。


「ごめん、これから友達と遊びに行くんだよね…」

「……そうなんだ。楽しんできてね」

「…愛も来る?」

「私は遠慮しておく。…だけど、夜の外出は危険なことも多いから、送っていくよ」

「え。いいの?」

「うん。もちろん、いいよ」


 思わぬ提案を受けて、気分は舞い上がる。

 駅までお散歩がてらついてきてもらうことにして、さっそく出かける準備を始めた。

 愛も普段よりはラフな格好だけど着替えてきてくれて、ふたり仲良く家を出る。


「…今日は、どこへ行くの?」

「友達の家!泊まりで映画鑑賞とかする、大学の課題で必要だからさ」

「そうなんだ、いいね」

「……愛には言ってなかったんだけど、男の子も来るんだよね」


 と、そこで思いついた嘘を言ってみた。

 泊まりで、それも男が来るなんて知ったら……さすがの愛も止めてくれるんじゃないかと思って。


「…そっか。いいね」


 けど、見事に失敗した。

 横目で確認した愛の表情はいつもの変わらない無表情で、焦りや心配してる感じは少しも見えない。…まぁ、そうだよね。


「私が男の子と遊ぶの、嫌じゃないの?」

「…遊ぶ相手の性別によって、抱く感情が変わることは基本ないよ。男性も女性も同じ」

「だよね…」


 こんなことくらいで嫉妬したりするタイプじゃないって分かってたから別にいいんだけど、少し悔しくは思う。

 愛がもし他の男の子と遊ぶってなったら、私は心配になるのにな。

 ……浮気の心配じゃなくて、変なことを教えられそうで、その知識をまんま吸収しちゃいそうな心配。

 良くも悪くも、愛は純粋だから。

 なんでもかんでも受け入れちゃう性質が、いつか他の誰かにも利用されそうなのが怖い。


「愛は…男の子と遊んじゃだめ」

「うん、わかった」


 相手を縛り付ける理不尽なことを言っても、愛は迷うことなく首を縦に動かした。


「う、浮気もしちゃだめだよ」

「浮気の基準は、どこからどこまで?」


 さらに念押しして言ってみれば、今度は素朴な疑問を投げられる。

 そんなの考えたこともないけど……そういえば、友達がよく話してるのを思い出した。彼氏がここまでしてたら浮気って。


「肉体関係を持ったら…とか?」

「それは、男女関係なく?」

「う、うん。女相手でもちゅーしたらもう浮気。手を繋ぐのもだめ」

「…基本的に相手の体に触れることを禁止と考えていい?」

「うん。…いい?」

「いいよ。そもそも他人に触れたいと思うことがないから…問題ないよ」


 “触れたいと思うことがない”


 それが、私にも例外なく適用されてるのは、愛のことだから聞かなくても分かった。

 性欲もほぼ無いって前に言ってたし、私とえっちするのは本当にただ“頼まれてるから”ってだけってことを再確認してしまって、気分は萎える。


 その日から、なんだか愛と過ごす日々が億劫になって、私は家に帰る頻度を減らした。


 家に帰らない日はだいたい、ひとり暮らしの友達の家に泊まらせてもらって、


「いい加減、仲直りしなよ」


 転々とする日々を続けて数週間が経ったある時、友人のひとりに呆れた顔で怒られてしまった。


「常呂さんと喧嘩したんでしょ?」

「……してない」

「じゃあなんで帰ってあげないの?」

「だって…」


 嫉妬してくれないから。

 それに相手の本心でセックスしたいって思ってくれないから。

 とは、事情を知らない友人には言えず、ゴニョゴニョ濁す。

 同じ大学だから、彼女も愛と私が仲良いことは知ってる。四六時中そばにいるし、最近は一緒に暮らし始めたのも噂で広まってるらしい。


「確かにあの人、なに考えてるか分かんないけどさ…高校からずっと仲良くしてるってことは悪い人じゃないんでしょ?」

「まぁ、そりゃ……どちらかと言うと良い子ではあるけど…」

「おまけに家事もほとんど全部やってくれて、課題も手伝ってもらってるのに…なにが不満なわけ?」

「私にだって色々あるの」


 確かに愛は色々と尽くしてくれてる……というか、私がそう知識を与えてしまった影響で、なんでも言うことを聞いてくれるロボットみたいになってる。

 周りからすれば羨ましいくらいの優遇を受けていて、その上で不満なのは、やっぱり愛の中の自主性が乏しいからだ。積極性とも言う。

 長年関わってきてるからこその苦悩を、友人達は知らない。


「常呂さんが可哀想だよ。芽紗わがまますぎ」


 だからこんなにも軽々しく、私だけを責めてくる。

 ……私だって分かってる。

 自分の行動がどれだけ身勝手で、愛の都合を考えてあげられてなくて、振り回してばっかなとこは。

 だからなのか愛も、今回こうして何も告げず離れてみたってどうでもいいのか連絡はないし、大学で会っても普段通りすぎて困ってる気配もない。


「…愛は、私が居なくても生きていけるから。むしろ私なんかいない方がいいかも」

「そういうのまじだるいから。めんどくさい彼女みたいなこと言ってないで謝っておいで」

「……私って、そんなにめんどくさい彼女かな?」

「えぇー…どうだろ。いやでも、付き合ってたら普通なんじゃん?友達に対してそれはやばいけど」


 なら普通なのか…と納得して、その後も何回もしつこく仲直りするように言われたから、根負けにして帰ることにした。

 そういえば、もうそろそろクリスマスだ。

 帰り際、イルミネーションがチラホラと飾られ始めた街の風景を見て、そんなことを思い出した。


 せっかくなら、恋人らしく過ごしてみるのもアリかもしれない。


 









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