第13話「キスしても、いい?」
距離を置く、とはいえ。
過去の私がわがままを言っちゃったばかりに、同じ大学に通ってるから……当然、講義なんかが被れば顔を合わせるわけで。
「……おはよう、芽紗」
ばったり出くわした時に向こうから平然と挨拶をされて、気まずい思いで顔を背けた。
…距離を取るの意味、伝わってなかったのかな。
なんか全然気にしてない様子の愛は、何食わぬ顔で私の隣の席について、いつも通りノートを開き始めたりと講義を受けるための準備を進めていた。
いつもみたいに肩が触れ合う距離ではないから、気持ち、物理的な距離は確かに取ってくれてる気はするけど……そういう意味じゃないよ、愛。
「あ、愛…?」
「…うん」
「距離置きたいって、言わなかったっけ…私」
「言ってた」
「じゃあ、なぜに隣に…?」
おずおずと隣を見れば、愛もこちらを向いて、微妙に笑ってる気がするほぼ無表情に近い微笑を浮かべる。
「前に、喧嘩した後はすぐ仲直りしたいって言ってたから」
あ……あれ、愛の中では喧嘩っていう認識なんだ。私がただ拗らせて怒っただけなのに…?
なるほど、過去の私の発言全てが愛にとっての行動基準になってるから、こういう時まで自分の意思じゃなくてそれを基に行動する…と。
ってなったらもう、愛の意思とか無くない?
彼女は今、私にプログラミングされた人型ロボットのようなもので、そこに意思もクソもない。心さえ、あるか危うい。
「…そんなんで仲直りしようってされても、嬉しくないんだけど」
「……そっか。じゃあ、どうすればいい?」
「てかそもそも、なんでそこまで私の言うこと聞こうとすんの?」
「芽紗は友達だか…ら」
そこで、愛の言葉が止まって、何が頭によぎったのか硬直してしまった。
珍しく動揺したように目が泳いで、まつ毛と顔を同時に伏せた後で顎に指を置いて、しばらく思案する。
「……恋人の芽紗にも、友達の芽紗が教えてくれたことは適用される…?それとも、されない…?」
どうやら、今は交際しているという事実を、ここに来てようやく改めて自覚したらしい。今まで散々、やる事もやってきてるのに。
「もし適用されないなら、どうしよう……喧嘩した時の解決策が分からない…」
彼女の中で関係性が変わったことは大きいようで、バカ真面目に悩み出したのを、ちょっとシュールな気分で眺めた。
自分では答えを出せないからか、癖のように鞄からあのノートを取り出して、だけどそれも「私の前で読まないで」という言葉を思い出したのかすぐに手を止める。
数分の間、愛はただ一点を見つめて固まった。
おそらく頭のいい脳みそをフル回転させて、現状を打破しようと試みてるんだろう。浮き上がった問題を解決するための案を考えてるとか。
なんにせよ、いつでも臨機応変に、冷静な対応をする彼女がそんな風に焦ってフリーズするとこなんて、初めて見た。
「……芽紗」
貴重な姿だから今のうちに楽しんどこう…とぼんやり観察していたら、感情の薄い静かで整った顔が持ち上がって、僅かに潤んでるような気もする瞳と目が合う。
「恋人同士の場合は、どう仲直りするのが適切?」
本人は至って真剣に聞いてきたけど……そんなこと、恋愛経験のない私に聞かれても。
「友達同士の場合は、芽紗の性格的になるべく引きずらず、いつも通り接していくことで関係が緩和されるって前に教えてくれたけど、それは恋人の場合でも有効な手段?」
「え……ど、どうだろ」
「仮に有効でなかった場合に、私にできる対処法は何がありますか」
こ、こんなにも愛から質問責めを受けたことがなくて面食らう。
イレギュラーな状況だから混乱しているのか、口調も堅苦しい素の状態へと変わってしまった愛は、眉間にシワをほんの少しだけ寄せて私からの言葉を待っていた。
わ……ちょっと困ってる愛、かわいい。
人間味を感じると興奮するという謎の感情に自分で困惑しつつ、ここはもっと困らせちゃおうと企みを抱く。
「恋人同士は、セ■クスして仲直りするんだよ」
絶対に真に受けるだろうなぁ〜って思ってたら、案の定真に受けてくれた愛は、解決策を手に入れたことで目をぱっちりと開けた。
「分かりました。今後はそのようにします」
「っく……ふ、はは!冗談に決まってんじゃん。信じないでよ」
肩を叩いて笑った私を、ぽかんとした顔で見て、その後すぐ愛の目が今までにないくらい細くなった。
「それでは、問題の解決になりません。他の方法を教えてください」
機械的な苦情の言葉を受けて、つい気が抜けて吐息を零す。
なんか昔の愛を見てるみたいで……人の性質はなかなか変わらないってところにも人間らしさを感じて、すっかりモヤモヤしてた気持ちも晴れてしまった。
変な意地で、冷たくし続けるのも可哀想で。
「ごめんね、愛」
「……それは、何に対する謝罪ですか」
「いじわるしてごめんって意味です。…怒ってる?」「…怒ってない」
言い方がいつになく厳しかったから不安になって聞けば、愛は首を横に振って、机の上に置いていた私の手に手を重ねた。
「私もごめんなさい。…恋人としての自覚が、足りてませんでした」
「ふ…っは。堅苦しいって、もう」
「…ごめん」
誰が見ても分かるくらい分かりやすくしゅんとした愛の手を握り返して、笑う。
正直、私もまだ完全には友達感覚が抜けてないから、変に意識されて恋人感を出されすぎるのは抵抗あるんだけど、これはこれで面白いからいーや。
このあと、講義中にスマホをいじるという滅多にないことをしていた愛にも新鮮さを覚えつつ、講義後も相手から「家に行ってもいい?」と聞かれたことも珍しいことで驚いた。
「いいけど…」
断る理由もないから一緒に帰って、部屋に招いて、
「芽紗」
「ん?な…に」
着いてすぐ、壁際へと追い込まれて戸惑いの連鎖は止まらなかった。
「え。なに……どうしたの、愛」
「…恋人同士の仲直りの仕方、教えてくれなかったから、調べたの」
あ……だからスマホいじってたんだ、っていう疑問はその時に解消されて、でも今の状況に対する疑問は残ったまま。
困惑していたら、細い指先が顎の下にそっと置かれて持ち上げられた。
「日頃からのスキンシップも……大事なんだって」
「へ、へぇ…?そうなんだ…」
「だから、今キスしてもいい?」
「……ん?」
いったい、何を調べたらそんな内容に辿り着くんだろう……ってことを平気で信じちゃって、実践に移そうとしてる愛を見上げた。
彼女は相変わらずの無表情で、ふざけたり冗談を言ってる感じではなさそうだった。
「…キスしてもいいけど、それでご機嫌取りされるのは嫌だよ」
正直な思いを受け取った愛は、ハッとさせられた顔をして、顎に指を置きながら思考を巡らせた。…愛って困ると必ずフリーズするんだ。知らなかった。
自分では答えに辿り着けなかったのか、ポケットからスマホを取った手に、そっと手を置いて止める。
なんとなく、私以外から得た情報で愛が変わっていっちゃうのは嫌で……それなら、これまで通り私が教えていきたいっていう、拗れた独占欲が湧く。
「ネットには、私との仲直りの方法なんか載ってないよ。一般論はあるだろうけど」
「……それじゃあ、どうしたらいい?」
「愛はどうしたいの?」
きっとこう聞けば、愛は今まで私が教えた中から答えを導き出すしかない。
だってそれしか情報がないから。
…今の彼女は、私が作り上げてきたようなものだから。
いったいそんな彼女は、私のためにどう動いてくれるんだろうと期待を込めて、愛の行動を待つ。
「……芽紗」
しばらくフリーズしていた彼女の手が、腰と頭の後ろに回って、包み込むみたいに抱き寄せられた。
愛にとっての最適解は、ハグすることだったらしい。
だったら…とおとなしく受け入れて、私も相手の背中に手を当てる。
この体温は、私のものだ。
それなら、私の好きなようにしていいよね…って。
まるで自分が創造主になった全能感で、道を踏み外した。
「…もっと、ぎゅってして」
「……うん」
望まれるがまま動いて、強い力で抱きしめてくれた彼女が、いつまでも自分のものであると……そう確認したくて。
そうしてまた、私は愚かな試し行動を続けるようになってしまった。
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