第12話「したいように、してよ」
自分で触って。
と、お願いしたはいいものの。
「ごめんなさい。経験がないから、どうしたらいいか分からない」
まさかの一度も、自分で慰めることに興味すら抱いたことがないという愛のため、私がやり方を教えることになった。
とりあえず下着も全部脱いでベッドの上に、壁を背もたれにして座った状態で足を開いてもらって、その足の間に座り込む。
膝を持って軽く開かせれば、さっきより湿ってるようにも見える……こんなところまでも精巧に作られた何かみたいに綺麗なそこへ指を伸ばした。
「……濡れてる」
ほんの少しだけど、乾ききった感じじゃなくてちょっと感動する。
どうしてなんだろう…って気になって愛の顔を見上げたら、彼女は恥ずかしがることもなく私と目を合わせた。
「性行為をする上で、必要な体の機能だから。興奮状態になれば、体の刺激が無くても濡れる場合はあるよ」
聞くよりも先に答えてくれたけど、さっき私が触ってた時は濡れてなかったのにな…と、疑問はさらに深まった。
でも今はそれよりも触ってもらうことを優先するため手を離して、代わりに愛の手をやんわり掴む。
何も言わなくても彼女は察して、自らそこへ手を運んだ。
数分くらいそのまま撫でさせたりしてみたけど、相変わらずの無反応で、濡れるどころか乾いていった。
「きもちよくない?」
「……うん」
「い、入れるのは…?」
そう聞いておきながら、正直痛そうで無理そう…と自分で分かっていた。
「…いいよ」
だから断るかな?って思ってたのに、やはり愛は頷いてしまった。
うちには潤滑剤になる物もないから、痛みを軽減させるのも難しそうで…さすがに怖くて断念した。
「ごめんね、愛」
「…謝らないで平気。芽紗は何も悪いことしてないよ」
優しく抱き寄せてくれた相手に、より罪悪感は募る。
もうオ■ニー系のお願いはしないと心に決めて、お詫びに着替えを手伝ったり、何かして欲しいことはないかと訪ねてみたら、
「……ないよ」
欲の無い彼女は、静かに首を横に振った。
何も求められないのは、それはそれで心が苦しくなった。
いつもいつも、私達の関係は一方的で、私から愛に対して何かを望んでは彼女がそれに応えるだけ。
愛の方からお願いされることなんてほとんどなくて、稀にあるお願いも相手は私じゃなくてもいいものばかり。…苦手を克服するためのセ■クスとか。
虚しい思いが心を満たすと、途端に過ごしてきた時間さえ空虚なものだと思えてくる。
「…愛はさ」
「うん」
「人になんかしてほしいとか、思わないの」
「思わないよ」
聞けば、即答される。
「必要があれば、頼る場合もある。けど、基本的に自分のことは自分でするから、他人に頼る選択肢を取ることは少ないよ。それに期待は裏切られた時の反動が大きいから、抱かないようにしてるの」
さらに詳しく説明してくれた。
何年も一緒にいるから、分かってる。愛は自立した人間で、馴れ合いなんかを必要としてないって。
でも、それじゃあ……私も、本当はいらないって思われてるかもしれない。
そう考えると、怖くなった。
お願いされてるからそばにいてくれるだけの彼女が、いつの日か私を捨ててどこかに行っちゃうんじゃないか……未練なんて微塵もなく、あっさり離れていっちゃうかもって。
「……一緒に住みたい」
どうしようもない危機感で、愛を縛りつける願い事を吐き出した。
「…うん。いいよ」
彼女はいつも通り、迷うことなく頷いて、目を優しく細くする。
進路の時と同じで、きっとこれも冗談なんかじゃない。
私が望めば同棲だってしてくれる愛を、手放せるわけもなくて、ずるずると関係は継続されていった。
その後、親も含めて話し合った結果、本格的に同居が決まった。
ただそんなすぐには引っ越せないから、住む場所が決まったりするまでの間はこれまでみたく離れて暮らしてるから毎日は会えなくて……だけど、どうしても会わないと不安で。
「会ったらすぐ…抱き締めて」
「…うん。わかった」
だから今日も今日とて家に呼び出して、来てくれた愛を困らせようとそんなお願いをしてみれば、彼女は快く頷いて私の体を抱き寄せた。
「……会いたかった、とか…言ってよ」
「会いたかった」
私の言葉を反芻するだけの相手に、自分から頼んだのにイラついて肩を強く押しても、怖いくらい変わらない微笑のまま顔を覗き込まれる。
「…どうしたの、芽紗」
「なんでもない。…くっついてるのやだっただけ」
「……そっか」
わざと嫌な言い方をしたのに、まるで心動じた様子もなく呟いて、愛は定位置であるクッションの上に腰を下ろした。
そしてそのまま、鞄から本を取り出して読み始める。
きっと今、彼女が何をしても私は気に食わないと感じてしまうんだと。
自覚があるのに感情を抑えられなくて、マイペースな愛から本を奪い取った。
「私といるのに読書なんて…」
言いかけて、言葉を止める。
「え……なにこれ…」
愛の持っていた本……だと思っていたそれの中身を、初めて知ってしまったからだ。
「…返して、芽紗」
「っご…ごめん。でも気になるから、ちょっと見てもいい?」
「……いいよ」
珍しく愛が嫌がる気配を見せたけど、それにかまってられるほどの余裕をなくしてしまった私はいつものように「いいよ」と言うのを分かってて了承を得て、ページをいくつかめくっていった。
どのページを見ても、ぎっしりと愛の綺麗な文字で埋め尽くされていて、
『敬語ではなく、タメ口で話す』
『返事をする時は、相槌だけではなく質問も返す』
『自分からも話しかける、その際は芽紗の動向を窺う』
『どちらでもいい場合は芽紗の好みに合わせる』
『些細なことでも感情的を心掛ける』
書かれていたのは全部、おそらくこれまで私が愛に言ってきた言葉を愛なりにまとめたマニュアルの数々だった。
てっきり、よほどお気に入りな小説家何かだろうと思ってたし、ブックカバーもされてるし、大きさも分厚さもよくある文庫と変わらなかったから……気が付かなかった。
にしても、なんでこんなこと…
「これ……なに…?」
「……芽紗との人間関係において最善の行動を取るために必要なものだよ。それに、わがままを叶えてほしいって約束だから。忘れないために書いてる」
異常にも思える愛の行動に疑問を抱いて聞いてみれば、この謎行動さえ自分の言いなりの元やっていたことを知る。
ってことは、今まで……ずっと読書だと思ってたあれは違くて、本当はいちいち確認してたんだ。
今、何が最善の行動かを…これを見て判断してただけなんだ。
やってくれた行動全てが、愛の意思なんかじゃなくて私の命令に従ってただけに過ぎなかった現実を知って、絶望に近い暗い感情が心を埋め尽くした。
「なん…で、こんなことすんの」
「……芽紗が、そう教えてくれたから」
「だ、だからって……おかしいよ、こんなの」
ここまでする必要ないでしょ…そうドン引きする私の反応を理解できないみたいで、愛は不思議そうに首を傾けていた。
それもまた、私の中の猜疑心や不満をくすぐる要因だった。
何もかも、愛の意思が含まれてなさそうなのが…良いも悪いも全て、私基準になっていたという事実が、嫌で。
「これ……捨ててよ」
気味の悪いマニュアルを手放してほしくて感情の動くままに言ってしまった。
さすがの愛も、今後確認が出来なくなると困るからかすぐには返事をしないで、ただ冷めた目で私を見上げた。
「っ……答えないなら、捨てちゃうから」
「…人の物を勝手に捨てるのは、だめなことだよ」
いいよ、とは言わずに、諭すように教えてくれたそれもまた……私が過去に「だめなことはだめと言って」そう伝えたからだ。
だけど私が望んでたのは、そうじゃない。
愛が、されたくない事やだめだと感じることを言ってほしかっただけなのに。
今のは、違う。
世間一般的に、だめとされているから言った、ただそれだけに過ぎない。
「こんなの無くても、普通に会話できるようになってよ」
「……わかった」
「だから、これ捨てていい?もういらないでしょ」
「…うん。いいよ」
渋ってるようにも見えたノートさえ、捨てられそうになっても「やだ」と言わない愛が、もはや人間には見えなくて。
「や、だ…って」
やだって言ってよ、言いかけた口を噛み締めて止める。
きっとこれさえ、言ってしまえば従ってしまうと思ったから。
……やだ、だけは。
彼女の口から、本人の意志を持って言われたい。
だってそうじゃないと、いよいよ私は彼女の何を信じたらいいのか……その材料を失ってしまう。
好きとか、何したいとか、そういうの全部…言うように仕向けてきちゃったから。もうそこは、何を言われても信じられない。
これまでの積み重ねが、疑心暗鬼に陥らせる。
だからせめて、最後の最後…拒絶の言葉だけは私のためにも、愛のためにも残しておきたい。本当に嫌だと思った時に、私の命令に縛られず「やだ」って心から言えるように。
「…これ、返す」
「ありがとう。…自分で捨てればいい?」
「捨てなくていい……けど、私の前ではもう読まないで」
「わかった。…他に何かある?」
ノートなんて無くても、忠実に過去の私の言動から学んだことをこなすだけの愛に、感情はなくて。
「そうだ。この後、カフェでも行かない?」
沈みきった私の気持ちになんて気付きもしてない呑気な口調で、早々に切り替えて聞いてきた。
……怖い。
何を考えてるのか想像もつかないのが、恐怖でしかない。
「…あ。こういう時は、抱き締めるんだっけ」
ノートの内容を思い出したらしい愛が立ち上がって、言葉を失う私の前までやってきたと思ったら…優しい仕草で抱き包んだ。
肌に触れる服越しの体温はちゃんと人間で、温かくて落ち着くのに、この行動原理は優しさなんかじゃなくてただ義務的なものなんだと思うと、気味の悪さがより際立った。
「やめて、よ…」
これが愛の本心じゃないなら、意味がない。
「私の言ったことになんて、従わなくていいから」
相手の肩を押して体を離したら、すぐに腕が下ろされる。
「愛の、したいようにしてよ…」
前にもこんなお願いを、した気がする。
私が何を言っても忠実に動いちゃう愛だから、これさえ良くない気がしてきた。
「…わかった。何をすればいい?」
この期に及んで、私に判断を仰いだ彼女は、感情のない目でじっと見つめてくる。
「そうじゃ…なくて、愛のしたいこと…」
「私のしたいことは、芽紗のためになることだよ」
「え…」
「だから教えて。私は、何をすればいい?」
これは……なんて答えるべき?
本心なのか、それが最適解だと思っての発言なのか分からなくて戸惑う。
言えば言うほど吸収して、学習して、変化してしまう愛に、かける言葉が見つからなかった。何が最善なのか、今の私には判断さえできなかった。
「…しばらく、距離置きたい」
冷静になる時間が欲しい。
「……どのくらいの期間?」
「わかんない。…けど、けっこう長い、かも」
「……わかった。いいよ。待ってる」
離れることさえ、私が願えば躊躇がないらしい。
帰る準備をはじめて、鞄を持った愛を眺めながら、虚しい気持ちばかりが心を埋めた。
「…連絡してくれたら、会いに来るから。言ってね」
「……もう連絡しないかも」
私が拗ねた言葉を吐けば、眉を垂らして微笑む。
「私からも連絡するって、言うべきだったね。ごめんね」
謙虚なことを言って謝った愛は、後ろ髪引かれる様子もなく部屋を出て行った。
彼女が帰って、ひとり残された私は悶々と悩むだけ悩んで。
どうしたらいいのかって答えは、夜通しかかっても出てこなかった。
こうして、私達は出会ってから初めて、会わないという手段を取ることになったのだった。
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