第8話「壊れた…?」


























 海に行くにあたって、愛なりに考えてくれたらしく、


「泊まり?」

「…うん。荷物とかも多いから、日帰りだと大変かなって思ったの」


 急遽、当日は泊まれるように海水浴場近くのホテルの予約を取ってもらった。

 他にも、いつの間に免許を取っていたのかレンタカーを借りてくれてたり、なるべく荷物が少なく済むよう色んな手配もしてくれてるみたいだった。

 “楽しませて”という、あの曖昧なお願いを叶えるため、私が遊びだけに集中できるよう工夫した結果だと本人は言っていた。


「そこまでしてくれなくても……ありがとね」

「いいえ。約束は、約束だから」

「……私もなんかするよ。何かしてほしいことある?」


 さすがに申し訳なさが強くて、たまには何かお返ししようと思って聞けば、愛は小さく首を横に振った。


「何もないよ」

「えー…でも悪いし、なんでもいいから言ってよ」

「…少し待って」


 手のひらを向けた後で、物語やなんかから着想を得ようと考えたのか、いつも読んでいるお気に入りの本を鞄から取り出した。

 それをめくって思案してる間、暇だから早めの荷造りを始める。


「うきわとか持ってく?」

「…現地でレンタルしようと思ってるよ。持っていくのは大変だから」

「服とかだけ持っていけばいい感じ?」

「うん。…タオルとかは私が用意するから、芽紗は持ってこなくて大丈夫」


 まさに至れり尽くせり。

 愛の気遣いに甘えて、服を多めに用意するだけでデートの準備は終わってしまった。

 結局、その日のうちに愛からの“してほしいこと”は言ってもらえなくて、その後も何も望まれないまま。


 あっという間に、デートの日がやってきた。


「おはよう、芽紗」

「ん……おはよ」

「眠い?」

「めっちゃ」

「…車の中で、寝てていいよ。荷物、しまっておくね」

「ありがとう〜…」


 早朝、家まで車で迎えに来てくれた愛に荷物を預けて、助手席でウトウトしながら、たまに会話しながら向かうこと数時間。


「…ついたよ、芽紗」


 肩を弱く叩かれて、けっこう深い眠りから目を覚ました。


「あ……ごめん。めっちゃ寝てた」

「大丈夫。…用意してる間、少し休んでて」


 まだまだ眠くてボーッとしてる私を置いて車を降りた愛は、ひとりで荷物を取り出して準備を始めて、ようやく意識もはっきりしてきた頃、私も車を降りた。

 事前に下調べしてくれてたみたいで、愛につれられて更衣室へ移動して、簡易的に仕切られた個室で各自着替えを済ませる。

 先に着替え終わっていたらしく、私が建物を出た時にはもう彼女は浜辺にレジャーシートとワンタッチで作れるテントを張っていて、


「……愛、なにその水着」


 感謝する気持ちが湧くよりも前に、ガチの競泳水着を身にまとった姿に向かって、疑問を投げた。


「?……海に来たら、泳いで楽しむのが一般的でしょ?」

「だからってそれは……さすがに色気がないというか、なんというか…」

「泳ぐのに、色気は必要ないよ」

「いや、まぁ……確かにそうだけど…」


 私が普通の水着にしてきちゃったから、隣に立つには浮きそうなのが心配……と思いつつ、体に密着するタイプの水着は遺憾なく彼女のスタイルの良さを発揮してるから、これはこれでいいのかなって納得した。

 本人も純粋に泳ぐの楽しみにしてそうだし、この際もう周りの目は気にせず行こうと気持ちを切り替える。


「でもね、愛」

「うん」

「水泳帽だけは、目立つからやめてほしいな」

「…ん、わかった」


 そこだけは譲れなくてお願いしたら、彼女は迷うことなく水泳帽を外して、代わりに後ろでお団子状に髪をまとめた。

 この調子だと、危惧していたナンパとかもされなくて済みそう……変わり者の愛に安堵しつつ、日焼け止めを自分では届かない部分だけ塗ってもらう。

 準備も整ったし、いざ海に入ろうと思ったんだけど…競泳水着くらいじゃ、愛の魅力は隠しきれなかったようで。


「お姉さん達、今から泳ぐ感じ?」


 数人の男性に、気さくな感じで声をかけられた。


「泳ぐの得意なの?本格的な水着じゃん」

「あー…えっと」


 これはどう対処しようかな…?なんて頭を悩ませながら、ふと。

 ナンパに対して、愛がどんな反応を見せるのか気になってしまった。

 だから私はあえて何も答えずに、愛の言葉を待ってみる。

 彼女は怖いくらい感情が抜け落ちた無表情で、一点を見つめて返事をする気配すら見せない。


「え。き、聞こえてる…?」

「まさか…人形とかじゃないよな?」


 呼吸してるかも怪しいくらいに動かないから、男達も戸惑っていた。


「お、おねーさーん。聞こえてますかー」

「……会話をする必要性を感じません。故に、あなた方の問いには対応しません」

「へっ…?」


 からかうように顔の前で手を振られて、それでも反応を見せなかった愛が、どこか機械的に呟きだした。

 呆気にとられた男性陣は目をぱちくりとさせて、私も驚いて横から愛の顔を覗き込む。


「あ、愛…?」

「必要なことのみお伝えします。あまりにしつこいナンパは、軽犯罪法や迷惑防止条例に違反する場合があります。よって、これ以上の接触はお互いにとって好ましくありません。また、引き際を弁えることは、社会性において重要な項目です」


 初めて見るくらいの堅苦しさだったから、ついに壊れちゃったかな…?ってペチペチ頬を叩いてみたら、伏せられていたまつ毛がちょっと上がって、光のない瞳と目が合った。

 あ。これ、怒ってるかも。

 本能的にそう感じて、男性たちの方をチラリと見たら、彼等もどう反応したらいいのか困ってるのか苦笑いを浮かべていた。


「あ……あー、なんか、邪魔しちゃった…感じ?」

「そ、そうだな。うん。ご、ごめんな」

「ふたりで、その、海…楽しんで」


 最終的にドン引きして去っていった彼等を目で追うこともせず、ふたりになってから愛は何もなかったかのような仕草で動き出す。

 無言で海に行く前の水分補給を始めたのを、なんて声をかけたらいいか分からずただただ眺めた。


「……芽紗も、飲んでおいた方がいいよ泳いでるうちに熱中症や脱水になる事もあるから」

「あ……う、うん。ありがと」


 とりあえず渡されたから水筒を受け取って、飲むだけ飲んでおいた。


「ちゃんと飲めた?」

「うん」

「…ん。じゃあ、行こっか」


 打って変わって優しい目をした愛に、自然な流れで手を引かれて歩き出す。

 さっきの怒りはなんだったの?って思うくらい通常運転な彼女と売店でうきわだけレンタルしに行って、ふたりで海へと入った。

 波打ち際に立つと、思ったより海水は冷えていて、濁りもなく澄んでいた。

 引いていく波に連れ去られた砂を見下ろしていると、自分は立ったままのはずなのに、不思議とその場から動いてる錯覚に陥る。


「冷たくてきもちいい…」

「……全身入ったら、もっと楽しいよ。入る?」

「はいる」


 すでに泳ぎたくて仕方なさそうな愛の提案に乗って、うきわに体をくぐらせてから本格的に深いところへと進んでいった。

 何も言わなくてもうきわを引いて泳ぎ出したから、されるがまま引っ張られていく。


「愛って、泳ぎも得意だよね」

「うん」

「苦手なことあるの?できないこととか」

「……経験があるものに関しては全部、ひと通り遜色なくこなせるよ。だから苦手なことはないかな」

「すご……なんでそんな色んなことできんの」

「初めは出来ないところから、その出来ないことを出来るようになるまで練習しただけ。特別なことはしてないよ」


 それがもう、私にとっては凄いんだけど……愛にとっては当たり前のことらしく、得意げな様子もなかった。

 どうしてそんな思考回路になれるのか不思議ではあるものの、泳ぎに関しても、何においても淡々とこなしてきたんだろう姿は容易に想像できた。

 私が思う以上に努力家な彼女なのに、きっと本人は努力とさえ思ってない辺りも、なんだか愛っぽくて微笑ましく思った。


「愛はほんと凄いなぁ……尊敬する」

「……ありがとう」

「いつも頑張ってるご褒美にさ、ちゅーしてあげよっか」

「ここは公共の場だから。人前でキスすることは好ましくないかも」

「はは、だよね」


 予想通りすぎる返しにも笑って、愛と過ごしてたらなんだかんだずっと楽しいという事実に気付く。

 私に対してはこんなにもマイルドな言い方をしてくれるのに……そういえば。


「…愛?」

「うん。どうしたの?」

「さっきのナンパさ…なんで、あんな対応したの」


 そこで、聞いてみたかった愛の本心を聞いてみた。


「……興味がないから。話す必要性を感じなかっただけだよ」

「でも、まあまあイケメンだったよ。あの人たち」

「?…容姿の良さは、関係ないよ。他人から突然話しかけられたら警戒するのが一般的で、あの対応に問題はなかったと思う」


 なんとも愛らしい淡白な回答に、以前言っていた“恋愛に興味がない”というのは本当なんだと改めて察する。

 だとしたら余計に、頼まれたくらいでなんで…と疑問は湧くけど、前みたく明確な真意を得られそうにないからこの場では黙っておいた。


「……もしかして、あれだと何かおかしな対応だった?」


 質問しちゃったことで、自分に何か不手際があったんじゃ…と不安になってそうな愛の言葉は、すぐに首を振って否定した。


「完璧だったよ。だから大丈夫」

「よかった」

「…これからも、ああやって守ってくれる?」

「うん、いいよ」


 それが必要なことなら。…そう言って微笑んだ愛に私も笑顔を返して、しばらく微笑み合う。

 男に絡まれても毅然とした態度でいてくれるから頼りになるし、人をおんぶできるくらいには体力も筋力もあって、おまけに面倒な準備なんかも率先してやってくれる。

 ……男だったら、理想的だよね。

 そう考えると、付き合って正解だったかも。損得で考えれば、の話だけど。

 ただ、本心はいつだって不明瞭で、従うばかりの彼女だから、物足りないとも感じる。

 いつか、本当の意味で心から通じ合える日が来れば……私は満足できるのかもしれない。それが友情でも、恋愛でも、関係なく。

 そんな日が来ることを、願って。

 愚かなことに、試し行動をやめる気はないまま。


 私達はこの夜、二回目の肉体関係を持つことになる。




















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