第7話「おんぶ、して」




























「どうせ行くなら……夏っぽいとこがいいな」

「……夏っぽいところ?」

「うん。海とかどう?」

「…ん、いいよ」


 ということで。


 海に行くことになったんだけど…


「……やばいかも…」


 水着を着るにあたって、体型確認ついでに久しぶりの体重測定をしたところ、思ってたよりも数字の多かったまずい現実に直面した。

 約束の海まではあと二週間。

 少しでも見た目を細く、体重を軽くするため、最後の悪あがきでダイエットを決意したのが今朝。


「愛…一緒に走ってくれない?」

「……うん。いいよ」


 そのついでに、ひとりで走るのも嫌だったから愛を誘ったのが夕方に近い昼過ぎのことだった。

 毎度のことながら快く引き受けてくれた愛は、日課がジョギングやランニングということもあって、本格的なフル装備でやってきて、ぴっちりした服が彼女のスタイルの良さをより際立たせていた。

 私は走りやすければ何でもいい…と、中学時代のジャージ(半袖半パン)に着替えて、家を出た。


「走るのにオススメなのは、公園内にある遊歩道か……大学裏の河川敷だよ。どっちにする?」

「じゃあ……どっちも」

「そうなると、けっこう走ることになるけど……大丈夫?」

「がんばる」


 ということで、愛のオススメランニングスポットであるかなり広めの公園の、整備された遊歩道にまずはやってきた。

 ここに歩いてくるだけでも地味に遠くて、すでに帰りたくなってきてる私と違って、意外にも体を動かすことが好きなのか愛は普段よりワクワクした瞳で準備運動も兼ねて足を軽く動かしていた。


「芽紗と走れるなんて嬉しい。…早く始めよう?」

「う、うん」


 珍しく積極的で感情的な姿を見れて私も嬉しい…けど、体力が持つのか不安だ。

 とりあえず準備運動がてら体を軽く伸ばしてみたりして、初心者な私に合わせてゆっくり歩くジョギングから始めてくれた愛の後ろをついて歩く。


「ここの遊歩道は、季節に応じて植えられる花が変わるの。そのおかげで一年通して景色が少し違うから、飽きることなく散歩を楽しめるようになってるよ」

「へ、へぇ……そうなんだ」

「今の時期はペチュニアやニチニチソウ、ポーチュラカや千日紅…だったかな?が主に見られるよ。少し先に行くとひまわりも植えてあるの」


 ここの公園の運営にお金でも貰ってんのかな…ってくらい、流暢に説明してくれる愛に面食らいつつ舗装された道を進んでいく。

 その後、スピードを徐々に上げて小走りの状態になってからも愛の案内人みたいな説明は続いて、


「ケイトウやアガパンサスも綺麗な花だよ。あまり植えられてるのを見たことはないけど……去年は確か一か所、どこかで生えてるのを見かけた気がする」

「っそ……そう、なんだ…」

「あ、見て。サルビアがあるよ。夏の花と言えばサルビアが有名で、あれは花の蜜が甘くて吸えることから小学生の間でも人気な花のひとつなんだって」

「う…うん……ま、待って、愛…」


 ペラペラと話しながら、次第に勢いがついてきて走る速度も上がってきた愛のだいぶ後ろで、耐えきれなくなって足を止める。

 止まった瞬間に体の周りには熱気が帯びて、全身から吹き出した汗は粒となって、顎先から地面へと伝った。

 肩で息をして、荒い呼吸を整えようと試みる私の元まで戻ってきた愛は、何も言わずに携帯していた水筒を差し出してくれた。

 お礼を言う余裕もなくそれを受け取って、一気に飲み干したら、中身は爽やかなレモン風味のスポーツドリンクか何かだったみたいで、その冷たさと爽快さにいくばくかしんどさが軽減された。


「は、走るの、ちょっと早いかも…」

「ごめんなさい。もう少しペース遅くするね」

「う…うん。あと、ごめん。話しかけられても相槌打てなくて…」

「大丈夫。…話さない方がいい?」

「いや……話してて。気が紛れるし、愛の話聞いてて楽しいから。でも返事できないかも…」

「うん、わかった」


 開始十分足らずで、もうすでに体力の限界を迎えつつある私を見つめる愛は、まるで普段通りの涼しい顔で私の回復を待ってくれていた。

 数分程度、その場で動けずに膝を押さえ立って休んで、またランニングを再開させてからは、私をもう置いていかないようにかすぐ真隣を走ってくれた。


「ここを何周か走りきった後は、休憩しようね」

「うん……今もうすでに休みたいけど」

「休む?」

「いや、もうちょいがんばる…」

「……公園から河川敷に向かうまでの間に、駄菓子屋さんがあるの。そこでアイスを買って、休憩がてら向かうのはどう?」

「そうする…」


 私のために色んな提案をしてくれる愛の言葉になんとか頷いて、せめて公園内は頑張って足を止めずにいようと奮起した。

 途中、何度か水筒の中身を消費しながら、愛も気にせず私が口につけたものを飲んでいた。

 終わる頃にはもう、ヘトヘトで。


「……帰りたい…シャワー浴びたい…」

「帰る?」

「…もうちょい、やる」


 汗だくになった服や体に気持ち悪さを覚えたものの、不快感にはめをつぶり、公園を出て河川敷へと向かうことにした。

 

「あ。ここだよ」


 その途中で、どうやら行きつけらしい昔ながらの駄菓子屋へと立ち寄って、


「おばあさん、こんにちは」

「あぁ……愛ちゃん。今日も来てくれたんだね」

「はい。今日はお友達を連れてきました」


 思わぬところで愛の、私以外の人間関係を知れた。

 店主のお婆さんと親しげに会話をした後で私のことを紹介してくれた愛は、滅多に見せない愛想笑い全開な笑顔で対応していた。


「お友達ができたんだね、よかったね」


 お婆さんも、しわくちゃになった目をさらに細くしてシワを寄せて微笑んだ。

 聞けば、中学生の頃からジョギングを始めて、その頃からほぼ毎日のように顔を出しているようで、孫みたいに可愛がっていると話してくれた。

 愛も愛でお婆さんのことを相当、気に入ってる様子だったんだけど、


「お名前は…?」

「?……おばあさんは、おばあさんだよ」


 名前にまでは興味を示してなかったらしい。

 キョトンとした顔で失礼なことを言い放った愛を見て、それでもお婆さんはにこやかな笑顔を浮かべていた。

 休憩ついでに軽く雑談を交わしてからアイスをふたつとお茶を買って、こじんまりしたお店を出る。

 その足で河川敷へと向かって、思ったより駄菓子屋からは近かったから、アイスは草むらに座って食べることにした。


「はぁー……疲れた…」


 もうだいぶ日も暮れてきて、太陽も沈みかかってきた空を目の前に、ソーダ味の棒付きアイスの袋を開ける。愛は同じメーカーの、コーラ味を選んでいた。

 シャクシャクとした冷たい食感と、さっぱりした甘さを楽しみながら、隣に座る愛の方を向く。

 ただ前を真っ直ぐに見つめて、感情なくアイスをかじる姿は、やっぱりいつ見ても精巧に作られた人形か何かに見えて……走った後だというのに乱れもしない長い黒髪の毛先が、風によって揺れていた。


「愛は、疲れてないの?」

「……いつも走る距離の、半分も走ってないから。このくらいなら、平気だよ」


 なんだかんだ公園を何周もして、ここに来るまでも公園に行くまでもけっこうな距離を移動したはずなんだけど……愛にとっては、疲れるほどの運動じゃなかったことを知って驚く。

 私はもう足が棒だというのに。

 基礎的な体力の違いと、日頃から運動してる者としてない者の差を思い知った。


「これから毎日……私も走ろうかな…」

「…適度な運動は心身の健康に繋がるから、オススメだよ。あと痩せやすい体作りにも最適」


 私の独り言を拾った彼女は、こちらの気持ちをさらに前向きなものへ押し進めようと自らメリットを提示してくれる。

 …心なしか、喜んでるようにも見えた。

 思い返せば愛の趣味に付き合ったことは今までになくて、いつも一方的に私の好きなものやことに付き合わせていたことを、ここにきて気が付いた。


「明日からも、一緒に走ってくれない?」

「うん。もちろん、いいよ」


 目をぱちぱちとさせて頷いた彼女は、笑いはしてないもののいつになくテンションが高くて、つい頬が緩む。


「…かわいいね、愛」


 なんだか犬や子供みたいに映って、微笑ましくなって褒めれば、不思議そうな瞳が返ってきた。

 今日は随分と人間味溢れる愛だったけど、その裏で……頭の片隅で疑心暗鬼に陥ってしまう自分も居る。

 そういう、私にとって好ましい反応すら、全て私が仕込んできたからやってるだけなんじゃないか…って。暗い思考が、常に付きまとった。


「デートの日……愛がお弁当作ってきて」


 だから、こんな時でさえ試し行動をやめられない。


「うん、いいよ。…何が食べたい?」

「愛の得意料理は?」

「…どんなものでも、レシピに沿って作るだけだから、得意も苦手もないよ」

「じゃあ、愛の好きなやつ」

「……ごめんなさい。特に好きなものはないの」

「うーん……じゃ、私の好きなやつ」

「わかった。それなら、作れるよ」


 どこか作業的だったり、無感情そうな一面を見るたび、不安は増していく。

 ちゃんと、彼女の本心からそうしてくれてたらいいんだけど……そうとも限らないのが、愛だから。


「……休憩したから、走ろう?」


 私の気持ちなんて知りもしない彼女は、嬉々として立ち上がる。


「いや……ごめん。一回座ったら、動けなくなっちゃった」

「…予定変更して、帰る?」

「うん。…おんぶして」

「ん、いいよ」


 半分冗談だったけど、許してもらえたから甘えることに決めた。

 地面に根っこでも生えたかと思うくらい重い腰を持ち上げて、私の前で背中を見せてしゃがんだ愛の体にのしかかった。

 細身な体からは想像とつかないほど軽々とおぶって歩き出したその肩に頬を預けて、落とされないようにしっかりしがみつく。


「重くない?」

「……この重さだと50kgないくらいだから、芽紗の身長156cmの標準体重よりも軽いよ」

「そういう意味で言ったんじゃないんだけど……あと何気に体重当てんのやめて」

「ごめんなさい。…ちなみにBMIは20程度と考えられるから、肥満体型ではないよ。むしろ標準的で、理想的だと思う」

「…え。そんなのも分かんの?」

「計算方法があるの。それを使えば簡単に、誰にでも分かるよ。より正確なものや詳しいことを知りたい場合は専門機関で診断してもらうことをオススメする」


 聞きたかったのは、愛が重いと思うかどうかだったんだけど……面白いこと聞けたからまぁいいや。

 にしても、こんな機能まで搭載されてたんだ…なんて、もはや本格的にそういうロボットみたいに思いつつ、その日は帰路についた。


 


 
















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