第6話「今から、会いに来て」

























 私のことを好きかどうかも、自分で分からないくせにどんなお願いでも聞いてくれる愛は、


「明日、朝早く起きなきゃだから……電話で起こしてくれない?」

「……うん。いいよ」


 早朝のモーニングコールも、ふたつ返事で引き受けてくれた。

 …ほんとは用なんてなくて、ただ応えてくれるかどうか言っただけの嘘なんだけど。

 せっかくだから、眠そうな愛も見れるかな?って企みも込めて、翌日の朝に電話をかけてもらうことになった。

 前日……つまり今日、愛は喫茶店のバイトがあるらしく、帰宅するのは夜の十時を過ぎるんだとか。

 それなのに、朝の五時には起きて電話をかけてくれるなんて、誰が聞いても優しいと思うけど…私にとっては、それもまた義務的に願いを叶えるうちのひとつにしか過ぎないという寂しさがある。

 この虚しさは、私しか知らない。

 周りから見たら、私達はただの仲良しで、愛は健気な良い子だ。

 あの優しさが私のお願いによって生まれたことを知ってるのは、私だけ。

 それはそれである種の特別感を感じるものの、知ってるからこその悩みや葛藤もある。


 愛の本心を知りたい。


 知りたければ聞けばいいだけの話なんだけど、それだと気を遣って言葉を選んじゃうだろうから意味がない。…社交辞令やお世辞というものを教えてしまったのも、私だ。

 となると……やっぱり、私からの教えを振り払ってでも言うくらいの「やだ」が欲しい。そのくらい強い意思を持ったところが見たい。


「……ん…」


 とか、考えてるうちに寝ちゃったみたいで、スマホのバイブ音で目を覚ました。

 画面を見れば愛からの着信で、時間は五時ピッタリだった。


「んー……もしもし…」

『おはよう、芽紗』


 電話に出れば、いつもと変わらない静かな愛の声がスピーカー越しに聞こえる。

 ……全然、疲れてる気配がない。

 昨日も遅くまでバイトしてたとは思えない平常運転で、なんとなく物足りなさを感じてしまう。


「…今から、会いに来て」

『今日、何か予定があるんじゃ…』

「いいから来てほしいの。おねがい」

『……うん、いいよ』


 突拍子のないお願いにも応じた愛は、『準備するね』と言って電話を切った。

 愛の家から私の家までは徒歩十数分程度で、その間に顔を洗ったり歯磨きは済ませよう…と部屋を出る。

 一階に降りたけど、まだ早朝だから家族みんな起きてなくて、できるだけ足音を立てないよう静かに歩いた。…愛が来た時、インターホン鳴らさないでって送っとこ。

 歯を磨きながらスマホでそうメッセージを送ったら、すぐに『わかった』と返ってきた。

 ついでに毎朝の日課である保湿ケアも終わらせて、愛が来たらすぐ招き入れられるように玄関先で座って待つこと十数分。


『つきました』


 連絡が来たから立ち上がって、玄関の扉を開けた。


「おはよう、芽紗」

「……おはよ」


 早朝とはいえ外は暑かったはずなのに、汗ひとつかいてない涼しい顔の愛を招き入れて、そそくさと二階の自室へと戻る。


「まだ朝早いから……寝る?」

「私は眠くないから大丈夫。芽紗は、眠かったら寝てね」

「え、でも…それじゃ、私が寝てる間どうすんの」

「本でも読んでるよ」


 寝不足なのは愛の方と思ってたけど、本人はあっけらかんと言うばかりで、表情からも疲れも何も感じない。

 とりあえず私はベッドの上に座って、足だけ毛布に潜る。愛は定位置であるベッド下のクッションに腰を下ろした。

 この状況で自分だけ寝るのも忍びないから、ベッドを背もたれにした愛のそばへ行って、後ろから声をかける。


「暇じゃない?」

「……何かお話する?」


 質問に質問を返されて戸惑いつつも頷けば、たまには自分から話題を出そうという気持ちが働いたのか、彼女は僅かに俯いて考え事をする素振りを見せた。


「愛って…優しいよね」


 その滑らかな頬に手を伸ばしながら褒めたら、照れもしない無感情で整った顔がこちらを向いて、小さく首が傾いた。

 白い頬にかかった黒い髪を持ち上げて、耳にかける。その間も彼女は抵抗すらせず、私の顔をじっと見ていた。

 ……こういう時、なに考えてるんだろ。

 感情がありそうでなさそうなのが、愛の不思議なところで、ある種の魅力とも言える。


「…そんなに優しいと、男の子にもモテちゃうでしょ」


 頬のお肉を指でつまんでみても、愛の表情に変化はない。


「意識したことない。モテるとか、モテないとか」


 愛らしい淡白な返事に、肩を竦ませた。


「そもそも恋愛に興味あるの?愛って」

「……ない、かな」

「好きなタイプとかも?」


 仮にも恋人同士なのに、こんな会話をするのも変かもしれないけど、私達の認識ではまだ友達から大きく外れてないからこそできる会話とも言えた。

 一度、体の関係を持ってもなお変化のない関係は、落ち着くようで寂しくもある。


「…興味がないから、分からない」


 恋人を目の前に、好きなタイプさえ言えないくらい興味関心の薄い愛は、何を考えてるんだろう。

 ……なんで、付き合ってくれたんだろ。

 疑問は尽きなくて、気になるままに質問を続けていった。


「じゃあ、なんで私と付き合ったの?」

「……お願いされたから」

「私のこと好きじゃないのに、付き合ったってこと…?」

「好きだよ」

「でも恋愛に興味ないんだよね?」

「…うん。しなくても生きていけることだから」


 聞けば聞くほど、分からなくなる。

 きっと愛の言う“好き”が恋愛的なものじゃないのは確かで、恋愛に興味がないってことから、本人もよく分かってないまま交際に応じた説が浮上してきた。

 友達でも、恋人でも、一緒に居られれば良いと思ってくれた可能性もある。…もしそうなら、素直に嬉しい。


「愛って、結婚とかについてはどう考えてんの?子供とか」

「……社会性において必要項目ではあると思ってるけど、必須ではないと考えてるよ」

「あー……そうじゃなくて、愛自身は結婚するの?って意味」

「それは今後、社会への貢献度や人生における重要性、相手の人生を担うために必要な責任能力の有無なんかを自身の幸福度と照らし合わせて考えて、結果を出す予定ではある」

「つまり、それは……どういうこと?」

「社会にとって役立つことや新たな命やパートナーに捧げる時間と労力が自身の幸せと思えればする可能性は上がるし、それよりも他に優先したい幸福や目標があればしないよ」


 彼女的には、より分かりやすく言い直してくれたんだろうけど……それでもあんま真意は伝わらなかった。


「結婚する気ある、ないで言ったら?」

「……好んでしようとは思ってない」


 ただ必要だと思えばする、とも付け足した。

 本人的には「したくないけど視野には入れてる」ってことを言いたかったんだろうと察して、ちょっと話すのが嫌そうな雰囲気を出されたからそれ以上深くは聞かないでおいた。


「…芽紗は、結婚したい?」


 気を遣って黙った私に、今度は相手から質問を受ける。

 思えば考えたこともなかったなー…とぼんやり思考を巡らせて、自分が男性と結婚する未来の姿が想像できなくて苦笑してしまった。

 彼氏さえいない、なんなら女の愛と付き合ってるのに結婚まで進める気がしなかった。


「今んとこ、ないかなぁ。良い人がいれば、って感じ」

「……そっか。どんな人がタイプなの?」

「えー…どうだろ」


 考えながら、ひとつ。


 頭に浮かんだのは、


「人間味ある人かな…」


 愛とは正反対のことを言って、反応を見たいという意地悪な発想だった。

 私の言葉を聞いた彼女は表情ひとつ変えず「そっか」とだけ呟いて、鞄の中からいつものカバー付き文庫を取り出す。そのまま、パラパラと何食わぬ顔で読書を始めた。

 思ってた以上に無反応だったのがつまらなくて、私も仰向けになって枕元のスマホを手に取った。


「……そういえば、芽紗」

「なに…?」

「そろそろ、夏休みだよ」


 少しして、普段と変わらない話題を持ち出した愛に合わせるため「うん」と相槌を打った。


「どこか、行きたい場所はある?」

「…それは、デートのお誘い?」


 体を起こしながら冗談めかして聞いたら、彼女は僅かに目を細めて笑った。


「そっか。…恋人の芽紗と出かけるのは、デートになるんだ」

「ふは。そうだよ。今さら?」

「ごめんなさい、まだ友達の感覚が抜けきらなくて…」

「…私も。だから大丈夫」


 本を閉じた愛の隣へと移動するためベッドを降りて、お互い“デート”という言葉に未だ大きな違和感を残したまま照れた顔を向けあう。

 こんな至近距離にいても、キスひとつしない関係を…はたして、恋人と呼べるか危うい。

 付き合えたら、動揺したり感情的になったりする愛をもっと見れると思ってたのに。今のところ、拍子抜けである。

 だから、まだ友達へと平気で後戻りができるうちに、別れておけばよかったものを。


「……デートは、どこが良い?芽紗」


 心臓が昂ぶった気配もない静かな表情で聞いてきた相手を、やっぱりちょっと憎らしく思って、変な意地を発動させちゃった私は、


「どこに行っても…楽しませてくれる?」


 挑発的に言っても意味がないと分かっていて、愛をおちょくることに決めた。

 そして案の定、挑発とすら受け取らなかった愛は微笑んで、


「うん。…いいよ。がんばるね」


 いつものように、首を縦に動かすのだった。




















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