第5話「嫌いなとこ、言って」





























 行為の後、寝ちゃった私の隣でずっと何かを書き込んでいたらしく、うっすら目を開けたら真剣な横顔が視界に映った。

 起きたことをすぐには伝えないで、しばらくボーッとしながら観察していたら、彼女はたまにペンの持ち手を口元に当ててはフリーズして、他のページも確認しながらまた書く…というのを何度も繰り返し行っていた。

 多分、人工知能を擬人化させたら、愛になるんだろうな…ってくらい作業的にインプットとアウトプットをひたすら続ける姿を、まだ寝ぼけた頭で静かに見守る。

 ノートの中身が気になったから、チラリと横目で覗き見てみれば、


『キスはすぐに舌を入れない方が良い』

『■■は撫でるより舐める』

『■■は強めに吸う方が好き(?)』


 と、真面目な顔して何を書いてんの?って事ばかりがズラズラと並べられていて、恥ずかしすぎて見なかったふり寝たふりをした。

 ……へ、変なこと覚えさせちゃったかな。

 自分の体を分析されてる感じがして、むず痒くなる。

 反省点が多いって言ってたし、改善するのに必要だから予習のため書いてるんだろうけど、生真面目もここまで来ると恐ろしい。


「…うん」


 少ししてどこか満足げな声が聞こえて、ノートを閉じた音もした。


「次はいつか、後で聞こう」


 そんな遊びの予定立てる、くらいの感覚で決めることじゃないよ、愛……心の中だけでツッコんでいたら、いつ起きたらいいかタイミングを逃してしまった。

 視界を閉じた暗闇の中で、響くのはおそらく寝る体勢に入るためモゾモゾと動く衣擦れの音だけで、毛布をかけ直してくれた後からは無音の時間が流れた。

 ……寝たかな?

 片目をそろりと開けてみたら、じっと人の寝顔を眺めていたらしい愛と、バッチリ目が合ってしまった。


「おはよう、芽紗」


 動揺しまくって目を泳がせた私に対して、愛はいつも通りの落ち着いた声で微笑んだ。


「芽紗が起きたら聞こうと思ってたことがあるの。次のセ■クスはいつを予定してる?」


 そして、寝起きの人間にするには不適切すぎる質問を、さらりと口にした。

 返答に困って、とりあえず仰向けになって天井を見上げたら、愛も私の動きに合わせて仰向けへと体勢を変えた。…真似してる?

 親の行動を真似る子供のようにも、人間の動きを真似るロボットのようにも見えて、微笑ましい。


「それで、いつセッ■スするの?」

「……あのね、愛」


 だけど言ってる事がヤバすぎて、痛むこめかみを押さえたい気持ちで顔だけ愛の方を向いた。


「あんまりそういうのは……予定を立てて決めることじゃない…と思う」

「そうなの?」

「うん。…お互いの気持ちが盛り上がったり、したいな〜って思った時にすればいいんだよ。無理に決めないで」

「……そっか。それなら、芽紗の気持ちが盛り上がるのを待つようにするね」

「それも、違うっていうか…」


 本音を言えば、もうするつもりはなかったから、思ってたより愛が積極的なことに戸惑う。


「そもそもセ■クスって、ふたりでするものだから……片方だけ盛り上がってても、意味ないよ」


 行為中は、あんなにも冷静だったのに…終わってから興味持たれても遅いよ、ってふてくされた気持ちで呟いたら、愛の顔がこちらを向いた。

 相変わらず感情の少ない瞳と目を合わせて、相手の言葉をおとなしく待つ。


「…どうやったら、盛り上がる?」


 自分の感情なのに、人に聞いてくる感じ……ほんと今も昔も変わらない。


「分かんない。…そういうのは愛が自分で考えて」

「……わかった」


 呆れた私の言葉を素直に受け止めて、愛はしばらく天井を見つめながら瞬きすらせず思案していた。

 頭がいいのか悪いのか。考えればすぐに分かるようなことも、慣れていないと彼女はいつもこうして悩む。…逆に、一度知ってしまえば後は早かったりする。

 1を10にするのは得意だけど、0から1を生み出せないタイプ。

 判断材料となる情報がなければどれだけ考えても答えを導き出せないから、あまりに困ってそうな時はさり気なく……私から情報を与える。


「よく聞くのは…キスとかしてれば、自然と……って言うよね」

「……そうなんだ」

「ま、でも。しばらくは、いいかな」

「…どうして?」

「今日でけっこう、満足できたから」


 色々と知らない一面も見れたし。

 ……一回■ッてスッキリしたのもある。

 愛に照れ笑いを向けたら、彼女は何も言わず私の顔を見つめてから、静かに微笑んだ。


「さてと……汗かいたから、お風呂入ろっかな」

「…うん」

「一緒に入る?」

「うん」


 起き上がりながら、ついでに聞けば、頷いて愛も体を起こす。


「疲れちゃって体だるいから……髪洗ってくれない?」

「……うん、いいよ」

「乾かすのもしてほしい」

「…わかった」


 隙あらば、愛がどこまで許してくれるのかの確認も行う。

 何気に、お風呂に一緒に入るのは初めてだけど…頼めば髪を洗うのも、乾かすのも厭わずしてくれるらしい。

 一度「いいよ」と言ったことはちゃんと最後までこなす愛だから、本当にしっかり丁寧にやってくれて、お風呂あがりにはヘアオイルまで塗ってくれた。


「…疲れない?」

「うん」

「愛って、めんどくさいとか思うことある?」


 私の髪を優しくクシで梳く愛に、肩越しに振り向いて聞いてみたら、静かな微笑が返ってきた。


「ないよ」

「え。まじ?」

「全ての出来事は、生きる上で必要なことだから。必要なことをやるだけ」


 そこに面倒も何もない、と言いたいんだろう。

 あまりにも義務的な生き方すぎて、それ楽しいかな?って疑問に思うけど、それさえ愛にとってはどうでもいい事柄のひとつなんだろうから何も言わないでおいた。


「愛はすごいね〜、私は何をするのもめんどくさいよ」

「……代わりにできることは、するよ」

「えぇ〜、いいの?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、今度から一緒にお風呂入った時は、毎回こうして頭洗ったりしてくれる?」

「…うん。もちろん」


 私の面倒事さえ肩代わりしてくれるつもりの寛容な彼女は快く頷いて、髪のケアを済ませた後は腕や足にボディクリームまで塗ってくれた。

 随分と献身的な愛を見つめながら、もっと面倒なことを言ったらどうするんだろう…っていう素朴な疑問で心を疼かせる。


「…今日さ、私が寝るまで起きててよ」

「うん。…いいよ」

「明日の朝は、私より早く起きて」

「……わかった。何時に起きる予定?」

「わかんない。だけど、私が起きる前に起きて」


 無理難題を叩きつけても、


「…ん。いいよ。わかった」


 いつもと変わらない返事をして、私の体をベッドの上に寝かせてから、毛布をかけた。


「おやすみ、芽紗」

「……まだ寝ない。から、なんか話して」

「いいよ。…何を話せばいい?」

「私の好きなとこ100個言って」


 これはさすがに無理でしょ、とたかを括って言ったのに、愛は「うん」と小さく返事をして私の隣に寝転んだ。


「ひ、100個だよ?そんなにある?」

「…少し待って、考えるね」

「い…いや、言わなくていいよ。冗談だから」

「そっか。……じゃあ、他に何を話せばいい?」

「…私の嫌いなとこ10個」


 これは、断られなかったら私のメンタルに傷が付きそうだから、「やだ」って言ってほしいんだけど……期待に反して、愛は珍しく眉間にシワを寄せるほどに悩み出した。

 あ、絞り出そうと思えばあるんだ、嫌いなとこ…ってちょっと傷付いた気持ちで、だけど気になるから待ってみる。

 普段、私のことを否定しない愛の口から、いったいどんな悪口が飛び出るんだろ?って思ってたら、


「ごめんなさい。思いつかない」


 ものすごく申し訳なさそうに、謝られた。


「な、なんかひとつくらい…あるでしょ」

「…ごめんなさい、本当に思いつかないの」


 心底困り果てた声を出したのを、さらに困らせたくなって「なんでもいいからひとつ言って」とお願いしたら、愛の喉から小さな唸り声が出た。

 おぉ……あの愛が、葛藤してる。

 この先の人生かかっても見れないかもしれない光景を、目に焼き付けるように眺める。

 最近はだいぶ嫌なお願いもしちゃってるし、そこら辺で来るかな?と思いつつ、想像もつかなくてワクワクした気持ちで自分への嫌いなところを言われ待ちすること、数分。


「……嫌いの定義を教えてください」


 悩みに悩んだ末に出てきた、苦しい疑問が吐き出された。


「こういうとこ、嫌だな…みたいな」

「…そう思ったことがない場合は、どう答えるのが適切ですか」

「普通に、ないよ…とかで良いと思うけど」

「ないよ」

「嘘だぁ…」

「ごめんなさい、期待に添えなくて。記憶を掘り返してみたけど、ありませんでした」


 気を遣ってるのか、はたまた本当にひとつもなかったのか。

 どちらかと言えば後者な気もするけど……それなら、と改めて好きなところを聞いてみることにした。


「じゃあ、好きなとこは?」

「……そもそも好きってなんだろう…」


 だけどそれも、無意味に終わった。

 考えすぎた結果なのか、なんなのか。

 まぁ元から自分の感情に疎そうだもんね、と思いつつ、そもそも感情があるのかも不明な愛を困らせるのは一旦やめて、今日のところはおとなしく寝ることにした。

 ……にしても、愛って困りすぎると敬語になるんだ。

 そういう堅苦しいとこが、AIっぽいのかも。

 なんとなく腑に落ちて、自分がお願いしたことも忘れてさっさと眠りについた翌朝。


「おはよう、芽紗」


 ちゃんと覚えていて、しっかり約束を守ってくれた愛は私よりも早く起きて、寝不足なんて微塵も思わせない涼しい顔で挨拶をしてきた。


 …いつ寝て、いつ起きたんだろ。


 長く一緒に居ても、まだまだ謎の多い愛といたら退屈しないなって。そう呑気に思った。

















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