第3話「もっと、撫でて」
出会った頃の愛は、今よりもっと無感情で、人間らしさがなかった。
まるで精巧に作られた人形かロボット、と言われた方がしっくり来るくらい、綺麗な顔を崩すことなく常に寡黙で無表情だった。
だから周りの人間からは「とっつきにくい」って距離を置かれていて……だけど私だけはなんとなく気になっちゃって、よく声をかけていた。
同情とかじゃなくて、単なる興味本位で。
「ねぇ、常呂さん。お昼一緒に食べよ?」
「……はい」
誘えば断ることもせず頷いてくれるものの、彼女から誘うなんてことは一度もなく、
「一緒に帰ろ」
「……分かりました」
返事もいつも、「はい」か「分かりました」ばかりだった。
だから、もしかして実は迷惑に思ってたりしないかな?断れないだけなんじゃ…?と心配になった時期もあって、不安だったから本人に聞いてみたら、
「…迷惑と思っていません」
「ほんと?」
「はい。迷惑ではありません。よって、そのような心配は必要ありません」
ものすごく機械的な返事をされた。
「ふはっ……ロボットみたいな返事の仕方すんじゃん」
「…すみません」
「今の…迷惑じゃないよ、大丈夫だよって意味で合ってる?」
「はい。そのようにお伝えしました」
「それならよかった!」
勝手に決めつけて距離を置く前に、ちゃんと意思を確認でしてよかった。
嫌がられてない事にはひとまず安心したものの、やっぱり人間味のない話し方は気になっちゃって、その辺りからさり気なく他の言い回しを伝えてみるようになった。
「これ食べる?おいしいよ」
「……今は必要としていません」
「ふふっ。…いらないよって、言ってみて?」
「…いらないよ」
「うん!そっちの方が接しやすいかも」
「分かりました。次からはそう言うようにします」
一度覚えたら、彼女の知識を吸収する力は凄くて、会話の仕方が徐々に変わっていった。
はじめは敬語しか使わなかったのも、出会ってから三ヶ月が経つ頃には砕けた口調へと変わりつつあって、
「このお菓子おいし!…食べる?」
「…今はいらないよ。ごめんなさい」
「謝んなくていいって。代わりに、ありがとうって言ってみてほしい」
「……ありがとう」
この通り、人間らしい返答も増えた。
それでもまだ堅苦しさは抜けなくて……だけどそれも愛の良さかな?なんて考えて、あんまり変化を求めすぎることはせず見守ることもあった。
「愛〜、今日も一緒に帰ろ?」
「……うん。わかった。誘ってくれてありがとう」
彼女も彼女で、私と会話していく中で自分でも学んでいったのか、少しずつロボットみたいな話し方は改善されていった。
その変化を見られるのも楽しくて、他に友達がいない愛と過ごす時間は日に日に増えて、家にまで遊びにきてくれるくらい仲良くなれた。
だけど、人間というのは欲深なもので。
「…たまには、愛の方からも話しかけてほしいな」
一緒に過ごすうちに、アクションを起こすのはいつも自分からということに気付いて、物足りなさと寂しさを抱えた私がそんなわがままを言ったら、彼女は表情ひとつ変えずこちらを見つめた。
「あ……えっと、ほら。私達、友達でしょ?だからお互いに話しかけ合ったりとか、できたらな…って」
なんとなく、真顔で視線を向けられたことに無言の圧力を感じて、言い訳じみた言葉を並べる。
そうしたら愛は何を思ったのか、まつ毛を伏せて視線を俯かせて……しばらく、じっと動かなくなってしまった。
…もしかして、友達とか思ってたの私だけかな。調子乗りすぎた?
それとも、流石にめんどくさいって思われた…?
こういう時、彼女の心の内が見えないことがもどかしくて、同時に怖くも感じた。
「…わかった。話しかけるようにするね」
感情のない声には似合わない、優しく穏やかに細まった瞳の奥に、いったいどんな感情が隠されているのか。
気になって仕方がなくなったのは、彼女と出会ってからもう半年以上の月日が流れたあとの事だった。
だからいっぱい絡みたくて。
季節は高二の冬、夏休みもなんだかんだで会ってくれてたから、冬休みもその流れで連休中に誘って、その頃に初めて愛を家に泊めたりもした。
「布団とベッド、どっちで寝たい?」
「……どっちでもいいよ」
「じゃあ、一緒に寝ちゃう?」
「…うん」
こうやって二択を出すと、愛はいつも「どっちでもいい」と言う。
何においても自分の意見をあまり持ってないみたいで、最終的に私の好きなように決められるから楽ではあるんだけど…愛の好きなものを知りたいな、とも思った。
「うちのご飯、どうだった?」
「……栄養バランスも考えられていて、彩りも豊かで、味つけも適当だったと思う」
「ん、ふは……おいかったってこと?」
「うん。おいしかった」
「よかった。愛は普段、どんなの食べるの?何が好き?」
「…好きなものは、特にないよ」
「え。まじ?じゃあ逆にきらいだったり、まずいって思うのはあるの?」
「必要な栄養素を得るのに、味は重要でないよ。だから嫌いなものもないよ。家では、母が作ったものを食べる。それが一番、私にとって健康的な食事と思ってるから」
「そ、そうなんだ…」
聞いたところで、そもそも好みなんかもないみたいで、結局彼女について深く知ることはできなかった。
そんな愛だから、きっと彼氏なんかもいなくて、他の子が意識するクリスマスなんかのイベントも興味ないんだろうな…って、予想しつつ聞いてみる。
「愛は……クリスマス何して過ごすの?」
「…父と母と、ケーキを作る予定だよ」
「え!お菓子作れるんだ?」
「…うん」
「いいなぁ〜……私も食べてみたい、愛のケーキ」
やっぱり予想通り彼氏と過ごすなんてことはなかったけど、意外な一面を知れるたび嬉しくなった。
…その反面、向こうから「今度作るよ」とか、会話を広げてくれたり、そういう提案が相手からないことに対してはちょっとだけ不満に思った。
「……作ろっか?とか、言ってほしい…かも」
この辺りから、だんだんと。
私は、愛に対して自分のしてほしいことを望むようになった。
「…わかった」
「あと……相槌だけじゃなくて、もっとなんか言ってほしい」
「…うん」
「私ばっか話すの、やだ」
「ごめんね。…伝えてくれて、ありがとう」
ふてくされた私を静かな目で見下ろして、私に教わった通りの言い回しで受け入れながら、初めて彼女は口元を緩ませて微笑んだ。
愛がちゃんと、明確に、分かりやすく表情を変えたのはこの日が初めてで……だから何年経った今も、未だに忘れられない。
もっと感情的にさせて、色んな表情を見たいと思ったのも、この時からだ。
「他に何してほしい?とかも…愛の方から聞いてほしい」
「わかった。…他にはある?」
さっそく期待に応えて聞いてくれた愛は、すっかり笑顔をなくして無表情で小首を傾げた。
「私が落ち込んでる時は、頭撫でて」
「…うん」
言えば、やってくれる。
少し冷えた手が髪を撫でてくれて、だけどそれだけじゃ足りなくて、
「愛の思ってること…教えて。感情とか見せてほしいし、好きなようにもしてほしい…」
それであわよくば、向こうから来てくれないかな…って思って言ってみたら、そっと手が離れた。
あぁ……やっぱり、言われたからしただけなんだな…って落ち込んで、自分のしていることに虚しさを覚えた私を、何も言わずに愛は抱き包んだ。
そしてそのまま、また髪を優しく触り始める。
この時のこの行動が、本当にそうしたかったのか、それとも今までに私が与えた知識の積み重ねがそうさせたのかは、分からなかったけど。
「もっと撫でて……愛…」
私のために動いてくれたことが嬉しくて、彼女なりの優しさに委ねて背中に手を回したら、頭の後ろを支え持つようにして手を当てられた。
人間味を増していく愛を、私の言動によって変わっていく優越感や喜びを、手放すことなんてできなくて。
これきっかけで強い独占欲を得てしまった私は、結果的に彼女の人生を縛ってしまうことになる。
その始まりが、冗談混じりに言った「一緒の大学に行ってほしい」というもので。
自覚がなかっただけで、だいぶ前からもう…私の中の歪みは始まっていた。
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