第52話 生け捕りせよ

=ミンダナオ島=


 木造のボートが静かに砂浜に到達する。


「なんちゅう爆撃じゃぁ。夜間にこれじゃ眠れんわな」


「マッカーサーも寝不足で窶れていましょう。そもそも、コレヒドール要塞から脱出できないかも?」


「うちの潜水艦と間違えても」


「あぁ、違いない」


 ミンダナオ島も攻撃目標と夜間爆撃が盛んに行われた。夜間攻撃による直接的な被害は少ないと雖も敵兵に与える圧迫は大きい。動植物が眠りにつく時間帯に騒音をまき散らせば必然的にストレスが蓄積された。これが続けば精神が蝕まれて小銃を手に取ることも覚束なくなる。


 秘密裏の上陸を果たした者は木造のボートを焼き払った。夜間に火の手は格好の灯りだが、夜間爆撃による火災の誘発による混乱に乗じ、仮に目視した場合もボヤ程度と認識される。ボヤよりも数倍も大きな火災を相手することに手一杯でボートが燃える様子は無視に該当した。


「俺たちの仕事はマッカーサーの捕縛にある。あいつは狭所恐怖症だから潜水艦の脱出を拒むと聞いた。小舟な何かでミンダナオ島まで脱出してB-17で逃げる」


「味方が優秀だから潜水艦は悉く沈んでいるようです。俺たちを運搬した丸湯号が沈められなくて助かりました」


「海軍さんの尽力を賜って実現した陸軍の潜水艦である。味方に撃たれる程の物じゃない」


「へいへい」


 彼らは一様に軽装であるが鹵獲品なのか米軍を模した装備を身に纏う。機関短銃や拳銃こそ和製らしいが、制服や帽子などは米軍とそっくりそのままと見事に溶け込み、声をかけられても「なんだ味方か」と素通りできてしまった。それだけ見事な偽装を纏う目的とは何である。


 彼らの正体は日本陸軍の特殊部隊を表す特戦隊だ。特に潜入工作に特化して英領香港解放の決め手である給水所制圧の立役者と噂される。その存在は徹底的に秘匿されて兵士たちは偽りの死亡届も発行される程に極まった。家族は英霊を生んだと規格外の好待遇を受けられ、兵士たちは自身が死ぬことを承知で東亜連邦の勝利を願い、まさに偉大な滅私奉公の精神で職務にあたる。本日も敵地ど真ん中にコソコソと潜り込んだ。


 フィリピンは全方位を陸地と切り離されている。外部との連絡手段は船舶か航空機に絞られたが、コッソリと潜り込むに航空機は暴露され易くて不適当であり、グライダーも運用できるが天候に左右されるために却下した。ここは消去法と船舶による移動がよろしい。


「丸湯号も悪いもんじゃなかった。マッカーサーが狭い所が嫌いと言ってもです。無理矢理にでも押し込んでやりましょうや」


「そんなことをすれば自ら命を絶ちかねない。奴は尊大で自己に賛美を怠らなかった。日本軍に捕まるぐらいなら自決を選びかねん」


「なんだかウチと似ているようで」


「一緒にするんじゃない。我々は本当に行き詰った時に栄光の自決を選ぶんだぞ」


 彼らは陸軍独自の潜水艦である丸湯号に便乗した。潜水艦の隠密性を活用した輸送自体は一般的である。日本海軍は輸送型潜水艦を大量建造して島嶼部へ武器弾薬、食料、医薬品を運んだ。米軍もフィリピンへ細々と物資を運びこんでいる。潜水艦は制海権を奪われようと関係なかった。海中に息を潜め続けることで監視の目を掻い潜り敵軍に悟られることなく行動できる点は絶大な利点と言えよう。


 フィリピンは日本軍の艦船と航空機で大包囲された。米軍潜水艦は果敢に潜り込んだが、あいにく、即席の対潜哨戒機たる水上偵察機や陸上攻撃機、駆逐艦と海防艦、駆潜艇の群れに阻まれる。米軍が懸命に行う補給も大半が海の藻屑と消えた。マッカーサーをはじめとした将兵は食料不足に喘いだ末に疫病の蔓延の最悪を招いている。


「わかってます」


「ここで雑談しても体力を消耗するだけ。まずはマッカーサーが訪れる飛行場を」


「夜間爆撃が一段落したら見学と行こう。その後は砂浜の候補を絞り込むか」


「隠密行動開始でさぁ」


 この中を丸湯号は正々堂々と行進した。


 丸湯号は日本陸軍が正式に日本海軍へ協力を依頼して「陸軍の潜水艦」の実現にこぎつける。潜水艦は海軍の定番かもしれないが、海軍に頼ってばかりでは柔軟性に欠け、妬みから自前で揃えようとしたわけでないことに留意を求めた。海軍は独占を試みるところ、石原莞爾と長谷川清、堀悌吉の三者会談で歴史的な協力体制の合意に至り、お互いに技術を提供して高め合うことを約束する。


 陸軍用か海軍用か問わなかった。輸送用の潜水艦は大量に用意することに終われ、既存の輸送型潜水艦を素体にすることで短縮を図り、かつ熟成して間もないブロック工法を多用し、さらに陸軍工廠を提供する挙国一致を見せつける。潜水艦は太平洋を制するに必須なのだ。


 丸湯号の運搬量は最大40tと通常型潜水艦に詰み込めない野砲や小型車両も運搬できる。兵員は物資との兼ね合いだが50名近くを乗せた。実際は37mmか57mmの歩兵砲と75mmの山砲も入る為に20名から30名となる。輸送船どころか大発に比べても劣る数値も隠密性を鑑みれば十分と評価した。大規模な輸送作戦よりかは少数精鋭の投入に運用される。


「マッカーサーを生け捕りにする。なんてつまらん任務じゃ」


「なんだ飛行場を小隊単位で襲撃して制圧してやろうか?」


「小隊どころか3人でやってやります」


「バカなことを…」


「鵬を見倣えよ。一切の文句を吐かずに行動するんだからな」


「へ~い」


「軽機関銃を背負ってますので、まぁ多少は仕方ないかと」


「日本語が上手いんだ。それで英語も話せる。マッカーサーの通訳に任命しよう」


 丸湯号は特殊部隊にとって意外と良好な居住性で大歓迎だ。彼らは風雨に晒される過酷な環境を数か月単位で過ごす。潜水艦の密閉空間でも静かに過ごせるだけで高評価を与えられ、食事も材料を現地調達せず缶詰などでも大満足であり、良好な環境で移動できることに罪悪感を覚える者まで現れる始末だった。これには乗組員は苦笑を余儀なくされる。


 今回の任務はフィリピンの最高司令官であるダグラス・マッカーサー大将の身柄確保に尽きた。最近の通信傍受からマッカーサーが脱出を計画中と判明する。みすみすと逃すわけにいかず、かと言って、奴を戦死させては利用価値をゼロにした。ダグラス・マッカーサーは是が非でも捕縛したい。


 ミンダナオ島まで脱出することを予想し待ち構えた。まだ米軍の拠点であるために非合法的を承知で偽装を重ねている。米兵から剥ぎ取った制服などを模倣した。日本国内の職人がハンドメイドで作成しただけはある。もう米兵が身に纏う正規品と寸分の狂いもなかった。小柄な日本人や台湾人が来ても訝しまれない。きっと迎えの兵士と誤認して喜ぶこと間違いなしと胸を張った。


「敵兵だ。こんな時間でも見回りでもご苦労様ですよ」


「眠れないから出て来たのかも?」


「適当にやり過ごせ」


「まったく、いつになったら、止むんだろうな」


「本当だよ。大統領のベルトがズレ落ちるってな」


 あまりに米兵過ぎても怪しまれる。現地で徴兵されたフィリピン兵を装った。カタコトな英語で雑談に興じる。それも士気低下を如実に表すジョークを敷き詰めた。火災の鎮圧に駆け回る者はマトモに取り合わない。フィリピン兵が役に立たんと悪態を吐きながらバケツを回した。


 特殊部隊たるもの外国語が堪能でなければならず、単に上手いだけでは潜入に適さないため、方言の訛りやジョークも習得している。英語はイギリス式も含めて必須項目としてフランス語やオランダ語を加えた。どこへ行っても現地軍や住民、在留外国人に姿を変える。


「飛行場を拝みにいきましょ。あれじゃ警備はザルも同然でさ」


「油断はできませんよ」


「マッカーサーを生け捕るまでは帰れないと思え」


 どこかへ消えていった。


続く

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