第51話 ハルゼーの皮膚病は悪化するばかり

=米国領ハワイ・真珠湾基地=


 米海軍の損害自体は意外と軽微なものである。彼らはオランダ領東インドを巡る戦いに艦隊を派遣したが、連合国海軍は連携に欠けて機雷の誤爆などもあり、日本海軍に完敗を喫した。損害の大半は重巡洋艦と軽巡洋艦、駆逐艦など軽量級が占める。戦艦と空母は健在で反攻作戦は今すぐにでも始められるはずだ。


「なぜだ! 俺をジャップの本拠地まで行かせてくれれば!」


「落ち着くんだ。そんな調子だから皮膚病が悪化して歯も悪くなる。しばらくはアイスクリームも禁止する」


「わかってくれ。例の作戦は俺がやることに決まった。お前は静養に努めるんだ」


「レイ…お前に言われたら納得しちまう。こいつは卑怯ですぜ」


「すまん」


 米海軍は対独の大西洋と対日の太平洋で二方面作戦を強いられるが、ドイツ海軍は脆弱で取るに足らないため、実質的に日本海軍と真っ向から衝突した。日本海軍は英海軍東洋艦隊を打ち破り、オランダ領東インドを巡る海戦に完勝を収めて間もなく、米海軍の好敵手と言うに最高の相手と言えよう。

 

 米海軍は対日戦を見据えて太平洋方面の最高位の指揮官を交代した。


 米海軍の太平洋方面トップである太平洋艦隊司令長官はハズバンド・キンメル大将が務め、対日戦の緒戦において大きな失態は見られなかったが、ダッチハーバーの奇襲を許している。アラスカの海軍基地が最低でも2年は使用不可に陥ったことの責任を問われ、事実として、北方から日本軍の潜水艦が侵入することは増加傾向だった。敵は通商破壊作戦に止まらない。石油精製施設を砲撃することも確認できた。市民は恐怖を覚えてしまい、ルーズベルト大統領もロッキー山脈で防衛線を張ると言い出し、キンメル大将を本国組に下げて新しいトップに変えなければ、もう事態は好転しないのだ。


「ニミッツの親父に言われちゃ仕方あるめぇよ。大人しく本国に帰るとしましょう。俺が指揮する空母は残しておいてください。俺はレキシントンの仇を討つんだ」


「レキシントンの喪失は痛かったが、ハルゼーの責任ではなく、キンメルに押し付ける。彼の無念も抱えて職務に当たるとしよう」


「その写真立ては?」


「こいつを反面教師にしている。尊大は何よりも毒だ」


「ニミッツ長官のマッカーサー嫌いはいつも何度も聞いて飽きません」


 新たにチェスター・ニミッツが大将に飛び級の昇進上で就任する。彼が収まることは予定調和で異議は呈されなかった。とんとん拍子で進められる。人事はキンメル時代の幕僚を引き継いた。有名な逸話として就任時にマッカーサーの写真を収めた写真立てを机に置いている。マッカーサーを反面教師にすると宣言して強烈な印象を与えた。ニミッツに対する忠誠心はうなぎ登りである。


 太平洋艦隊は反撃の矢を放たずに一旦は守勢に回る方針を定めた。戦艦と空母が健在と雖も戦艦は老齢の低速戦艦ばかりである。14インチと16インチの打撃力は魅力的だ。英海軍東洋艦隊が日本海軍の新鋭戦艦と壮絶な撃ち合いの末に沈んだことは記憶に新しい。ハルゼー提督は「低速戦艦は不要」と一刀両断した。ニミッツは苦笑しながらも同意する。老齢戦艦は通商護衛に回した。本国に新鋭戦艦の優先的な供給を再三にわたり求める。


「とにかく、ハルゼーは皮膚病の治療に専念するために一時帰国させる。君の代わりはレイモンド・スプルーアンスで良いのだね?」


「俺の代わりはレイしか務められません。フレッチャーもいますが、レイに勝る者なし」


「よくわかった。スプルーアンスとフレッチャーの二枚で迎え撃つ。日本本土空襲はスプルーアンスに任せた」


「私ですか…」


「不服か?」


「一抹の不安はございます。やってみましょう。ドゥーリットル中佐と打ち合わせを進めます」


 米海軍太平洋艦隊は少ない被害で苦境に落とし込まれた。


 第一にウィリアム・ハルゼー・ジュニア中将が持病の皮膚病が悪化して本格的な治療を要する。ハルゼー中将に係る任務の一切を解いた。一時本国へ帰国させて療養に専念させる。本人は空母に乗っていれば勝手に治ると自負した。プロフェッショナルのドクターを用意して説得を試みる。本人も限界を感じていたのか渋々ながら最前線から退くことを受け入れた。


 第二に貴重な空母の『レキシントン』が沈んでいる。彼女はミッドウェー島に海兵隊用の戦闘機を運搬中に被雷した。ミッドウェー島が砲撃されている情報を受け取る。夜明けに予備の攻撃機と爆撃機を飛ばして砲撃の下手人を探そうと意気込んだ。レキシントンは何処からともなく出現した魚雷を推定3発を頂戴している。左舷に大浸水を招いて懸命のダメージコントロールも虚しかった。


 ハルゼー中将の離脱とレキシントンの喪失は手痛いどころでない。空母屋で士気旺盛の将官が帰国した上に空母1隻も欠けた。米海軍の太平洋艦隊は大幅な戦力ダウンを強いられる。ハルゼー中将の代役はレイモンド・スプルーアンス少将が務めた。レキシントンの代替は整備中のサラトガが収まる。あいにく、妹も潜水艦の雷撃を被り本国で修理する羽目となった。大西洋に展開して英国を支援する空母を引き抜きぬくが、両洋艦隊法に基づく新鋭空母は建造中で間に合わず、苦肉の策とワスプを転戦させてホーネットを繰り上げる。


「ちょうどホーネットが空いている。B-25でヨコスカを爆撃せよ」


 所は変わって満州では東亜連邦の陸軍代表が話し合った。


=大連=


「休憩時間に申し訳ございません」


「緊急性の高い報告はいくらでもするものだ。張さんも聞いていきましょう」


「私も? それを聞いてよいのですか?」


「きっと中華民国に関わることです」


 満州の大連は交通の要衝と空路と海路、陸路(鉄路)が集約する。各国の代表が集まる議場を設けるに適した。ちょうど、東亜連邦陸軍会議が開催されており、日本、中華民国、泰王国の独立国を中心に解放間もない地域の代表も参加する。陸軍会議と称する割に政治や経済の議題も挙げられ、かつ政府関係者も参加する時点で立派な国際会議の性質を帯びた。


「と言うわけです」


「なるほど、蒋介石の残党に働きかけてきたか。米兵の救助と保護を反体制活動支援と引き換えに求める」


「蒋介石の残党は排除しきれていなかった。誠に申し訳ない」


「いいや、ここまでくれば、素直に認めてやりましょう」


 どうやら米軍は情報部門を通じて蒋介石一派の残党と接触したらしい。今後何らかの作戦で兵士が逃げ込んだ際は救助と保護を求めたが、蒋介石一派が復権するための支援をバーターに提供することを約し、日本の背後を守っている中華民国を内側から崩すことで弱体化を狙った。日本が米領フィリピンに行ったことの意趣返しと認識できる。満州を統治する張作霖の奉天軍が取り締まりを担い関東軍も一層の強化を示した。


「しかし、急と言いますか」


「今になって密約を結ぶ事でない」


「蒋介石は旧来の親米派です。それが今になって協力関係を再認識するなんて…」


「何かを企んでいる」


(ドゥーリットル爆撃に違いない。ソ連は日ソ中立を盾に協力を拒んだ。中華民国は表向きこそ敵国であるが、蒋介石といった反体制派は敵の敵は味方に該当し、これと接触してドゥーリットル隊の回収を依頼する)


「石原閣下はどのようにお考えになりますか」


「それをここで明かしては筒抜けかもしれません」


「確かに、これは失礼した」


「張さんは信頼できますが、如何せん、この場所がいけない。どこから漏れると知らず…」


 今日中に石原莞爾はお抱えの連絡担当官に緊急の通達を預ける。それは本土居残り組の辻を筆頭とした満州派に向けられた。米国情報部門がキャッチしない訳もない。通達は一言一句をそっくりとそのままと入手した。アイスクリームの消費量を増やすだけで解読することは叶わない。


「スプルーアンスかフレッチャーかで対応は変わる…」


続く

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