第40話 ジットラ・ライン崩壊

 誰かが言った。


「ジットラ・ラインはマジノ線よりも薄かった。あんなもので食い止められるものか」


 英軍はマレー迎撃作戦を立てジットラ・ラインという防御線を構築する。シンガポールまでに至る各所に防御線を敷いたが、特にジットラという街に敷かれた線をジットラ・ラインと呼び、英軍は難攻不落のマジノ線を引用して胸を張った。しかし、マジノ線はドイツ陸軍機甲部隊に大迂回される。なんとも呆気なく突破を許した。ジットラ・ラインも同様に突破されかねないと危惧される。英軍は最後まで日本ひいては東亜連邦を低く見積もった。シンガポールという東洋のジブラルタルが食い止めるまでもない。


「味方の中戦車と軽戦車が錐揉み戦法で突破している! 俺たちは弁慶となって突き進む!」


「そんな豆鉄砲じゃホロの装甲は破れんぜ。紅茶は貰っていく」


「足を止めるなぁ! ひたすら突き進みジットラ・ラインを突破せよ!」


 日本軍はシンゴラ強襲上陸から機甲部隊を集中投入した。まさに電撃的な進撃を見せるがジットラ・ラインを前に一旦は停止を選択する。これに戦車隊が異を唱えた。彼らは偵察の時間さえ惜しく一刻も早く突破すべしと主張して譲らない。敵軍が防御を整え切る前に一点集中の錐揉み戦法を敢行した。マレー作戦の司令官を務める山下将軍の判断と言われるが実際は現地指揮官の独断である。


 東南アジア特有の降雨が発生して視界が悪くなり、かつ時間帯も夜間で寝静まった頃を見計らい、重突撃砲を主体とした部隊と中戦車・軽戦車を主体とした部隊に分かれた。前者はジットラの真正面から突破を敢行して後者は防御の薄い地点を目指して迂回する。重突撃砲が自慢の大火力と重装甲を押し立てる間に中戦車・軽戦車が快速を以て後方へ回り込んだ。そして、ジットラを包囲して守備隊をじわりじわりと殲滅する。


「弾種榴弾! 目標前方のトーチカ!」


(何かと煩わしい対戦車砲を黙らせる。15cm榴弾が焼き払う)


「装填完了!」


「どうせノロノロ運転だ。行進間射撃で仕留めろ」


「…」


「集中すると何も喋らないから困るんだなぁ」


 零式重突撃砲ことホロは九七式中戦車の車体を流用の上で拡大した。車体に箱型の固定式戦闘室を備えている。前大戦時に登場したサンシャモン突撃砲のように角ばった形状を有した。この固定式戦闘室から三八式15cm榴弾砲(車載仕様)が短砲身を披露する。旧式化した榴弾砲の有効活用と大威力の榴弾を叩きつけた。敵陣の対戦車砲が盛んに徹甲弾を図って来るも全弾を無力化しており、徹甲弾の大半は貫徹できずに押し潰れてしまい、突撃砲の装甲に傷跡を残すだけである。


「撃て!」


「すぐに再装填! 薬莢は適当に捨て置けば良い!」


「一体式の面倒なことよ…」


「本来は野外で2名がかりでやるものだが、突撃砲の狭い部屋じゃ仕方あるまい。文句は紅茶を飲みながら聞いてやる」


 大口径榴弾はトーチカへ吸い込まれて対戦車砲を兵士ごと吹っ飛ばした。15cm榴弾の破壊力は旧式砲と雖も強烈に尽きる。トーチカ周辺に飛び散った対戦車砲の残骸を逆算すると37mm級と見え、豆鉄砲の表現は言い得て妙だが、正確には英陸軍主力対戦車砲のオードナンスQF2ポンド砲(40mm対戦車砲)と判明した。


 日本軍の戦車もブリキの玩具なのだから2ポンド砲で十分だろう。新型の6ポンド砲(57mm砲)は本国防衛や北アフリカ戦線を優先した。実際はダンケルク総撤退から開発も生産も追い付かない。2ポンド砲を運用せざるを得なかった。40mm程度では零式重突撃砲の装甲は破れない。最大厚70mmの装甲を戦闘室正面から車体正面にかけて纏った。ヤークトパンターのような傾斜装甲はない。三号突撃砲を倣った武骨な角ばった形状に被弾時の敵弾を滑らせる効果は期待できなかった。敵軍が75mm級の対戦車砲ないし野砲を押し立てる場合は増加装甲で対応する。


「ホルの支援砲撃もある。エンジンを唸らせろ!」


「こいつはノロノロの亀さんです」


「ホロは装甲が重すぎるんだ。かといって、装甲を軽くしても、撃破されかねん」


「ホロの車内は厚い装甲のせいで熱くて堪らんのです。換気装置も働きません」


「砲弾が湿気る前に吐き出せ。ジットラを突破してシンガポールに到達するまでは出られない」


(鉄の棺桶かよ。まったく、実戦は演習よりも楽しい。ここから出るわけがないさ)


 零式軽突撃砲ことホルが支援砲撃を浴びせた。ホルは九五式軽戦車の車体を基にホロ同様の固定式戦闘室を有するが、素体が軽戦車な故に多方面に制約が生じてしまい、対戦車砲の砲撃に耐える重装甲は諦める。重機関銃を防げる程度の装甲を施した。主砲も一回り小さな三八式12cm榴弾砲を装備したが大口径に変わりない。突撃砲や中戦車を前面に置いて自身は一歩引いた位置から支援砲撃に徹した。


「障害物を乗り越える。鉄条網を引き千切り、塹壕を埋め立て、木枠を押し潰す。それが突撃砲の動かし方ぞ」


「こちら六号車。履帯を切られたが戦闘に支障なし。固定砲台と活動する」


「六号車には悪いがおいていかざるを得ない。後続の戦車隊に合流しろ」


「了解した。皆の武運を祈る」


「敵さんも必死ですわ。戦車を目の当たりにしても武器を捨てない。勇猛果敢に立ち向かってきた。あれがジョンブルの魂です」


「我々の東亜の志と負けず劣らず。ここで砕かせていただく」


 ホロは大火力と重装甲を以てジリジリと肉迫した先にジットラ・ラインの突入を果たす。鉄条網は歩兵の接近を拒むだけでなかった。戦車の履帯に絡まることで行動不能に陥らせることができる。古典的な塹壕も容易に乗り越えると敵兵を埋め立てた。塹壕の中に籠っていれば安全なこともない。チェコの針鼠を用意できなかった代替の木枠の障害物はブルドーザーのように除去した。


 ジットラ・ラインに穴を開けると一気に食い広がる。英軍マレー守備隊は士気の低い現地兵やインド兵が占め、現場の長が戦死した部隊は早々に武器を捨て平伏したが、本国から派遣された正規部隊は士気旺盛を極めていた。彼らは切り札の2ポンド対戦車砲を失っても抵抗を止めない。手榴弾を投げ付けたり、小銃や機関銃で履帯を撃ったり、英国人のジョンブル・スピリッツは敬服に値した。


 ここで止まるわけにはいかない。


「二号車行動不能!」


「二号車ぁ! 無事か!」


「エンジンをやられたが中身は無事だ。ここから打って出たいが籠城戦を選択する。六号車と仲良くやるさ」


 ジットラ・ラインに穴を開けても依然として抵抗は苛烈である。ホロが重装甲でも履帯やエンジンは明確な弱点なのだ。六号車は履帯を切られている。二号車はエンジンを破壊された。共に移動不可に陥る。敵弾に塗れても中の乗員は五体満足の無事で主砲も生きていた。二号車と六号車は固定砲台と戦闘を続行する。彼らは車載無線機のおかげで円滑な連携を可能にした。日本陸軍はドイツ陸軍よりも早くに戦車に無線機を搭載することを推進する。ノモンハン事変の戦車戦では連携力の差でソ連機甲部隊を破った。


「いざ進めぇ! 我らが止まる時はシンガポールの海を目の前にした時のみぃ!」


「機関銃があれば掃射できるのに」


「この中で軽機を出せるものなら出せば良い。狙撃されても知らん」


「まったく結構ですね。分厚い装甲に感謝してもし切れない」


「中戦車の連中は鉄の棺桶と呼ぶがホロは最高の棺桶だぞ。車内は熱くて蒸し上がって最悪の居心地でも最高は揺るがない。どこへでも行くぞ。ガソリンが続く限り止まらない」


 英軍自慢のジットラ・ラインは数時間で突破されると完全に崩壊する。英軍は組織的な後退も許されなかった。各地で包囲に遭って降伏又は殲滅を辿る。日本軍はシンガポールを目指して歩みを止めなかった。この緊急事態に英海軍は即座に救援の東洋艦隊を動員する。


 東洋のジブラルタルから東洋艦隊が出撃した。


「敵レパルス型戦艦二隻見ユ。地点コチサ。針路三四〇度、速力一四節、一五一五」


続く

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