第32話 情報戦を怠ることなかれ
日本が戦争に敗れた理由と情報戦への無理解を挙げられる。特に暗号分野はパープル暗号を筆頭に悉く解読され、あろうことか、米軍の欺瞞情報に踊らされて大敗北を喫した。本世で二の舞を演じるわけにはいかない。
「外交と海軍の暗号は筒抜けだったが、すんでのところ、岡式暗号に切り替えて混乱させている。海軍暗号と陸軍暗号も欺瞞情報の散布に使用した」
「こちらの苦労も知って欲しいです」
「わかっている。予算と人員の確保は怠っていない」
陸軍は海軍と外務省に暗号の脆弱性を幾度となく伝えてきた。陸軍と海軍で暗号は別個である。暗号を作成するなど情報戦を担う部門は共通に設けた。官民問わず優秀な人材を集約する。日本の暗号分野は決して劣っていなかった。米国と英国ほどの熱量を持たずに軽視したことが致命的と断じる。
陸軍が従前からの懸念を伝えていると海軍の軍人と外務省の外交官も賛同を示し始めた。彼らが実務を進める中で「どこか筒抜け」と思うことが増えている。もしや暗号が解読されているのではないかと危機感を覚えた。外交官の用いる暗号は海軍式である。これでは芋づる式に看破されないと彼らは独断で陸軍から供与された暗号に切り替えてみた。
一気に改善されて確信に至る。
石原莞爾の提唱で情報戦に特化した部門を設立した。これに大学教授と大学生、民間企業も含めたが、暗号は数学者の舞台と奇人と変人が大集結しており、真面目な軍人は苦悩を強いられる。学者たちは日夜研究に明け暮れる中で突拍子もない行動に出る都度に困らせてきた。一番は京都帝国大学の岡潔数学教である。彼は常人には理解できない数学理論を展開した。解読不可能な暗号の製作に多大な貢献をしてくれる代償は強烈を極める。深夜に中庭で駆け回って木の上に登ったり、ヨレヨレのスーツで逆立ちしたり、個性豊かな学生を引き連れてマラソンしたり、等々と奇行にきりが無かった。
「岡教授の暗号も素晴らしいです。しかし、最も解読されない暗号は地方の方言であります。日本だけでなく中華民国の少数民族の方言も含める。これで幅は大きく広がりました」
「大変だと思うが、地方出身の者を選抜し、暗号担当に据えよ」
「はい、非常に大変ですが、どうにかしてみせます」
「海を超えた国々の担当者が渋い顔をしていることが容易に思い浮かぶな」
それでは海を超えて暗号解読班の面々を見てみよう。
=米軍暗号班=
ドイツのエニグマ暗号はポーランドからの亡命者とイギリスの解読チームと連携して少しずつ解いている。日本のパープルやオレンジなどは早期に解読した。日米交渉の外交も手に取るようにわかるはずが、。最近になって大幅に更新どころか抜本的に変更されたらしく、暗号の解読は一気に困難に陥っている。
「ロシュフォートの親父がスプーンを投げたら無理だよ。こいつは解読できない」
「何の暗号なんだ。エニグマよりも硬い」
「外交官の言葉も見えなくなった。一睡もできないぜ」
「言語学者に協力を仰いだってな。コード・トーカーと踏んでいる」
「ちっぽけな島国風情が」
米軍暗号班は海軍出身のジョセフ・ジョン・ロシュフォート少佐をリーダーに置いた。彼は海軍の一兵卒上がりだが暗号戦に才能を見出されると語学将校に引き抜かれる。その日本で研鑽を積んで順調に暗号解読のスペシャルの道を歩んだ。彼の専門は通信諜報だが暗号も得意として暗号班のリーダーに大抜擢する。ドイツ軍と日本軍の暗号解読に24時間365日も働くも、日本軍が暗号を変更したことで振り出しに戻されてしまい、ロシュフォート少佐はスプーンを投げた。これには外部の協力を仰がざるを得ない。
アメリカとイギリスは日本と全面衝突に突入していないにもかかわらず、日本大使館と本国の通信を傍受しては機密情報を抜き取り、海軍の動向を探ると迎撃態勢を整え、イギリス領とオランダ領に警報を発していた。今が平時だろうと関係なく各国はお互い様と言わんばかりに諜報を仕掛ける。
日本大使館と日本本国の連絡に正体不明の言葉が飛び交った。そもそも暗号なのか怪しい。自国のコード・トーカーを真似たことを疑う。大学の言語学者に協力を要請した。言語学者は少なくとも地方の言語と断定したが、具体的にどこの地域であるかはハッキリせず、日系人を動員して突き止めようとする始末で笑えない。
「何度聞いてもわからねぇ。地方らしい訛りだが強すぎてジョークにも使えねぇ」
「これで会話が成立しているのがおかしい。魔術でも使ってるんじゃないのか」
「アジアの猿野郎は呪術が使えるかもしれない。これを聞いちまったら不運な事故に遭うなんてな」
「そこまでにしておけよ。日本を侮っては足元を掬われる」
「あんな文明の無い連中を侮るなと言う方が…」
(私を含めた全員が疲労で思考が纏まっていない。アイスクリーム製造機を増やしても肥満になるだけだ。とにかく、軍は人員を増やしてくれ)
日本が用いる暗号は見たことも聞いたこともない言葉の羅列で面食らった。日本語なのか怪しい程で言語学者が苦戦することも納得できる。その正体は地方の方言で青森県の津軽弁と南部弁、鹿児島県の薩摩弁などを織り交ぜた。情報班が暗号と苦しむ正体は単なる方言だが、音声から訛りを排除して文章に書き起こしても、何が何だかわからない。
「海軍の暗号も陸軍の暗号も途端に解読できなくなったが、所々で古い符号を用いたパープルやレッドを確認でき、ジャップは本当に小賢しい」
「ハワイを攻撃するって内容ですよ。そんな馬鹿げたことがありますかね?」
「真偽が不明であるから苦労しているんだ。ハワイ攻撃作戦が本当なら海軍のキンメル大将に警告を発しなければならない。これが嘘であっても別の拠点が狙われている」
「キンメル長官が聞く耳を持つでしょうか…」
「ニミッツ少将は暗号班の格上げを盛んに訴えた。ニミッツ少将が太平洋艦隊を率いるべきでは」
「そこまで、そこまで。アイスクリームでも食べに行ってこい」
日本は小賢しいことに旧暗号まで織り交ぜた。旧暗号はとっくに解読済みで無力と雖も新暗号と並列すると真偽がハッキリしない。略符号まで再利用するので混乱に拍車がかかり、ただでさえ、解読できずに機嫌の悪い班員たちはイライラを加速させると、仕舞いには太平洋艦隊司令長官を責め立てた。彼らの機嫌を取るために福利厚生のアイスクリーム製造機がフル稼働する。
ロシュフォート少佐も上層部に拡充を直訴した。議会の無理解や孤立主義の残滓が壁を為し、太平洋を担当する文字通りの太平洋艦隊司令長官たる、ハズバンド・キンメル大将もロシュフォートの発した警告を握り潰す。日本海軍がハワイまで挑戦者と訪れることはつまらないジョークだ。
キンメル大将と真反対に次期太平洋艦隊司令長官候補のチェスター・ニミッツ少将は真剣に受け止める。ニミッツ少将は何よりも情報戦を暗号を重視した。ロシュフォートら暗号解読班を援護する。自身が太平洋艦隊司令長官に収まった時はいの一番に暗号班の拡充に止まらない昇格を誓った。
「このオカ・キヨシという集団が元凶だ。タカギが退いた後のオカ・キヨシが暗号を作成している」
なんと、おそろしきや、アメリカの情報収集能力なのだろう。
「奴らは絶対に奇襲攻撃を仕掛けてくるぞ…私の分析に寸分の狂いもないんだ」
ロシュフォート少佐は己の直感に絶対的に自信を抱いた。暗号を論理的に分析する者が非合理的な直感を信じるとは皮肉かもしれないが、それだけ情報戦の中でも暗号戦は熾烈を極めているのだろう。彼も糖分を欲してアイスクリーム製造機のある食堂へ向かった。普通は肥満に陥るところ頭を使う故に体型は維持される。
「またドクターに怒られるが構うものか」
続く
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