第31話 御前会議は踊らない
1941年9月初旬
この日は天皇陛下が降臨される。
天皇陛下は英米を主とする欧米諸国と関係が悪化して戦争に突入することを憂いた。外交努力に期待して平和的な解決を望まれる。外交は吉田茂外相に幣原喜重郎前外相を中心に回避に努めてきた。しかし、英米が決戦を望めば衝突は必至である。天皇陛下は吉田外相を信頼せずに幣原元外相に報告を求めた。陸海軍に外交への協力を命じたものの、日米関係は不可逆的でどうしようもない。御前会議の前に事前報告を行って駿河湾より深き理解を得られた。
「海軍は来る日のために準備を重ねてきました。ご命令とあらば米本土まで赴きましょう」
「陸軍も友邦と大戦力を用意しています。東亜から欧米の魔の手を振り払います」
「四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらむ」
天皇陛下が自ら意見を出されることは少なく、原則として、陸軍と海軍、政府の議論を眺めている。単なる置物と見られようが時に鋭い一撃を叩き込んだ。この歌も最後まで平和的な解決を望む強固な意思の表れである。陸軍と海軍は決戦準備を進めてきたが、英米と全面衝突することは避けたく思い、外交に協力を惜しまなかった。彼らも時間稼ぎに努める。
海軍は条約派が大半を占めることより対英米戦の回避は本望だった。長谷川海軍大事はもちろん、山本五十六連合艦隊司令長官、米内元大将など重鎮は一様に回避に全力を注いでいる。陸軍は満州派が占めて東亜連邦の構築を掲げた決戦志向でも時機は慎重に見定めた。全ての元凶たる石原莞爾は強硬論者と言われるが、しっかりと見定める人間であり、可能なら穏便に済ませたいと漏らしたらしい。
「米国は大西洋憲章を発表しました。これは太平洋には適用されない。我々が立ち上がらねば亜細亜と太平洋は欧米の支配に包まれる。大日本は大義のために蜂起するが機会は見定めたい」
「まだ日米交渉は続いている。幣原さんのおかげで引き伸ばしに成功した。政府は最後通牒返しの準備がある」
「その最後通牒とは?」
「端的に言えば、フィリピンとグアム、ハワイなど米国領を放棄すること」
「そいつは強烈な…」
日本の外交官は優秀でよく頑張った。吉田外相は自慢の弁舌を以て英米を翻弄する。英国首相のチャーチル卿は「ヨシダの相手は面倒で疲れる」と愚痴を吐いた。欧米諸国が真に恐れるべきは元外相ながら現役時に築いたパイプで暗躍する。かの幣原喜重郎の一人だけだ。バロン幣原(幣原男爵)の勇名を遺憾なく発揮しては知日派を動かす。日米交渉を引き延ばしに引き延ばした。幣原元外相も日米開戦は是が非でも回避したい。幣原外交の真骨頂と日本の権益は一切譲ることなく、かつ即時開戦に至らない絶妙を衝いた。
陸軍と海軍は時間稼ぎに乗じて開戦準備を着々と進める。政府も最後通牒返しの用意を整えた。米国が最後通牒を通告してきた際は直ちにカウンターを打ち込む。米国は中華民国と仏印、タイ王国、台湾などから完全に手を引くように言って来ると読み、日本は米国に対してフィリピン、グアム、ハワイを放棄して独立させることを要求した。お互いに呑めるわけがない条件を提示する。
さて、御前会議は1日規模のため休憩時間が設けられた。
天皇陛下が席を外された時が雑談という重要会議の始まり。
「米国は君をヒトラーに重ねていると聞いたぞ」
「なんと心外でありましょう」
「まったくだな。石原莞爾陸軍大臣は清廉潔白なのに」
「それもそれで違いましょう」
「ドイツとソ連、イタリアと手を結べなんぞ馬鹿げている。どこの馬鹿野郎がホラを吹いた」
「身内の恥を晒して申し訳ない」
大日本帝国は東亜連邦を志向した。ドイツとイタリアのファシスト共と仲良くするなんて正気の沙汰でない。陸軍と海軍の共通の懸念事項に「独伊と組むべし」の声があり、こういう時は団結して不穏分子の排除に協力し合うと、ソ連の諜報員に協力したなどの適当な理由を付けて捕縛した。
アメリカとイギリスらは日本をファシストに括る。なんという暴挙で呆れた。石原莞爾をヒトラーに例える者は多い。実際に中華民国の掌握から仏印進駐まで主導したと言われる。これが真実でないにしてもだ。アメリカは白を黒に黑を白に塗り替えることが得意である。
「それより海軍はアリューシャン列島の陽動作戦にウェーク島の攻略、シンガポール急襲の用意が整いましたか?」
「もう少しです。陸軍の南方電撃作戦において最たる障壁は英海軍の東洋艦隊と理解しています。これを撃滅するに最高の戦力を用意しました」
「基地航空隊ですかな?」
「それもありますが、連合艦隊が出ましょう。呉に籠っていては勿体ない」
「素晴らしい」
石原莞爾が陸軍に大鉈を振るうことばかり注目された。実は海軍も長谷川海軍大臣や山本五十六長官、堀大将の下で大規模な刷新が図られる。旧態依然とした思想を捨て新しきを目指した。戦艦の大艦巨砲主義を捨てて航空母艦や基地航空隊の航空決戦思想が代表を務める。
とはいえ、金剛型戦艦から長門型戦艦まで30ノットを発揮できるように大規模改修が連続的に行われた。海軍は決して戦艦を捨てたわけではないことに留意が求められる。最新鋭の切り札たる大和型戦艦は稀代の巨大高速戦艦と誕生し、圧倒的な火力に防御力に加え、30ノットの快速、豊富な対空兵装、最新の電子兵装まで贅沢の限りが尽くされた。
海軍はハワイ攻撃作戦を諦める。陸軍の南方電撃作戦の支援とトラック泊地を守る前線基地の確保に切り替えた。ウェーク島攻略作戦とシンガポール急襲作戦の二本立てを打ち出す。前者はトラック泊地の防衛強化に前哨基地を設けた。後者は南方電撃作戦に合わせて英海軍東洋艦隊の母港機能を喪失させる。陸軍がどれだけ精強と雖も海上の大艦隊には無力が否めなかった。
「あの大戦艦が英海軍の東洋艦隊を迎え撃つ」
「それは約束できません。基地航空隊が仕留めることもありましょう」
「双発爆撃機による雷撃にはいつも心が躍って仕方がない。陸軍航空隊も真似たいが反跳爆撃に活路を見出してしまった」
「そこは棲み分けるが吉です。お互いに雷撃しては非効率であるので」
「敵艦からしたら堪ったもんじゃありませんね。片方は魚雷がもう片方は爆弾が迫り来る」
「航空戦力は大日本が数歩も先を歩んでいる。欧米が追い付く前に差を広げれば尚良い」
大日本帝国はアメリカ、イギリス、自由フランス、オランダといった連合国(便宜的に連合国とする)を相手に大決戦を挑むのである。まずはシンガポールに居座るイギリス海軍の東洋艦隊が目下の標的に定めた。東洋艦隊はイギリスの精神的な支柱でもある。これを完膚なきまで叩きのめすことで自尊心をへし折った。あわよくば、ビルマからインドにかけて撤収させられる。東亜連邦と称する内容は中央アジアまで広大な領域を射程圏内に収めた。
栄光のイギリス海軍東洋艦隊をどのように撃滅するかは定まり切っていない。先のことは誰も読めないので様々な手段を用意しておいた。海軍基地航空隊の陸攻が常識外れの航空雷撃を敢行する。陸軍基地航空隊の爆撃機が反跳爆撃なる新戦術を試した。基地航空隊が撃ち漏らした時は連合艦隊が迎え撃つだろう。何のために大艦隊を整備して来たと言うのだ。
「陛下には大変申し訳ない。日米決戦は避けられなかった」
「どれだけ努力しようと無理なものは無理だろう。悔やんでも、何にもならん」
「幣原さんを以てしても、時間稼ぎが精一杯だった」
「致し方ありませぬ。我らは陛下が東亜を治める未来を実現すべく邁進するのみ」
束の間の休憩時間が終わる。
天皇陛下が戻られて直ぐに御前会議は再開された。
今日に次ぐ12月に全てが決まる。
続く
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