第23話 香港解放はもう間もなく

5月


「日英交渉は完全に決裂した。香港の返還や援蒋の遮断は論外と言わんばかり、外交官の働きに対し最大の賛辞を贈りたいが、東亜連邦は亜細亜の独立のため決起することを決めた」


 米内内閣は浅間丸事件を契機に強硬姿勢を一層と強めた。英海軍は欧州と真反対に平穏を保っていた太平洋で臨検を行う。これを欧米が仕組んだ挑発と見て強硬に自制を求める声も上がれど、米内内閣は重大事態と認識して中華民国を抱き込み、英国と第二次交渉に突入した。英国は案の定で巧みな外交を披露して時間稼ぎを図る。


 しかし、欧州の本場は待ってくれなかった。時間稼ぎは後に失策と評価される。チェンバレン内閣が倒れる原因の一つに対日交渉の失敗が挙げられ、これを承継したチャーチル卿も「香港は捨てざるを得ない」と述べた。日本の外交官も吉田外相や幣原元外相を筆頭に奮戦する。香港を中華民国へ穏便と平和的に返還させることは最後まで叶わなかった。


「香港の自治政府へ最後通告を発した。24時間以内に応じない場合は実力行使に打って出る」


 大日本帝国と中華民国は東亜連邦を掲げて香港を解放することを高らかに宣言する。両国は市民の間でも「亜細亜の真なる独立」や「東亜の団結たる東亜連邦」の思想が浸透した。浅間丸事件の一報から香港解放の声は強まったかと思えば、東亜の植民地時代を終焉させることを訴え始め、米内内閣の(史実と異なる)強硬姿勢は大歓迎を受ける。


「我々は人道支援の用意がある。全ては彼らの決断次第なのだ」


 広報担当が締めくくると万雷の拍手が沸き起こった。


 これがナショナリズムなのか?


~台湾~


 台湾南航空隊は本土より発せられた暗号電を受け取った。


「大変残念なことに交渉は完全に決裂したらしい。連合艦隊が直々に出撃して香港奪還の海上封鎖を実施する。台南空は米軍がフィリピンより妨害に来る可能性を鑑みて海上封鎖支援に戦闘機隊の派遣を決めた」


「遂に戦争が起こりますか」


「わからない。ただの基地航空隊の司令官がわかることか」


「敵爆撃機が飛来した場合は警告射撃を以て近寄らせない。なんなら撃ち落としても構わないので?」


「ここで馬鹿を言う度胸は認めてやろう。実際にやった時は即座に待機組に回す」


 台湾は名目上こそ中華民国に返還されているが、その実態は変わらず、日本軍が各地に展開している。台湾南航空隊という精鋭の海軍基地航空隊まで置かれた。アメリカ領フィリピンやイギリス領マレー(シンガポール)といった要衝を睨んでいる。渦中の香港も目の前と今すぐにでも襲撃できた。


 欧米諸国も理解していることで台湾を逆に睨み返す。特に米国は危機感を抱くとフィリピンに航空隊を集中させた。諜報員の情報によると大型爆撃機の配備を検討している。米軍は議会の孤立主義を潜り抜けてB-17(初期型)の配備を進めたいが、B-17の開発にも障害となった名誉の孤立主義が立ち塞がり続け、それでも有力な戦闘機を配置した。


「そんな連合艦隊が出張る程です? 香港ぐらいは陸攻隊の威圧で足りるような」


「俺も真意は汲み取れていない。行けと言われれば行くだけだ」


「わかりました。うちの最精鋭たる笹井中隊を送りましょう。全機が零戦で構成されています」


「連合艦隊は空母も連れて行くと言う。燃料切れやエンジン不調は着艦するように。それも難しい場合は機体を捨てて脱出せよ。駆逐艦が救助してくれる。零戦も満州製が加わって安定的な供給を見込んだから勿体無いの精神は捨てるんだぞ」


「零戦の前にゃアメさんの戦闘機はブリキの玩具です。何にも怖くありません」


「そう言わんでも理解している。九六式艦戦は練習機にでも回そう」


 台湾南航空隊は連合艦隊による海上封鎖の支援計画を立てる。今からでも直ぐに香港へ飛んでいっても構わないと雖も連合艦隊と協調する以上はだ。関東軍のような独断専行は一切許されない。とりあえず、台南空の司令官は最先鋒に最精鋭の笹井中隊を抜擢した。台南空自体が精鋭の集まりであるが笹井中隊は群を抜いている。


 笹井中隊が零戦共々と勇名を轟かせた逸話に無補給の渡洋移動作戦があった。十二試艦上戦闘機から正当な採用に至った零式艦上戦闘機こと零戦を受領する。これを基地まで運ぶ時は航空機運搬用の輸送船に分解して積むことが多く、誰もが現地で再度組み立てる手間を省けないかと思案を巡らせた。最近は旧式化した軽空母の有効活用に始まり、建前は航空機運搬船だが本音は簡易空母という特TL型も登場し、最前線まで効率的に輸送している。


 彼らは「色々と面倒だから」と言って自ら乗り込むと台湾を目指した。日本本土から直接に台湾まで飛行したのである。日本本土から台湾を地図で見ると近場かもしれないが、海洋を渡ることは前代未聞のことで零戦の前身たる九六式艦戦(基地航空隊仕様)にはとても不可能だ。零戦は新式陸攻護衛を盛り込まれている故に長大な航続距離を有する。これに各自の高い技量が相まって常識外れの省エネを実現してみせた。


「香港上空に行ってはならんのですか。海の上を飛ぶことはつまらんのです」


「面白いかつまらないで判断してはいけないよ」


「せっかくの機会ですから坂井小隊は空中三段宙返りでもしてやろうかと」


「あまりに目立ってはならん。英軍も米軍も零戦の存在を半信半疑でいるのだ。零戦の詳細を知られてはいけない」


「満州の空戦で散々暴れ回ってイシャクを片っ端から撃墜しています。もう目立ちも目立ちました。なんだか今更じゃありません」


「今更かもしれないが目立つなと言われたら目立ってはいけない」


 笹井中隊は精鋭と謳われる割に個性豊かな聞かん坊の集まりである。ノモンハンの大空戦に十二試艦上戦闘機を提げて参上した。I-15とI-16をあっという間に平らげている。イシャクだけでは物足りないのか九六式艦戦が追いつけない高高度を高速で飛行する双発の高速爆撃機まで叩き落とした。当時は数こそ少なく戦局に与えた影響は微々たるでも周囲に与えた衝撃は尋常でない。英軍と米軍の中でも勘に優れる軍人が警戒を促しても上層部は真っ当に受け止めなかった。


「そんなことよりも本当に米軍の爆撃機が来たらどうしましょうか。艦隊を守れと言われてもアメリカとは戦っていません」


「日中とイギリスの対立にアメリカが割り込んでくることは異常だな。それもあり得る話で困っている。敵の爆撃機を撃墜できるか否かを問う前のことで…」


「そんなもの20mmで穴を開ければ良いだけです。7.7mmじゃ埒が明きません。13.2mmも強力ですが20mmに勝るものは無し」


「一部の陸軍機が積んでいる37mmが貰えたら」


「何度も言うが勝手な行動は認められない。やるにしても相当の緊急事態で…」


 こんなことを言っている本人たちは冗談も冗談のつもり。自分達の勝手な行動で大戦争に繋がることがあれば腹を切っても赦されなかった。それでは関東軍の独断専行はどうなんだと言われるが、結果的に上手く運んでいる上に実権を握り込まれては文句のつけようがなく、海軍内でも関東軍を倣うべきの声が沸々と生じる。


「連合艦隊なら山本の長官が出られる。もし不審な機影を発見した時は一定程度の威嚇は許される。それで十分だろう」


「三段宙返りは…」


「まだ言うか。坂井の野心は止まる所を知らんな」


 台南空の高い士気を裏付ける良好な人間関係を背にして最新鋭の艦上戦闘機は銀翼を連ねていた。その銀翼が香港上空にて三度も輝かせることは未だ知れない。陸海軍協調の初陣となる香港解放の時は近かった。


続く

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